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≪ 画期的な「工作船の一般公開」 ≫
曽野 綾子(作家・日本財団会長) 現在、私たち日本財団は、鹿児島県の第10管区海上保安本部から運んだ北朝鮮の工作船を一般公開しています(東京都・船の科学館で9月30日まで)。おかげさまで公開1カ月で来場者が30万人を超える盛況となっていますが、この企画の実施を許可・協力していただいたお役所のおはからいに対して、ほんとうに感謝しております。
扇 千景(国土交通大臣) お礼をいうのは、こちらのほう(笑)。日本の海を守るためには、国民の意識が何より大事です。そのお力添えが、海上保安庁の仕事、ひいては日本国にとってどれだけプラスになったことか。北朝鮮の工作船が国民の目に触れたことで、「もしものことがあったら大変だ」という危機感が高まりました。
曽野 工作船に関しては、日本であれだけニュースになりながら、知識だけで実際に見ることがありませんでした。1つの物事に関して「こう考えるべきだ」というだけではなく、あくまで現物をご覧いただくことで、事件の奥深さを知っていただきたかったのです。
扇 とくに嬉しいのは、若い世代やお子さんも見学に訪れていることですね。
曽野 子どもたちにとっては、映画やテレビでしか見たことのない世界ですから。
扇 それにしても、実際に展示された船と武器類を見たとき、まさか工作船があれほどの重装備をしていたとは思わず、驚きました。また、あんな小さな船にもかかわらず、後部の扉を観音開きで開けて小型艇を出せるようになっていましたね。
曽野 どうやってあれに乗組員が15人ほども入っていたのか、と思うくらい。船体も、後ろにスクリューを4つ隠していました。
扇 それに対して、日本側の巡視船には操縦席に防弾ガラスすら張られていなかったのですから、いまにして思えばゾッとします。正直、あれでよく死者が出なかったと思いますね。もちろん、3人の海上保安官が負傷されましたし、多くの乗組員にはしばらく精神的な後遺症が残りました。そうしたショックを与える船が、知らないうちに日本の沿岸に忍び'寄っているという怖さ。
曽野 幸い死亡者は出ませんでしたが、いざとなったら犠牲者が出ることも考えられますから。
扇 なにしろ戦後初の本格的な銃撃戦でしたから、海上保安庁を統括する国土交通省の大臣として、この事件の重さを痛感しています。そこで昨年の補正予算からかなりお金を確保して、操縦席の周りに防弾ガラスを張るといった最低限のことはするようにしました。 また、海上保安庁のヘリコプターの底も無防備だったのでこれを強化するなど、可能なかぎり海上保安官が安心して任務につける装備にしました。そうしないと、いざというときに戦えません。
曽野 いままで海上保安庁のなかには、我慢していた方も多かったのでは(笑)。私は素人ながら、あのとき工作船に追いつく速さの船がなかったことに驚いたのですが、そうした高速船は、工作船事件をきっかけにできたのでしょうか。
扇 はい、つくりました。ただ、一度にすべてをつくれるわけではありませんから、できるものから順を追って行なっていきます。国土交通省はよく国民の方々に「無駄な公共事業をしている」とご批判を受けるのですが、これは海上の安全のため、真に必要な「公共事業」なのです。その点は、ご理解いただきたいですね。 海上保安庁は、普段はあまり国民の目に触れない「海の警察」として働いていますが、2001年の工作船事件以来、皆さんの注目が集まるようになりました。これからも国民の安全のため、いっそう奮起しなければなりません。
曽野 工作船の見学中、たまたま私のそばにいた人が「海上保安官ってどういう服装をしているの?」と連れの人に聞いていたことがありました。陸上のお巡りさんは知っていても、「海のお巡りさん」は知らないわけです。そこで、私は海上保安官の方に「お暑いなか申し訳ございませんが、ぜひ会場に立ってお姿を見せてください」とお願いしました。
扇 素晴らしいことですね。
曽野 また、工作船が公開されている側の海では、海上保安庁の巡視船を目の前で見学できるようにしていただきました。すると、子どもたちが船の前で記念写真を撮っているわけです。こうしたきっかけから海上保安庁の「姿」が見えるようになり、日ごろお世話になっているという気持ちと連帯感を感じてもらえるのではないでしょうか。
扇 われわれも何かしなければと思い、昨年5月に、工作船の攻撃を受けた海上保安庁の巡視船「あまみ」の被弾部分を、国土交通省の1階に展示しました(現在は広島県呉市の海上保安大学校で保存)。私の孫も見学に来て、やはり興味深そうに見ていました。
曽野 今後は、全国でこうしたものを公開できるようにしたいですね。
扇 工作船をいかに保存し、なおかつ多くの人に見ていただくかというのは、大事な問題です。放置すると腐食しますし、保存や移動、展示にはたいへんお金がかかります。いまは工作船の保存になかなか予算が出ず、曽野さんのような民間の方々に甘えてしまっているのですが、いずれ対処を考えなければいけません。
曽野 公開現場では、工作船保存のための募金を募っていらっしゃいますから、きっとお志がたくさん集まると思います(笑)。保存方法については「鉄船は保存しようとしてもすぐボロボロになる」とか「プラスチックで同じものをつくるべきだ」など、いろいろな意見が出ているところなので、いちばんよい考えを採用しようと思います。
≪ 「放置船」はただで返さない ≫
扇 現在、日本の北海道から沖縄まで、計10隻の外国船が海岸に放置されたままです。荷が積んであっても、船を置いたまま船長も乗組員も本国に帰ってしまう。不思議なことだと思うのですが、結局、地方自治体が多額のお金をかけて処理することになる。船の荷物を下ろし、なおかつ船体を処理しなければ、漁船も危ないし、海水浴もできません。さらにオイルが流れて海洋汚染の可能性もあるという、何重もの危険があります。
曽野 私もポート・ステイト・コントロール(PSC、外国船舶の安全性検査)について見せていただいたことがあるのですが、船舶検査を行なうと、「この積み荷は何なのか」と思うような船があるようですね。
扇 積み荷のなかでもひどいのは、放置自転車。船いっぱいに積むわけです。
曽野 「放置船」に関しては、沿岸で船が座礁したら、全員の船員に残ってもらい、本国から船を処理するお金をいただいてからお帰りいただくのが最もよいでしょうね。要は人質です(笑)。
扇 せめて、船長だけでもいいから残ってほしいものです。キャプテンにはそれだけの責任があるのですから。私は「海の男」に尊敬と憧れがあるので、そのイメージを崩さないでいただきたい(笑)。
曽野 また、海図ももっておらず、東京湾に入るつもりが別の港に入ってしまい、「どうやら違うようだ」と気づいてUターンする船もあるとか。私が運転する自動車みたいなことをなさっている……(笑)。
扇 いままでは入港管理といっても、「早く領海の外に出なさい」と警告する程度で、向こうが出ていってくれるのをただじっと待っているだけでした。その意味で、意識が甘かったと思います。
曽野 日本人というのは上品な国民で、相手から拒まれれば「自分は望まれていない」と思って身を引くはずと考えるのですが、いかんせん、止めなければいくらでも来るというのが90パーセント、世界の常識ですからね。
扇 その認識が足らずに、日本の安全という神話が逆に、無防備さに繋がっている気がします。その意味で、これまでは甘く見られても仕方ない状況でした。麻薬の密輸入から日本人の拉致まで、国民が何度も不快な思いや具体的な被害を受けてきたにもかかわらず、十分な装備や捜査、対応ができなかったことは申し訳なく思います。今後は日本政府が国民を守る気概に燃えて、領海の安全を侵した船は罰せられるということを世界に示さなければいけません。 来年の7月から、安全基準の順守に加え、セキュリティ対策についての出港した国の証明がなければ入港停止にする考えです。
曽野 本来なら領海に入った時点で即、証明書を見せてもらいたいですね。
扇 ええ。また、「無保険船」の実態を申しあげますと、現在、保険をきちんとかけている船の率は、平均で72.6パーセントです。日本の船は当然100パーセントですが、韓国は64.1パーセント、カンボジアは13.7パーセントで、ロシアは14.9パーセント。最もひどいのが、北朝鮮の2.8パーセントです。
曽野 万景峰号の対処についてはいかがでずか。
扇 1993年に「万景峰92号」が新潟港に入ったとき、初めて検査を行ないましたが、この10年で国際条約上の安全基準が大きく変わったのです。具体的に申しますと、97年に煙の探知機の設置、99年に衛星通信装置の設置、2000年に高速救助艇の設置等が義務づけられるようになりました。 今年は、万景峰号に対してあらかじめ、「検査のうえ、違反があれば国際条約に基づいて罰則を適用する」と通告していました。「武士の情け」ではありませんが、礼を失さないようにしたのです。すると、入港取りやめ通知がありました。したがって、これは入港拒否ではありません。向こうから港に入らなかったのですから。
曽野 これからは怪しい外国船には、すべからく事前の「ラブレター」を送るべきでしょう(笑)。
中国船のふりをしていた工作船
曽野 海上保安庁は近年、中国やマレーシア、インドとの連携が緊密だそうですね。
扇 はい。日本はこれだけのシーレーン(資源を供給する海上ルート)をもち、原油を運んでいるのだから、平時からアジアとの連携を図らなければいけません。各国の責任者が集まり、情報交換を行なうのがいちばんよいということで、シーレーンの問題や海賊船、密輸船の対策などについて国際会議を開いています。 また、2001年の北朝鮮の工作船への対処については、中国とダイレクトに話し合えたことが大きかったと思います。工作船との銃撃戦は、日本の排他的経済水域で起きたのですが、最後は中国の排他的経済水域内で沈没したので、私は事件当時、「すぐに中国の排他的経済水域に行って工作船を引き揚げるべきだ」と申しあげました。
曽野 海上保安庁の巡視船は北朝鮮の工作船に対して、中国語でも警告していましたね。海上保安庁が作製した記録映画を見ると、英語、中国語、韓国語、日本語の4カ国語が聞こえてきました。
扇 あのときは一時中国の国旗を揚げて、中国船のふりをしていたのです。日本側も中国船かと思い、撃つのをやめました。ですから、偽装された中国も被害者だったわけです。また、北朝鮮は韓国に対しても潜水艦を使った工作活動を行なっているといわれます。尖閣諸島や竹島の問題など、領海におけるわだかまりもありますが、中国、韓国との国際協力の話は、それらと分けて考えるべきでしょう。海の問題については、アジア各国でどう協力するかが、きわめて大事になっています。 わが国に侵入した工作船が逃げて他国の海域で沈んだ場合、もし手をこまねいていたら、北朝鮮に潜水艦で知らないあいだに引っ張られて「そのような船はなかった」ということになりかねません。ところが今回は、たとえ中国の排他的経済水域であっても日本の捜査を容認してもらい、なおかつ中国の巡視船が遠巻きに見守っていてくれたのです。
曽野 そのあたり、四角四面だと思われる政治にも人間性や度量が評価される時代になったのですね。
≪ 「海守」こそほんとうの官民一体 ≫
扇 日本の海を守るには、海上保安庁だけでなく、国民の協力がぜひとも必要です。それをこのたび、曽野さんの日本財団が「海守」という素晴らしい運動を始められました。
曽野 覚えていただいてありがとうございます。「海守」というのは、民間からボランティアを募って、海上保安協会や海上保安庁と一緒に、沿岸監視や海の保全活動を行なう制度です。 国民一人ひとりがお役に立てることは何かと考えて、海岸線に目の行き届く人が大勢集まったら、さぞかし安心だろうと思ったのです。
扇 このアイディアには、手を合わせて拝みたいぐらい(笑)。海上保安庁は全力で任務を果たしていますが、なにしろ日本は海に囲まれた島国ですから、排他的経済水域が国土の12倍もあるのです。それを警備するには、現状はあまりに手薄だといわざるをえません。
曽野 おかしいと思ったら、素人が出しゃばらずに海上保安庁に通告する。
扇 これがほんとうの「官民一体」というものですよ。
曽野 数年前、不法入国者を捕まえたグループがあって、私たちが助成している社会貢献支援財団で表彰を行ないました。 そのグループに100万円を差し上げて、「海岸にいらっしゃる方には、これからもこのような感覚の網を張っていただきたい。もしも不心得者がいたら、警察に通報してください。でも捕まった彼らがお腹を空かせていたら、あんパンを買ってあげてください。この100万円はあんパン代に」とお願いしたんです(笑)。
扇 人権は人権でお守りするけれども、法を犯すことは別問題ということですね。
曽野 ええ。「寒がっている人がいたら、ヤッケか何かを着せてあげよう」といった人情は忘れずに、けじめをつけるべきところはつける。そうした習慣が定着していけばいいと思っているんです。
扇 そのとおりですね。治安維持の原点は国が国民の生命を守ることですが、大事なのは、まず何かあったときは自分で身を守るという「自助」。次にお互いに助け合う「共助」。そして公の果たす「公助」。これらの3つが順番に行なわれるのが理想的です。
≪ 大陸棚の調査を国家プロジェクトに ≫
曽野 以前、海上保安庁の方にお話をうかがったとき、日本の海で想定される犯罪の素人向きシナリオを3つほど聞いたことがあります。 1つ目は悪意ある者が大型タンカーを乗っ取り、東京湾のどこかに激突させる。2つ目は老人と灯台守しかいない離島に、複数の男たちが侵入し、島を占拠してしまう。3つ目は誰かが休日にヨット遊びをしていると、ふと見知らぬヨットが近寄り、その人が拉致されてしまい、2隻並んで港の外に消えていくというものです。 「まるで小説みたいな話」といわれそうですが、私はこうしたドラマチックなことも、十分起こりうると思っているのです。
扇 現実に、そうしたドラマのような事件がここ数年続いています。私たちは少なくとも、95年のサリン事件が起きたときに危機意識をもつべきだったのでしょう。近年、工作船事件や「9・11」の同時多発テロ、イラク戦争やSARSなど、日本人が他人事ではない危険を感じることが増えました。国土交通省というのは仕事の範囲が陸海空の多岐にわたるうえに、国民の身の危険に直結する問題を扱っています。これだけの広い領域をどうカバーするかは、正直、頭の痛い間題です。100パーセントの安全ということは不可能ですから、そのパーセントを少しでも上げていくしかありません。
曽野 21世紀の日本は、経済はもちろん水、食糧、国防を自らまかなえる国でなければいけません。それができないまま、次の代、さらに次の代に社会を委ねていくのは無責任というものです。とくに水と食糧の問題は、いまのうちから政府が検討しなければ。
扇 日本も水だけはあるような顔をしていますが、今年の3月に「世界水フォーラム」を京都、滋賀、大阪で開催した際、会議で「日本は水にかかわるODAを世界で2番目に多く拠出している一方、自国の水問題は大丈夫なのか」という懸念が出されました。21世紀は領海の意味でも水資源の意味でも「水の戦争」の時代といわれます。 1つ明るい話題として、私たちの子や孫の希望となるようなことがあります。それは、大陸棚の資源です。日本の沿岸には大陸棚があって、排他的経済水域の外でもつながっていることが証明できれば、大陸棚を海岸線から最大350カイリ(約650キロメートル)まで延長できる。 海底にはマンガンやコバルト、メタンハイドレートといった資源が豊富にあります。天然ガスは100年分あるといわれている。もし認定されたら、日本はこれらの採掘権をすべて確保できるのです。
曽野 ただし2009年までに、国連大陸棚限界委員会の認定を受けなければならないのでしたね。私、あのときに「日本財団が役に立つことはあるでしょうか」と申しておきました。
扇 ありがとうございます。これが実を結べば、わが国は「資源大国」も夢ではないのです。私は大臣の立場にいるあいだ、大陸棚資源の問題を声を大にして訴えたいと思います。「なぜあのときに努力しておかなかったのか」と悔やまれることのないようにしなければいけません。
曽野 私は「わが日本には土と水と人間しかありません」と冗談でいうのですが、官民挙げてぜひ一致団結していただくことを願いますね。
扇 大陸棚の資源については海上保安庁や国土交通省だけでなく、国家プロジェクトとして調査するつもりです。なにしろ、民間委託でもたいへんな費用がかかるのです。
曽野 海外に依頼するともっとかかるでしょう。
扇 これは国内でないと。小泉総理には国家事業として取り組むようにお願いしました。戦後、わが国がこれだけ成長したにもかかわらず、日本の「資産」が外国にアピールされなかったのはもったいないことで、わが国がこれまで蓄積したものは、堂々と世界に宣伝すべきだと思うのです。大陸棚は日本の領土、しかも太平洋側ですから、尖閣諸島の問題とは異なります。これは可能だと思っています。
曽野 扇さんが本気になっていらっしゃるので、頼もしいですね。
扇 あまり偉い大臣がくると、職員は自分たちの知恵を出せません。国土交通省の職員は、6万4000人以上いますから、「よい知恵は私のいるあいだに出してください」とお願いしているんです。私はずぶの素人から国会に出ていますから、一般人の感覚で「なぜこんな不具合があるのか」と思うことがたくさんあります。だから大臣の椅子に座ったとき、最初に「白無垢でお嫁に参りました」といいました(笑)。
曽野 ま、図々しいこと(笑)。でも花嫁さんの写真、拝見したんですよ。お人形さんよりきれい。
扇 「みんなの知恵で、私の色をつけてください」と(笑)。
曽野 でも、じつは私もそうなんです。気持ちはいつも新人ですから。民間も含めて、日本の優秀な組織を有効にお使いください。
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