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私が働いている日本財団は、2年ほど前に、今のビルに移転した。古い建物を買い全面改装して、「古い新しい社屋」として使うことにしたのある。その時、1階をどう使うかということがいろいろ話し合われたが、私は便利な1階は実用的に使い尽くすことが使命だと思った。日本財団は競艇のお金の3・3パーセントをお預かりして、世界と日本の人道的な仕事をしている。お金の相談をする場は、名実共にガラスばりの場所でしなければならない、と私は思っていた。銀行の融資ご相談室みたいに、閉鎖的な個室では透明性を示せないのである。
しかし私は同時にこの貴重な空間を、できれば複雑に使いたかった。虎ノ門に近い赤坂のいい場所なのだから、助成金のご相談の他、空いている時間はフル活用すべきだと思ったのである。
その結果、現代社会が最も関心のある問題に関する講演会は始終開くようになった。昼休みと夕方からは通りがかりの人が誰でも入れる無料のミニ・コンサートもやっているが、これは演奏会場を見つけにくい若い演奏家たちの発表の場にもなり、関連財団が持っているストラディヴァリウスなどの楽器の音色を聴いて頂けるチャンスでもある。あらゆることにフルにその空間を使ってこそ、仮初めに日本財団が現代の社会から使わせてもらっている建物が生きるのである。
先日そのホールに愛称をつけようという発案があった。まず財団内部の募集の結果を見て、私は開口一番「これはだめよ」と言っ た。最多数が「ふれあい広場」だったのである。かくまで凡庸にして非文学的名称が最多数を占めるとは、と私はがっくりした。NHKでも最近人気のある催しもの会場が「ふれあい広場」だという。NHKはよくもこんな気持ちの悪い命名を許したものだ。
もうここ20年以上も、日本中が何かというと「なかよし」だの「ふれあい」だの「出会い」だの、薄気味悪い人間関係を誇張する言葉でお茶を濁している。これは世界的にみても「異常な」感覚である。「連帯」くらいならわかるが、日本以外の国では、知らない人とはなかなか触れ合ってはいけないものなのだ。もし人が人と接しなければならない時には、責任と用心が必要になって来る。私はこの非文学的名前だけは許さなかった。
他に数人が「バウ・ルーム」というのを推していた。バウは「舳先」の意味でもある。私たちは海上・船舶の仕事にも働いているので、舳先をはっきりと目的の方角に向けることは自然である。かくして日本財団でもっとも働いている空間は「バウ・ルーム」と呼ばれることになった。
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