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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: 能楽の「一子相伝」に思う?一般家庭にも「父の躾」必要  
コラム名: 新地球巷談 23  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2003/06/30  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   6月なかば、新築なった金剛能楽堂の落成記念式典が、梅雨時のしとしと雨に煙る京都で行われました。式典は常陸宮、同妃両殿下が出席され、お祝いの言葉を述べられるなど華やいだ雰囲気でした。新築に際しては、日本財団もいくばくかのお手伝いをし、私も曽野綾子会長に随伴し、末席をけがしました。

 新能楽堂は烏丸通を挟んで京都御所と向かい合っています。能の庇護者、足利義満ゆかりの「花の御所」の旧跡に程近く、六百有余年の歴史を持つ能楽にふさわしい場所です。明るいロビーにつながるギャラリー、約束事の多い能の理解を深めるためにイヤホンガイドの設備も用意されるなど新しさを取り入れた能楽堂ですが、舞台は明治初期に造られたものです。百有余年の歴史を刻んだ舞台を後世に残そうと四条室町の旧金剛能楽堂から移築されました。

 祝賀能では、それぞれに味わい深い五流の各流派宗家の仕舞、舞囃子が披露されました。なかでも素人の私が興味深く鑑賞したのは金剛流第26世宗家、金剛永謹(こんごう・ひさのり)さん演じる「翁」でした。

 「翁は能にして能にあらず」?。能は神(脇能)・男(修羅物)・女(鬘物)・狂(雑能)・鬼(切能)と5つに分類されますが、「翁」はどれにも属さず、本来は演能の最初に一座の長によって演じられたものだそうです。現在も正月や慶事など特別な時にしか演じられません。演者は別火精進し、身を清めて舞台に備えるのです。

 それほどまでに大切に扱われる「翁」は、古代日本の天下泰平、五穀豊穣を願う儀式を模したものだといわれます。私は、金剛宗家の舞台を拝見しながら「天の岩戸」の神話を思い起こしていました。

 ♪とうとうたらり たらりら… 呪文とも掛け声ともつかぬ言葉を発しながら粛々と舞う翁の姿は神々しいものでした。おおらかでもあり、土の匂い、原日本の姿という言葉がふさわしい舞台でした。聞けば、金剛流は「舞金剛」といわれ、華麗で躍動的な舞に特徴があります。宗家の躍動的な、かつ男性的な立ち振る舞いに、太平の世を請い願う人々の心と、それを包みこむ神の父性とをみる思いがしました。

 ところで金剛宗家では一子懐妊した妻は日々、能面を見ながら一時を過ごすそうです。鉄は熱いうちに打てといわれますが、胎児のうちから能に触れる、芸の伝承とはかくも凄まじいものかと思い知りました。その胎児からの稽古は、6歳にして父親、身内による本格的な稽古に変わります。能の「一子相伝」とは、父親が厳しい師になるということなのです。

 折から、光森忠勝さんの著書『伝統芸能に学ぶ』(恒文社21)を読む機会がありました。伝統芸能と精神医学の分野から日本人の心の問題に取り組む光森さんは、著書のなかで、日本の伝統芸能の伝承者たちとのインタビューを通し、伝統芸能の伝承には「父性の躾」や「挨拶」が不可欠であると指摘されています。私事ですが、亡父・笹川良一が生前、事あるたびに話していたのが『礼と節』でした。「父性の躾」なくして『礼と節』はない。いまなお亡父を畏怖し、師として尊敬している私には肯首するところの多い指摘でした。

 能楽には数百もの「型」があるといいます。こうした「型」を頭ではなく身体で覚えるためには、師である父親の厳しくも温かな教えが必要だとのことです。翻って、平等と個性の尊重に偏した戦後教育の欠陥からか、世の父親の権威失墜が言われて久しいものがあります。芸の本字「藝」の字源は種や苗を植え付けることを意味するといいます。芸の世界だけではなく、世の親たちが「父性の躾」を自覚し、自らの家庭に植え付ける努力が必要だと思います。

 今回の祝賀能鑑賞は、身の引き締まる思いとともに異次元に遊ぶ心地良さを感じる一時でした。能楽は一昨年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界無形文化遺産に日本からただ一つ指定されました。いま少し腰を据えて、この貴重な伝統文化を見る時間を持ちたいと思う昨今です。
 

新金剛能楽堂がオープン〜古くて新しい歴史の門出〜  
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