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イラク占領後に、アメリカ人がこれほど嫌われるということが、ホワイト・ハウスの識者たちの間で推測されなかったわけはないだろうと思うのだが、その1つの理由は日本の戦後だったのかもしれない。
戦後の日本がアメリカ型の思考と文化を押しつけられて、嫌うどころか、社会党・共産党・一般の左翼の人たちまでがその押しつけられた憲法・制度・思想を金科玉条のごとく守り抜くと言っているのだから、アメリカ人もいい気になったのである。
つまり世界中で同じように「自由、平等、解放、民主主義」などの種を蒔けば、必ずうまく発芽し定着する、と思わせたのは日本の存在だったような気がするのである。
アメリカ兵に対するイラクのゲリラ的抵抗は今後ずっと続くだろう。それをイラクのゲリラたちの、反米感情だの、占領政策だの、人権だの、思想だののせいだ、とすると本質はわからなくなる。
イラクにはサダム・フセインを嫌いな人もいる。「サダムは俺たち部族の英雄」と今でも頑に思っている人もいる。英雄とは、日本人のように精神的な偉人ではない。まず自分たち部族に、物質的・権力的優越を率先して与えてくれる人のことである。
イラクで、宗教的・政治的派閥は、当分の間決してなくならないだろう。同じ宗派でも、指導者間はむしろ熾烈な権力闘争を続けているのだ。
イラクの多くの人たちは、穏やかな家族愛、親戚への信頼を元にして、困った人は助けねばならないとする慈悲の念も充分に持ち合わせている。しかし、同時にサダムの2人の息子を殺したアメリカには報復をして当然という表向きの口実も得た。サダムは外国人が「天誅」を加えるべきではなく、イラクに住む人たちの権力闘争において「始末」されるべきだったのだ。
ゲリラ活動が当分続くだろうと思われる最大の理由は、イラクの貧困と荒廃にある。
彼らは日本人が当然手にしている多くのものを持っていない。まだ電気がない土地、井戸が遠い地域もある。ケイタイも、ディスコも、バーもなく、彼らは、日本の少年たちのように、オモチャもテレビゲームもなく暮らしてきた。今彼らが手にしている最高の高価なオモチャは武器である。
生活が貧しく、仕事もなく、武器だけがあれば、それで米兵を撃ってみたくなる。しかも周囲は部族社会だから、事件は部族全体でもみ消してくれる。安全で正義の匂いをつけた「人狩り」という「娯楽」しか、遊ぶものはない。貧困を解決しない限り、この危険は止まない。自衛隊が人道的な部分だけ受け持つと言っても、そんなデリケートなことを見分けられる人々ばかりではない。
自衛隊は国連軍の服ではなく、いっそのことサムライかニンジャの姿をして行った方が安全で人気を得るだろう。
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