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7月初旬、私はジュネーブにある国連人権高等弁務官事務所を訪ね、実務のトップであるバーナード・ラムチャラン高等弁務官代理に、ハンセン病を人権問題として考慮してもらいたい旨、訴えた。
世界には現在、約60万人のハンセン病患者と2千万人を超える回復者がおり、彼らとその家族を含めると、1億人を超える人々が社会のいわれない差別に苦しんでいる。
教育、結婚、就職はもちろんのこと、本人の死後も、家族が差別の対象となっているというきびしい現状にある。
ラムチャラン高等弁務官代理は、自分の30年近くにわたる人権問題とのかかわりの中で、ハンセン病の問題を聞いたのは初めてだと率直に認め、即座に重要な人権問題である、と同意してくれた。
私は30年以上、ハンセン病制圧の仕事にかかわり、現在は世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧特別大使として、世界のハンセン病制圧活動の第一線で仕事をしている。
長い間、不治の病と考えられてきたこの病気は今日、MDT(多剤併用療法)と呼ばれる複合療法により、1年以内にほとんどの人が完治する病気となった。WHOの指標である「人口1万人に1人以下」の基準を達成していない国は、インドをはじめ6か国ほどにしぼられてきた。
このようにハンセン病は、医学上の問題としては解決の一歩手前まできている。1985年以降だけでも、1100万人の患者がこの病気から解放された。しかし医学上の問題が解決しても、患者や回復者を取り巻く社会的状況に変わりはない。彼らに対するいわれなき差別がなくならない限り、この病気との闘いに終わりはないのだ。
この問題は、歴史上最も古くから存在する人権問題であろうと考えている。患者や回復者たちは、社会のみならず、家族からも見放されるという宿命を、長い間背負ってきた。そのために彼らの声を真剣に聞き、人権問題として世界に訴える声はいままであがってこなかった。
日本でもつい7年前まで、ハンセン病患者の隔離を正当化する法律が存在していた。回復者の方々が法によって奪われた人生の補償を求める国家賠償訴訟を起こし、2001年5月、勝訴した。
政府も小泉総理大臣の英断で率直に誤りを認めて控訴を断念したことは、我々の記憶に新しいところだ。しかし現在なお、日本においてさえ差別意識が根絶されたとはいえない。
今月4日、ハンセン病史上初めて国連の人権委員会小委員会で患者、回復者、家族が直面する社会的差別の問題を世界に訴える機会が与えられた。
その場には、エチオピア、アメリカ、インドの回復者、かつて3万人以上の患者を強制隔離していたフィリピンのクリオン島で治療に従事している医師も参加した。私の基調報告に続いて患者、回復者、家族が歩んできた苦難の道のりを歴史的に振り返ると同時に、いまだ残る強い社会的差別について、各国の現場から報告を行った。集まった参加者からは、初めて知った差別の状況に驚きの声があがった。
人類にとっての負の遺産であるこの問題に、正面から取り組む第一歩を踏み出すことができたことに大きな意義を感ずる。今後は、今回出席できなかった日本の回復者の方々の参加も得て、世界的規模の連帯組織の育成に尽力していきたいと考えている。
病気としてのハンセン病制圧は「百里の道のりの最後の一里」まで来たものの、人権問題としてのハンセン病は、最初の一里が始まったばかりである。皆様のご理解とご支援を賜れば幸いである。
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