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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: ミャンマーとはどんな国か(上) 「善玉」「悪玉」二元論への疑問  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/08/19  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ ビルマかミャンマーか? ≫

 この国ほど、世界の認識や評価が、マチマチな国はないのではないか。私はミャンマーを1995年と2002年に、訪れたことがあるが、2回の旅の見聞で、つくづくそう思ったのである。

 まず、世界がどう呼んでいるかである。「ビルマ」なのか、「ミャンマー」なのか??、その話から始めよう。1989年、いまの政権(いわゆる軍事政権)が、国連に対して英語の呼称の変更を届け出た。これまでのUnion of Burmaから、Union of Myanmarへと変えたのである。現地語の国名は、もともと「ミャンマー連邦国」であった「ビルマ」も「ミャンマー」も、ミャンマー人に聞くと同じ意味のことで、「ニッポン」と「ヤマト」ほどの違いもないとのことだ。

 ところが、英語の国称変更以来、世界はこの国を「ビルマ」と呼ぶ派と「ミャンマー」と呼ぶ派に分裂してしまったのだ。2度目のミャンマー訪問に先立ち、集めた資料の中に、米国CIAのホームページから検索したThe World Factbook 2002の「ビルマ」編がある。その中には国名についてこう書かれていた。「1989年、ビルマの軍事政権は、ビルマと呼ばれていた国際的な名称をミャンマーに変更した。しかしこれは、ビルマ議会の議決をえて決定されたものではないので、米国政府は承認しがたい。よって従来通り、ビルマと呼ぶ」と。

 「ギョエテとは、オレのことかとゲーテ云い」。日本人の外国名の発音に関する戯れ言である。だが、この英語名ばかりはそんな軽口では片づけられない重い意味を持つにいたった。米英をはじめとする「民主主義」とか「人権」にウルサイ国は、ビルマと呼びつづけてる。地方で、ASEAN諸国や本政府は、「ミャンマーと呼ばれてみたい」との現政権の要望を入れて、「ミャンマー」を使っている。

 この使い分けは、1988年以来、軍政を施いてこの国を統治している“軍人政権”を容認するか、しないか、現政権の正当性にかかわる問題になってしまった。この事情を理解するには、どうしてもミャンマー史の基礎知識が必要だ。

 「英国が1824年、ビルマを征服したのち、インドの一州として統治した。1937年、インドから分離され、英連邦の中の自治権をもつ植民地になった。1948年独立。その後、1962年から1988年までネ・ウィン将軍が、この国の政府を支配した。彼は最初の軍人統治者であり、後には、国家主席であり、そして退任後、キング・メーカーであった。1990年、ネ・ウィンの一党支配が崩れ、多くの政党参加のもとで選挙が行なわれ、野党第一党が圧倒的勝利をおさめた。だが与党である軍事政権は、政権を野党に渡さなかった。勝利を収めた野党のリーダーの要(かなめ)であり、かつまた(後の)ノーベル平和賞受賞者であるアウンサン・スーチーは、1989年から1995年まで自宅拘禁となり、政治活動を禁止された。その後も、彼女は何度かにわたって逮捕、釈放が繰り返されて.いる。彼女の支持者たちは、政治犯として多数刑務所に入れられた」。これは、前出のCIAの「ビルマ要覧」のこの国の政治的背景説明の前文である。

 この国の政治的背景を語るには、あまりにも短い文章だが、この限りではCIAの叙述に誤りはない。だが、これだけの材料で、この国の現政権に、「善玉」「悪玉」の判断を下すとしたら、それはいささか荒っぽすぎるのではないか。


≪ 視野が狭い「CIA史観」 ≫

 現政権を「悪玉」視しているCIAの論拠は、選挙という民主主義の結果を破ったこと。反政府運動家の人権を侵害していること。それにノーベル平和賞受賞者のアウンサン・スーチーをないがしろにしていることだ。さらにこれに加えて、「軍事政権」は、民主主義に反するもので、存在することそれ自体が「悪」であるとの認識を持っている。

 はたして、そうであろうか。ひとつの国が、ときには軍事政権をもつのは、それなりの合理的な理由があるのではないのか。一国の安全と繁栄と国民の幸福を論ずるとき、民主主義と人権が、クローズアップされすぎているのではないのか。この国の秩序の回復は、どうなっているのか。治安維持はどうなのか。国の統一はどうなのか。経済はどうなのか。外交はどうなのか??についての検証が必要である。もっというならば、一国の発展において、民主主義や、米欧的基準にもとづく人権主義が、はたして不可欠なものなのか。それを考えてみる必要がありはしないのか。

 このような現実から、ミャンマーの現代政治史を振り返ると、この国の現政権について「CIA史観」とはいささか異なる評価が出てくるのだ。

 まず第一に、この国は、いぜんとして国家の統一が、建国以来の大きな宿題として残っているとの認識である。1948年の独立以来、国名には「Union」がついている。ユニオンとは連合国家という意味だ。もともとミャンマーは、100以上の民族からなる寄り合い世帯の「政治的実体」なのだが、植民地時代、国の中央の平地に住む多数派のビルマ族(人口の68%)を抑えるべく、英国は、少数民族を優遇する「分割統治」策をとった。「分割統治」の後遺症として内戦を経験しており、統一をなしとげる能力は、いまの軍事政権しかない。

 第二に、現政権の正当性の問題である。たしかに選挙による民意は代表していない。しかし、今日の軍事政府は、1962年から88年まで独裁政治をやり、悪名の高かったネ・ウィンの軍事独裁政権の否定者として、登場したことを、このCIA史観は見逃している。私の2度目の訪問である2002年12月、ネ・ウィン将軍がヤンゴンで死亡した。葬儀に集まったのは、25人の近親者のみだったと聞いた。いかに現政府が、ネ・ウィン軍事政権と一線を画そうとしているかを思った。

 第3に、経済である。ネ・ウィン政権は、「社会主義」と「鎖国」という2つの誤った政策をカクテルにした軍事独裁政府であった。おかげで、独立以来、隣国のタイよりも繁栄していたこの国の経済は疲弊し、世界有数のコメの生産国なのに、コメ不足さえ起こした。1987年には、1人当りGDPが200ドルを割り、国連から最貧国に指定され、88年の暴動につながった。現軍事政権が「開放」と「市場原理」を導入した結果、今日の1人当りのGDPは950ドル(CIA要覧の購買力平均は、1500ドル)に回復している。


≪ 「必要な善玉」と「不必要な天使」 ≫

 こうした実績を加味して、現実主義な見地からミャンマーの軍事政権を評価し直すとどうなるか。「正当性」という点で、いささかの問題が残るので、「善玉」とは、云い切れないものの、「悪玉」と決めつけることは、この国の将来についての判断を誤るもとになるのではないか。二度の旅をしてみて、そう思ったのだ。

 では、ビルマ独立の父、アウンサン将軍の一人娘で、ノーベル平和賞を受賞し、英国的教養で武装した美人のカリスマ、アウンサン・スーチー女史は、「善玉」なのか。この国のジャーナリズムの長老、セーウィン氏を自宅に訪ね、ずばり聞いてみたのだ。第2次大戦中、南方特別留学生として日本で学び、ネ・ウィン時代は逮捕歴3回の反骨精神旺盛の在野ジャーナリストだ。

??「スーチー女史の亭主が英国人ではなく日本人だったらどんなによかったか」という冗談があるそうですね?

 「彼女は、アングロサクソン流の知識人でそれをひけらかす。彼女にはビルマ人の心がない。だからこの国で支持者は、あなたが思っているほど多くはない。アングロサクソンの価値観では、この国の難問は解決できない」

??そうだとすると、彼女はミャンマーにとって、何なのですか?

 「今日のミャンマーの軍事政権には問題はある。だが、Necessary Evilだよ。善玉とは云えないかも知れんが、いまのこの国とっては、絶対必要だ。存在意義を否定しちゃいかん。スーチー女史は、外見上はAngelだよ。だが、Unnecessary Angel(不必要な天使)だ。この国にとって、彼女の存在は決してプラスにはなっていない」

??もし彼女が軍事政権にとって代わったら?

 「そりゃ無理だ。国がめちゃくちゃになる。欧米人はそれでいいかも知れんが、ビルマ人は困る」

 西欧的な絵に描いたような民主主義が、いまこの国に幸せをもたらすかどうか。英国の植民地支配が残した負の遺産にあえぐミャンマーにおいて、選挙によらぬ国軍主導の有効性とその限界は何か。欧米流の「善玉」と「悪玉」二元論では、とうてい解けないアジアの不思議なのである。
 



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