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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: お台場新名所  
コラム名: 昼寝するお化け 第282回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2003/08/29  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   今東京のお台場にある「船の科学館」の庭で、北朝鮮の工作船が展示されている。5月31日の豪雨の日に、私たち関係者はほんの15分ばかりの簡素なオープニングの儀式をした。

 この船は、2001年12月22日、奄美大島沖で、海上保安庁の四隻の巡視船との銃撃戦の末に自沈したのだが、その後引き上げられ、人間の遺体で言えば「検死」の結果多くの事実が明らかになった。

 私が初めて鹿児島の第十管区海上保安本部でこの船を見た時、最初の印象は「何という臭気だ」ということだった。もちろん私は、それを中にも残されていた工作員の遺体の死臭かと思ったのだが、海上保安庁側の答えは慎重だった。そしてまたそれはサルベージの世界を知る人にとっては常識だったのかもしれない。彼らはこう答えたのだ。

 「沈船は臭うものです」

 工作船には日本側から撃たれた銃弾の穴に、必死でシャツや股引きなどを詰めて浸水を防ごうとした跡が、何力所も生々しく残っていた。私はその穴に痛ましさを感じた。後に彼らは覚悟の上で自爆自沈したようだが、それでも瞬間的には生きたいという本能がこうした行動をさせたのである。

 この船は漁船を装っていたが、構造からして全く違うことが明らかになった。漁船は平底のものが多いが、この船は漁船の約3倍の時速30ノットもの高速で走れるようにV字形の船底を持っていた。船名や船籍港を随時換えられるような偽装の設備も持っており、煙突も偽ものであった。

 武器に至っては、とてもただの自衛のためのものとはいえない。ロケットランチャー、携行型対空ミサイル、82ミリ無反動砲、14.5ミリ2連装機銃、7.62ミリ軽機関銃、5.45自動小銃、手榴弾などが積まれており、日本製の通信装置や詳細な海図なども持っていた。しかもこの船は平成10年に東シナ海で暴力団に北朝鮮製の覚醒剤を受け渡しした時に使われた「第十二松神丸」と同じ船であったと判断されている。

 私が現在働いている日本財団の主務官庁は国土交通省で、海上保安庁ども深い連携の元に仕事をしていた。私は工作船がまだ鹿児島にあった時から、検査が済み次第、一刻も早く一般の人たちに見て頂けるようにしたいと考えていた。もし公開が可能なら、一番海に近いお台場の「船の科学館」に置くことがいいのではないかと考えて海上保安庁にも伝えてあった。「船の科学館」を経営するのは「日本海事科学振興財団」で、この財団は日本財団から財源が出ているいわば関連財団だったから、緊密な連絡が取れ易かったのである。

 これら一切の公開のための費用には約8000万円がかかる。もちろん時間をかけて財界に奉加帳を廻せば、それくらいのお金は集まるだろうが、不景気の時代に時間が遅れると、公開の意図が暖昧になってしまうのである。

 この工作船は嵐船であった。引き上げの作業中も嵐につきまとわれて、予定が遅れたと言われる。鹿児島から船に積んで東京のお台場まで来る間にも台風に見舞われて、船は伊勢湾に退避した。

 その間に、工作船を置く台座の設計施工も行われていた。高齢者も車椅子の人もどうにか見られるように、滑らないように、暑い日に何とか涼しく過ごせるように、できるだけ待たせないように、当日まで工夫を重ね、さらに私たちが歩いて見て、足場の悪そうなところは、ぎりぎりのところで大工仕事で直してもらったりした。

 公開が始まってから、私はしばしば「船の科学館」に行ったが、そこに来ている人たちの中にも、「海上保安官ってどんな恰好している人かねえ」と言っている見学者もいた。陸のお巡りさんは毎日のように姿を見るのだが、海のお巡りさんは機会がほとんどないから、どんな制服を着ているかも知らないのである。それで私は工作船のすぐ横に防備をかねて接岸している巡視船にお願いして、海上保安官が見学者の列の傍に立って頂くことにした。暑い最中に申しわけないが、これで陰のご苦労をした人たちの顔が見えて来る。ほんとうは被弾して負傷者も出た「あまぎ」の無惨な船橋がそのまま見られたらもっとも正しい理解に繋がっただろう。しかしひまな巡視船はいないし、破損個所はすぐに補強修理を行ったわけだからその傷跡は残っていなかった。

 私が感謝の思いを深くしたのは工作船の船尾にいつも1人乃至は2人のシニヤーが、「コースト・ガード(沿岸警備隊)」の帽子をかぶって説明役に立っていてくださることだった。この方たちは、かつて海上保安庁にいらした時は「偉い人」たちだったのだが、OBになった今、見学者たちが勝手な質問をするのに答えてくださっている。ワシントンヘ行った時、べトナム戦争の記念碑の前にやはり退役軍人たちがボランティアでいて、私の質問にも親切に応答してくれたことを思い出した。

 この工作船公開ができたのは、ひとえに競艇の収益金のおかげであった。日本財団は、国民の税金ではなく、モーターボート競走の収益金の3.3パーセント分を預かって、広く社会のお役に立つことに還元するために使っている。工作船の公開のためほど有効な支出はないだろう。今回はまさにこうしたお金が、人々の理解のために、静かにしかし強力に役立ったのである。私は改めて競艇ファンにもお礼を言いたいのである。

 5月31日から今までの間に見学者は既に50万人を超えた。

 こうなるとあまり人に聞かせたくない内輪話も出て来る。そもそもの初めから、私たちは見学者から入場料を取ることは考えなかった。お国のことでは決して儲けてはいけないという前提がある。しかし50万人も入ると「1000円ずつ頂いていたら5億円……」などと私自身浅ましい計算をしている瞬間があるのだ。

 見学者の中にも「少し取ってもよかったんじゃないかな。トイレの水代、ペーパー代もあるでしょう」と言ってくださる方があるが、もしそのお志があれば、この船の保存のために、主催者の海上保安協会が会場の中で寄付を集めている透明なプラスチックの箱に入れて頂きたい。

 「船の科学館」は、職員が忙しく働かされたご褒美をちゃんともらった。アイスクリームと食堂のご飯はおいしいからよく出ている。駐車場の回転率も上がった。

 「船の科学館」だけでなく、都心とお台場を結ぶモノレール「ゆりかもめ」の乗客も、近くのショッピング・モールのお客も確実に増えた。お台場の活性化は叶えられたのだ。見学者は、盛岡からも、広島からも、大阪からも、ロスからも来てくださる。それだけで皆嬉しいのである。
 

工作船の展示、船の科学館で開始!  
船の科学館(日本海事科学振興財団)のホームページへ  
北朝鮮工作船の無料一般公開  


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