共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 歌川 令三  
記事タイトル: エチオピアを知ってますか(上)  
コラム名: 旅日記 地球の裏読み  
出版物名: 月刊ぺるそーな  
出版社名: マキコデザイン株式会社  
発行日: 2003/06  
※この記事は、著者とマキコデザインの許諾を得て転載したものです。
マキコデザインに無断で複製、翻案、送信、頒布するなどマキコデザインの著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   エチオピアは、イメージ上の問題を背負っている国である。2003年4月、この国を訪問した。旅に先立ち知人たちに、さまざまな短評をもらった。「超、暑い国でしょ。砂漠の熱射病に気をつけて」。いわく「あんな危険な国にどうして…」。いわく「食糧の準備はしてあるの」等々だ。戦渦のイラクにでも従軍するような騒ぎだが、日本人のみならず、エチオピアとは砂漠と飢餓と内戦で危険がいっぱいの国と思っている人々が、いまだに世界に多いのではないか。

 たしかにこの20年間、この国に関する報道ぶりは、そう思わせるには十分であった。部分的には当っている点もあるとはいえ、報道によって人々の頭の中に結ばれたこの国の仮想の画像と現実とはやはりかなり違う。エチオピアは貧しい。だが、変化に富む自然の景観、古代から綿々と続く輝ける歴史、そして豊かで多様な独自の文化には、はっとさせられた。出発前、日本語で書かれたエチオピアを紹介する本を探したのだが、1冊もなかった。驚きであった。まさに、知られざるエチオピア。それはどんな国か。シリーズでお伝えする。


≪ ナイル川をさかのぼる ≫

 首都、アジスアベバまで、ローマからエチオピア航空で出かけた。所要時間5時間50分。意外に近かった。イタリアで所用を済ませた後、足を仲ばしたのだが、旅行会社のくれた最初のプランはロンドン経由。ローマからエチオピア行がないはずはない。調べてもらったら、便利な直行便があった。アフリカの国々の航空路線は、緯度に沿って横には行けないが、ヨーロッパとの南北を結ぶ縦の便は結構ある。いずれも旧宗主国との往来のためだ。エチオピアもムッソリーニ時代、短期間ではあるが、イタリアの植民地であったのだ。

 ローマ発のエチオピア航空機で地中海からエジプト上空に入り、ナイル川に沿って、南に向かった。アスワン・ハイ・ダムとおぼしき湖が小さく見える。やがて眼下には、砂漠、これまた砂漠が展開する。だが、この砂漠地帯はエチオピアではなくスーダン領であった。機窓のナイル川はいつまでも視界から去らない。くねくねと曲がりながら、砂漠地帯を源流に向かっている。川を目で追ううちに、突然地上の景色が変わった。グレーと黄土色のツー・トーン・カラーの砂漠がなくなり、茶色と薄緑のまだら模様の高原が出現した。この高原こそが、私のめざしたエチオピアの地であった。

 エチオピア連邦民主共和国(1991年以来、この国の正式名称)は、砂漠の国ではなく、高原の国だ。標高は2000から2400メートル、首都のアジスアベバをはじめ国土の80%は、この中央高原上にある。知らない国を訪れるにはしっかりしたファクト・ブックが必携の書だ。日本語のものはほとんどない。インターネットで、英語の資料を検索するうちに、CIA(米国中央情報局)のThe World Factbook 2002エチオピア編と出合い、持参したのだ。この資料は重宝させてもらった。さすがCIA、簡にして要を得ている。

 エチオピアとはいかなる国か。この国の概論からはじめよう。私のエチオピア紀行の露払いは、恐れ多くもCIA様ということになろうか。まずこの国の政体についてだ。さっそくCIAを引用する。

 「アフリカ54国中、エチオピアはユニークな国だ。古代から続く君主国が、植民地にされずに保たれ、独特の文化を維持した。外国支配の唯一の例外は、1936年〜41年のイタリアによる占領だ。1974年クーデターが発生、軍事政権が誕生した。そして1930年以来、この国を統括していたハイレ・セラシエ皇帝を廃し、社会主義国となった。

 しかし、血みどろの内戦、大旱魃による飢餓、大量の難民発生などで国内は分裂。ソ連寄りの社会主義軍事政権は、1991年エチオピア人民革命民主戦線によって倒され、民主憲法を制定、エチオピア初の民主選挙が実施された」以上が、エチオピア政治の履歴書である。

≪ エチオピア高原と地球の割れ目 ≫

 私が、飛行機からみた茶色と薄緑のまだら模様のエチオピア高原。それはどんなところか。次はこの国の地理入門である。エチオピアは北緯8度に位置するが暑くはない。初めて訪れた首都のアジスアベバの昼下がり、気温は18度、さらっとした空気が心地よい。CIA資料によると、1年を通じて、高原の最高気温は22度、夜間の最低気温は8度だ。国土の面積は日本の約3倍。「海岸線の延長は、0km」とデータ・ブックにあった。このCIA流の表現は、この国には海がないという意味だ。地図をごらんいただきたい。あとちょっとだけ北と東に足を延ばせば、紅海とアラビア海に出られるのに、2つの国(ジプチとエリトリア)にさえぎられている。海が近いのに海なし国とは、窓がない家みたいで、なにか気の毒な気もする。もともとは海があったのだが、歴史的な紆余曲折ののち海を失った。その「紆余曲折」については、のちほど。

 CIA文書を丹念に読むほどに、いささかぶっそうな言葉を見つけた。「エチオピアにはNatural Hazardsあり」と注意を喚起しているのだ。この英語、直訳すれば、「自然の危険地帯」ということになろうか。「地質学的には活動中のGreat Rift Valley(アフリカ大地溝帯)が、地震や火山爆発、ひいては旱魃を引き起こしている」とあった。地溝帯とは地球の巨大な割れ目のことで、地溝があるということは、いづれ大陸がそこから2つに裂けることを告げている。アラビア半島とアフリ力大陸の間に裂け目が出来て海となったのが紅海(旧約聖書の出エジプト記を思い浮かべる)だが、そこから幅40キロ深さ1500メートルの大断層が、エチオピアを東西に真っ二つにして走り、数千キロ南のモザンビークのインド洋まで続いている。だから、エチオピアの大地は、いつの日か割れ目がさらに深くなり、2つのアフリカに分裂することだろう。といっても何百万年という単位の話だが…。


≪ エチオピアの新しい花アジスアベバ ≫

 6700万人。エチオピアの人口である。1935年には、1500万人だったが、60数年で、4倍以上にふくれあがった。アフリカでは、ナイジェリアに次いで2番目に人口が多い。人口増加率は、年々3%になんなんとしている。2020年の推計人口は1億1000万人だ。「だが、エイズの流行で死亡率が上がるので、そこまで人口は増えないかも知れぬ」とCIA・レポート。1人の女性が6.9人の子供を生む。(日本では1.3人)。でも乳幼児死亡率が極端に高く、平均寿命は男43歳、女45歳。国民の10%がエイズにかかっている。経済は貧しい。1人当りGDP(国内総生産)115ドル、世界で3本の指に入る最貧国だ。

 以上が、CIA資料をもとに画いたエチオピアのスケッチだ。「もう沢山だCIA」。そんな事を言われる前に、実録、私のエチオピア紀行に話を戻そう。

 標高2400メートルの首都アジスアベバ。現地語で「新しい花」という意味だと、空港に迎えにきてくれた案内役のタケレさんが教えてくれた。この人は、元エチオピア国農林省の農業普及局長もやったことのある英語を話す知識人だ。2人で街を散策する。

 「アジスアベバの首都としての街づくりがはじまったのは1900年です。それまでは、ここのすぐ北にあるエントト山に皇帝の都があった。敵襲に備えて山城を築いたのだ。だが、皇室の勢力が強大になり、敵の攻撃の心配がなくなり、当時のメネリク皇帝は、山から降りて、温泉の出る平らな高原に都を定めた。オーストラリアから、ユーカリの木を沢山輸入して、植樹した。」

 言われてみれば、首都の中心にある元皇帝の王宮前の舗装された広い道路わきには、ユーカリの大木が目立つ。「ユーカリの根には毒性があり、他の植物を駆逐してしまうので、植樹は失敗だった。だが、切っても切り株から新しい幹と枝がすぐ生えてくるので、燃料に事欠くエチオピアの庶民には貴重な資源」とタケレさんは言う。

≪ タケレさんとロバの問答 ≫

 信号機のある目抜き通りを、たき木を積んだロバが行き交う。たき木売りだ。ロバは今でもエチオピア人の交通手段としては必需品だという。この国の人々は、家畜を財産として保有する習慣がある。ロバ1頭は、USドルで80ドルから100ドルで取引されているとのことだ。

 「Donkeyは、エチオピア農民の小型運搬車兼乗用車でもある。遅いけれども、山登りをさせれば、四輪駆動車よりもはるかにうまくやる」。タケレさんの解説だ。

 ロバの群を、マラソンの練習の一団が、追い抜いていった。エチオピアは、ご存知、世界有数の長距離ランナーを輩出している国だ。酸素の薄い海抜2400メートルの高原で、日課のように走っているのだから、平地の国民よりも心臓が丈夫で、マラソンが得意なのだろう。

 「日本では1964年の東京オリンピック優勝のアベベ・ビキラと女性ランナーのロバが有名だ。今の若い日本人は、エチオピアという国の存在をマラソンで知った」と私。

 「日本人だけじゃない。世界の人々はマラソンという小さなのぞき穴から、エチオピアの実像の一端を知ったんだよ。マラソンがなかったら、ほとんどすべての外国人は、エチオピアとはサブ・サハラのど真ん中にある酷暑の砂漠国だと思うことだろうよ」。タケレさんは、マラソンこそがエチオピア国最高の広告塔だという。

 「日本で人気の女性ランナーのMiss Fatuma Robaは元気か? ところでロバとは日本語ではどういう意味か知ってるかい」。マラソン談議のついでにタケレさんにそう切り出してみた。けげんな面持ちの彼に「辛抱強くよく歩くが、走らせるとノロマのDonkeyを日本語でロバというのだ」と教えたら、しばし笑いころげた。そして、ややあって「いやあ、言語の違いというのは面白いもんだね。ノロマのDonkeyに負けた日本の牝馬マラソン・ランナーたちは口惜しかったろうね」ユーモアたっぷりに切り返してきた。現地の住人とこういう会話が成立すると海外旅行は益々楽しくなってくる。


≪ ルーシーは美人ですか? ≫

 ノロマのDonkey談議ですっかり意気投合したタケレさんに「Miss Lucyに会いたい」。次の訪問先の希望を伝えた。Miss Roba、Miss Lucy。何か語呂合わせみたいだが、これは漫談の外題ではない。2人ともエチオピア生れのれっきとした女性である。でもMiss Lucyの方は、ホモ・サピエンス(現世人類)ではなく、猿人である。猿人とはサルからヒトヘの進化過程の中間段階に相当する化石人類だ。脳の大きさは現世人類の3分の1くらいだが、石器を使用し、直立姿勢をとっていたといわれる。いわば、われわれの一番古いご先祖様筋にあたる人々だが、猿人の故郷は、なんとアフリカ大陸であった。1974年秋、エチオピア高原から、320万年前の若い女性の猿人の化石が発掘された。頭、手足、背骨、骨盤などほぼ完全な形で。ちょうどその時、現場の近くに設営された発掘調査の考古学チームのテントでは、ビートルズの持ち歌「Lucy in the sky」のテープがかかっていたという。そこで彼女はLucyと命名された。「Lucyは、アジスアベバの国立博物館のガラスケースに、横たわっている」とものの本で読んだことがある。以来、一度はご対面をと思っていたのだ。

 「皆さんよくおいでくださいました。あなたは日本から? 遠いところから有難う。Lucyが別室でお待ちです」冗談をまじえつつ、ロンドンで考古学の博士号をとったというエチオピア人の中年学芸員が迎えてくれた。挨拶がわりに聞いてみた。「ルーシーは美人ですか?」「Bony Beauty(骨格がしっかりした美人)です。Skinny Beauty(やせっぽちの美人)じゃないよ」すぐさま洒落た答が返ってきた。ルーシーの遺骨はガラスのケースに横たわっていた。横たわっているのではなくて、30個ほどの骨の断片を人間の骨格を連想させる順番に並べ直したのではないか。一瞬そう思った。


≪ 人類発祥の地はエチオピアだった ≫

 学芸員氏がす速く反応した。「いや。320万年の間、このかたちで横たわっていたのだ。発見されたのは太古には湖のあった場所だがね。この博物館では、現場の遺体の形状を、そのまま復元してある」。

 ルーシーはApe-man(猿人。人間と高等類人猿の中間)だが、V字型のアゴ、骨盤、足の骨、それに歯は、人間そのもの。身長は1メートル10センチ、体重は30キロ弱の若い女性とのことだ。どうして若いとわかるのか。「Wisdom Teeth(親知らず)が、まだ十分に成長していないことが、分析の結果わかったからだ。」と学芸員氏。ルーシーは、Scaevnger(口に入るものは何でも食べる悪食動物)だったが、直立して歩行し、火も使っていたという。

 ホモ・サピエンス。考古学では、われわれ現世人類をそう名づけている。約3万年前からこの地球上に生棲しており、新人類という日本語訳もある。それ以前の人間の祖先を「化石人類」という。その中で一番古株が猿人だ。ルーシーの遺体発見以来エチオピアは人類発祥の地であることが定説になった。なぜルーシーが地球の他の場所ではなくエチオピアに出現したのか。

 「なぜ最初に、アフリカ大陸でサルが人間に転化したのか、それはわからない。でもエチオピア高原が、猿人たちが生活するのに最適の環境であったことは間違いない。太古のエチオピアは水と緑が豊かで、しかも涼しくて、ルーシーたちにとって地球上の楽園だったのだろう。そのため猿人の数が増えていった。だが、この高原を縦断するGreat Rift Valley(前出、アフリカ大地溝帯)の活動が活発になり、火山の爆発や、大地震や森林火災など自然災害が頻発した。やがてルーシーの子孫である猿人たちは、他の大陸に去っていった」。

 学芸員氏がそう解説してくれた。太古のルーシーにとっては、地球の楽園だったエチオピア高原。いま、6000万人もの現代人が住むその大地は楽園とはいい難い。では、何と表現したらよいのか。それは次号のテーマである。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation