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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 不用意な言動?人生何が起こるか分からない  
コラム名: 透明な歳月の光 63  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2003/06/20  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   P・P・リードによって記録された『生存者』によれば、1972年10月、アマチュアのラグビー・チーム16人と彼らの友人身内など25人がチャーターしたウルグアイ空軍の飛行機がアンデス山中に墜落し、乗務員を含む45人は、10週間あまり消息を絶っていた。発見された時、16人のみが生存していたが、彼らは死んだ友人たちの肉を食べていたことが明らかになった。しかしその経緯は、決して陰惨なだけではなかった。そこには、弱い人間の姿と、その弱さを認めた関係者たちの理性的な許しも大きく輝いていた。

 この事件は今でも私の心に1つの大きな戒めとなって残っている。なぜなら当時、多くの人の中に「自分ならその時、友達の肉を食べたか」という問いかけが残ったからである。1人の女流作家は「私はどんなことがあっても、人肉は食べない」と断言した。そして私はと言えば、黙ってはいたが、食べるような気がしていたのである。

 6月15日付けの産経新聞によると、6月2日、38歳になる元海兵隊員のイギリス人が、長さ7メートルの手漕ぎのボートで、サンフランシスコを目的地に約半年かかる単独太平洋無寄港横断の旅に、銚子から出発した。そして12日後の14日、宮城県沖で舵がきかなくなったとして救援を求め、第二管区海上保安本部の巡視船がこのイギリス人を救助した。

 問題はこの人が、出発前のウェブサイト上で「いかなる助けも受けるつもりはない」と言い切っていたことである。

 もちろん助けを求めてくれてよかった。海保は宮城県から660キロも離れた地点まで約1日かけて助けに行かなければならなかったが、人命救助はいかなることにも優先する。海保はこの人から、救助費用すべてとは言わないまでも、せめて油代くらいはもらうべきだ、などと浅ましく考えるのは、私ぐらいのものだろう。

 しかし人間は決して大口をたたくものではない。「いかなる助けも受けるつもりはない」などと、38歳にもなった人間がまだ言うのだろうか。人間いつどんな目に会うかわからない。その場になったら、何をするかわからない。私が今までたまたま犯罪を犯さずに済んでいるのは、私が幸運に恵まれ、優しい人たちが周囲にいてくれたおかげなのである。私は恐らく人がやる程度の悪事と愚かな行為は、いつでもやるだろうと思う。

 私の知人で、若い時、自分は将来体が悪くなったら、治療をせずに死ぬつもりだと断言していた人がいた。その人が今私の知る限りで一番多く健康保険を使っている。人工透析を受けているからだ。

 運命はたいてい予測の裏目に出る。そう思って発言していた方が辻褄が合う。
 



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