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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: サダム・フセインの功罪  
コラム名: 私日記 特別篇  
出版物名: VOICE  
出版社名: PHP研究所  
発行日: 2003/06  
※この記事は、著者とPHP研究所の許諾を得て転載したものです。
PHP研究所に無断で複製、翻案、送信、頒布するなどPHP研究所の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
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民主主義を担う「イラク国民」なるものは実在しない
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≪ 「アレルギーなんです!」 ≫

 いつもは、連載の日記を書かせてもらっているが、2003年3月21日から今日4月20日まで、私はほとんど何も特別なことをしていない。もちろん普通に原稿を書き、その間に11日間、日本財団の関係の仕事で出勤した。
 
 ありがたいことに、私はアレルギー性のくしゃみと咳をするだけで、まだSARSと呼ばれる新型の肺炎にもかかっていない。この新しいヴィールス性の病気の流行は今年の大きなニュースとして記録されるだろう。ペストが蔓延した時の体験談では、ダニエル・デフォーの記録がおもしろいが、私たちは常に「未だ知らなかったこと」に直面させられる。未知の事象に困惑させられることがなかったら、人間はどれだけ思い上がることだろう。

 アメリカ・イギリスの連合軍のイラク侵攻の話題一色に塗りつぶされた深刻なマスコミ報道の中で、私は1枚の漫画に笑い転げた。自分のことのように、身につまされたのである。それは『バーミンガム・ニューズ』という新聞に掲載されたスタンティスという漫画家の描いた作品を、日本語版の『ニューズ・ウィーク』が日本語訳をつけて転載したものである。

 民間の旅客機の中から「ゴホッ」という咳がしたかと思うと(それが1枚目)、次の瞬間には、何人もの乗客がばらばらと開けられた飛行機のドアから空中に突き落とされて散っている。咳をしたことで謎の肺炎SARSの患者だと疑われた乗客たちである。中にはそれでも助かろうとして、こうもり傘を落下傘の代わりに開いている往生際の悪いのもいるが、落ちながら抗議する乗客の言葉は、まさに私の科白と同じ思いだ。

 「アレルギーなんです!ただのアレルギーですってば!」

 笑いごとではないのだ。このところ私は、咳をしたらSARSと疑われるだろうと、人のいるところではずっと緊張している。アレルギーのある間は、少なくとも外国旅行には行けない。特にシンガポールは鬼門であみ。機内で咳をした途端、スチュワーデスに睨まれ、チャンギー空港に着くやいなやシンガポール国立病院に強制収容されかねない。

 幸いにもこの春、私は家にいられる。いつも「聖地巡礼」と称して障害者の方たちとこの時期外国へ行っていたので、日本の春のこのたとえようもない絢爛さを見たのは20年ぶりなのである。神さまが、そろそろ春を見せておいてやらなければ、見ずに死んだことを恨むだろう、と思ってご配慮をくださったのだと感謝している。「聖地巡礼」は今年から7月に行くことになった。

 それで私は海の傍の家にべたべたに行っている。今春の我が家の大ニュースといえば、家の庭で嘘のように巨大な野兎に会ったことだ。兎糞があるから兎がいることは間違いないと思っていたのだが、今まで現物を見たことはなかった。初めて紫木蓮の傍にいる姿を見た時、私は若い鹿がいるのだと思った。色が鹿色で、しかも子鹿かと思うほどの大きさだったのである。しかしその次の瞬間、この動物はゆっくりと身を翻して藪の中に消えた。その時、大きな耳がゆらりと動いた。

 畑を作っている者としてはこの侵略者は許しがたい。とっつかまえて兎料理にすることを一瞬考えたのだが、兎を捕まえるのはいかに辛抱がいるかという話をさんざん聞いたこともある。それにここは禁猟区だ。得々として捕獲劇とそれに続く兎料理がおいしかった話を書けば、私は警察で始末書を書かされるだろう。

 他には取り立てて書いておくこともないから、私はやはりアメリカとイギリスのイラク侵攻について触れたいと思う。もっともあまりに感じたことが多すぎて書き切れない思いでもある。私のためらいは、私がアラビストでもなく、アラブ諸国で活躍する日本人のビジネスマンの家族として、イラクの近辺の国で暮らしたこともない。ただ少しばかりアラブの国々を歩いた体験から、彼らの商売の仕方、論理の構築方法、食べ物、土漠とそこにできた宗教、砂嵐や暑さなどを知っているというだけである。

 そして私が今、フセイン政権消滅後の段階で言いたいのは、イラクという国には、私たちが考えるような国家意識とか、民主主義国家をよしとする空気など、全くないということに尽きる。

≪ 誰であろうと、信じてはならない ≫

 バグダッドが陥落した後の4月15日、イラク南部ナシリアで暫定政権設立準備会が開かれた。この日の内容は(フセイン政権を打倒した功労者である)アメリカの主張を取り入れたものになった、と新聞は報じている。

 まず出席したグループは、反フセイン・親米の組織としては、「イラク国民会議(INC)」と「イラク国民合意(INA)」の2つだが、そのうち、前者は米国防相、後者は米情報局が後ろ楯になっているというから、いわば御用組織である。

 他に「立憲君主運動(CMM)」はロンドン・ぺースの王政復古派である。この支持者には階級意識があるだろうし、イラクの貧しい人々の一部は支持するだろうが(残虐の時にい合わせなかった王は、それだけでいい王だと勘違いされるものだ)、アメリカ型の民主主義とは直には結びつかない。

 クルド人勢力としては「クルド民主党(KDP)」、「クルド愛国同盟(PUK)」の2党派が出席した。クルド人たちは、アメリカ軍を歓迎したが、それはクルド人を5000人も化学兵器で虐殺したサダムをやっつけてくれた「敵の敵」ゆえに味方と感じられたからである。こういう形のアメリカとの連帯感は、サダム一味が消滅すればたちどころに反感に変ることは明らかである。クルド人たちはサダムを憎んだ。しかしサダムは憎むことができるほどよく分かる同宗教の支配者だった。しかしブッシュはそうではない。どんなに残虐でも悪くてもサダムなら憎みようがある。しかしブッシュは、全くの破壊的な「よそ者」だ。昨年秋にシリア北部のカミシュリのクルド人たちと接触して、私はその感情の図式がわかったのである。

 最後の一派、テヘランを拠点とする反米派として最大の組織であるイスラム・シーア派の「イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)」は、果たしてアメリカ指導型には追従しないとしてこの会議をボイコットした。

 アメリカ国防省が「後押しする」といわれるイラク国民会議(INC)でさえ、チャラビ代表は会議出席を見合わせて、代表を送ったに留まった。この人物は暫定政権において最大の指導力を一時的に持ち、今のところアフガニスタンのカルザイと同じ印象を持つアメリカの傀儡という感じだが、あまり表に立てば、命の危険もあると感じているのか、暫定政権内でのポストは望まない、と言っている。何しろアフガニスタンのカルザイは、今でも身辺をアメリカ兵に守らせているくらいである。チャラビの言動のシナリオは、米国防省によって子細に練られているのだろうが、この人は「横領容疑で訴追された経緯もあって国民の広範な支持を得るのはむずかしいとみられている」と4月16日付の『毎日新聞』の大木俊治アンマン特派員も報じている。

 総じて今回の戦争については、日本にいてアメリカを全面支持すべしと言って迷わなかった「知識人」たちがいたことと、東京の本社にいてこれもアメリカ支持に徹底した論説委員たちがいたことが1つの特徴であった。

 3月22日、『産経』は「産経抄」欄で次のように述べている。「国連は決して正義や良識の府ではない。各国がおのおのの国益を押し通す寄せ集まりなのだった。それぞれに利害を巡って足を引っ張り合い、機能不全に陥っていた。日本の平和と安全を保障してくれるのは、日米同盟以外にないのである」。

 国連であろうとアメリカであろうと、どの国家であろうと誰であろうと、信じてはならない、と私は昔から教えられた。ことに外国が「日本の平和と安全を保障してくれる」などと思ったり言ったりするのは、その国民に対する裏切りに近い。誰も守るメリットがなければ、外国を守る義務など感じない。足手まといになれば切り捨てる。最後の所では自分の力以外頼りにならない、というのが原則だ。

 もちろん、私が言う「力」なるものは、決して武力だけではないこともこの際明確にしておかねばならない。国家的な知性、先見性、栄枯盛衰に係る哲学、金の力(経済力)、技術力、優秀な労働力集団、国家としての徳性乃至は精神性、漠然とした魅力(マリリン・モンローがいるとかピラミッドがある、とかいうような一見他愛ない好ましさ)、すべての純と不純な要素を柔らかく賢く長い視野で勘案する総合力、にいたるまで、すべてが国力であることは言うまでもない。そして武力は中で一番金がかかるから、できるだけ避けた方がいいものだ。

 しかしアメリカ側につくのが国益なのだ、それを知らないのは愚かな行為だとする知識人たちの大合唱は、根本のところで日本の運命を担っているとは、とうてい思えなかったのである。

 敢えてお名前を出すのだが、4月16日の『産経新聞』の「正論」欄で、田久保忠衛氏は、国連主導を前提に、人道援助など「後方支援」に全力を挙げ、「イラク国民に喜ばれる人的、物的行動をはやくしなければならない」「9・11テロが発生した時からの私の持論は、テロリストおよびそれを支持する独裁国家には先ず民主主義国としての厳然たる態度を示し、かつ日米同盟上の配慮を示すの2点である」と書いておられることに私は深い違和感を感じた。

 田久保氏は私の常日頃尊敬する学者で、私は今までに実にたくさんのことを氏から教わって来たのだが、氏が何の疑いもなく「イラク国民」と書いておられることにも、不安を抱いたのである。

 そもそも氏が言われるような「イラク国民」などと言って1つに括れる人々がイラクにいると思うのは大きな間違いだろう。

 「産経抄」も書いている通り、国連がその「実態と限界」について今回日本国民を目覚めさせてくれたのは、今度の戦争の何より大きな収穫だったが、国連でも防止できなかった乱れなら、「イラク国民」が同じように「それぞれに利害を巡って足を引っ張り合い、機能不全に」陥るのは、火を見るより明らかなのである。同様にアメリカも「利害を巡って」すぐ日米安保くらいホゴにするだろう、と私も思うのだ。


≪ サダムの功績 ≫

 4月18日、シーア派の聖地・カルバラでは「地域の再建を担う評議会が樹立され、事実上の『自治』に動き出した」と『産経新聞』は報じた。これはイラクの人口の6割を占めるシーア派によって行われたもので、ナシリアの暫定政権設立準備会に加わらなかったイラク・イスラム革命最高評議会の系統の集会である。ナシリアの暫定政権設立準備会では、反体制派が「13項目声明」というものを発表したが、その第1項目には確かに「イラクは民主的であるべきだ」という文言がある。しかしカルバラでは、ハキーム代表が「西欧的な民主主義は(われわれの)民主主義ではない」とはっきりその意識の差を打ち出している。イラク・イスラム革命最高評議会の言うようなイラク的民主主義なるものを??私はまだ見たこともないものだから??先入観なしに期待する外はない。それでこそ長生きする甲斐があったというものだ。

 確かにオリンピックやサッカーの試合では、人々はイラクの国旗の元に戦うであろう。また暫定政権設立準備会で採択された声明にのっけから「イラクは民主的であるべきだ」と書いてあるのは、当然スポンサーであるアメリカに配慮したものだが、それだからこそ、この文言に改めて不自然な空虚さを感じるのである。

 彼らは確かに外国に対しては「イラクの」という言葉遣いをし、「1つのイラクという国家」の概念を掲げて交渉するだろう。これは1つの括り方だが、それは内側がぐずぐずであるという混乱状態を隠す包み紙(ラッピング・ペーパーの役を果たすものである、と私は感じている。

 今は「おとりつぶし」の憂き目に遭っているバース党さえも、何とかしてイラクの部族社会を、近代的国家風にまとめようとして、バース党を作ったのである。『産経新聞』は4月10日付の近藤豊和ワシントン特派員の記事として、そのバース党は「地方支部を通じ、最重要の地方有力者らには特別手当として500万ディナール(イラク戦前で約1700ドルに相当)が年間17回にわたって提供され、党地方支部幹部らにも各10万ディナールが同様に渡されていた」と書いている。つまり「恐怖とカネ」の2つで人々を締め上げていたというのだが、出した方も出した方なら、受け取った方も受け取った方だ。欲得以外には、まとまりようがなかったのである。同紙の中東調査会客員教授・大野元裕氏の大変有意義な連載記事「サッダームとバアス党」によれば次のようになる。

 「近現代のイラクの歴史は、農業に基づく地方勢力である部族との緊張関係の歴史」であったが、国連制裁下のイラクは石油と食糧の交換取り引きによって奇妙な安定を見た、という。つまり石油代金を元に輸出された人道物資は「基本的に、イラク政府からの配給として国民に渡った。この結果、イラク国民にも一定量の食糧が行き渡るようになり、政府に抵抗しない限りにおいては、死ぬことはないが、将来に何の展望も抱けない状態が現れた。(中略)政府と連合関係にないシーア派の部族などは、かねてより政権による組織の分断の対象になっていたが、ここでは、政府と連合して来た部族すら、その力を大きく減じたのであった」。これは一種のサダムの功績、イラク近代化に向けての初めての試みというふうに素人には見えるのである。

 もちろんこのような状態は、さまざまのグループが方向性の選択肢を失い、バース政権を支持する以外になくなったからだということも、大野氏によって指摘されているが、それでもバース党の時代に初めてイラクが国家的統一性を持とうとし始めた、と言うことはできそうである。バース党の解体が行われた今、今後近未来のイラクがアメリカの言うような「民主主義国家」を作り、「イラク国民」なるものが出現するとは、私にはとうてい思われない。

 歴史は繰り返すと言ってもいいし、人間は変わらないと言ってもいいのだが、サダムが消えた後の暫定政権設立準備会に集まった人々は、程度の差こそあれ、皆サダムによく似た強欲で頑固な人々なのである。その基本的関心は、自分の率いる部族にとって今回の政治的変化はどう得になるか、他部族にその利得を許すことはできない、という情熱だけだ。ナシリアの暫定政権設立準備会に出席した派閥の長たちが、アメリカ主導型の13項目声明を取りあえず採択するのに賛成したのは、ともかくその場にいなければ次の主導権争いの権利を失うからである。主導権というのは、権利でもあるが、具体的には、誰が(どの部族の長が)どれだけ金を握れるか、ということだ。

 普遍的「イラク国民」などというものを想定できないのは、アラブ全般が徹底した部族社会で、歴史的に「同部族・同宗教」しか信じていないからである。サダム政権の主だった人物が、ほとんどサダムの従兄弟か又従兄弟か異母兄弟か親戚に当たるという事実をみれば、アメリカ型の民主主義などというものが容易に定着するものではないということは明らかである。そしてそれは決してサダム政権だけの特徴ではないのだ。

 イラク国民会議にしたところで、30以上の組織の連合体だという。組織は必ず対立し、譲らない。日本人と違ってアラブ人は相手の立場を思いやって譲る、などということはない文化だから、必ず不協和音が起きる。

 クルド民主党の説明には、どの新聞も「46年(45年と書いている新聞もある)設立。部族を中心に約1万5000人(2万人という新聞もある)」と解説しているが、「部族を中心に」という表現だけは共通している。部族というのは利害と感情が対立していて、それを譲らないから、部族なのである。

 キルクークというたった1つの市でさえ、部族の長たちが戦後復興のために18の委員会を作った、という。この18は、日本の「町会連合会」とは違う。それぞれ自分の部族の利益を強固に代表して譲らない。譲る時は弱い時なのである。


≪ この戦争で記録すべきこと ≫

 暫定政権設立準備会がナシリアで開かれたのは、そこがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大宗教が共に父祖とする預言者アブラハムの生誕地だからだという。しかしここの市民たちは暫定政権設立準備会には入れてもらえなかった。そして地元部族の長、アシェール・パジャールさん(55)は、「勝手に人を集めて会合を開き、我々市民には参加どころか中身も聞かせない」と言ったと、4月16日付の『毎日新聞』は伝えている。ここでもまたも部族の長が権利を主張しに出て来ているのである。

 彼らは、今まで民主主義などというものを見たこともなく、従ってそれをいいものだと思うこともなく生きて来た。彼らは族長に率いられる生活しかしたことがなかった。非民主主義的部族社会こそ、いいにせよ悪いにせよ彼らの生きる地盤だったのである。だからサダムの故郷ティクリートで、「サダムが良かろうが悪かろうが、我々には必要な人物なんだ」というタクシー運転手の言葉が重みを持つのである。(『毎日新聞』、4月22日付)

 日本人は長い間国民全体に及んだ教育の普及、皇室を中心にした国家的求心力、上質な電力の普及による自由な民意の広範囲な伝達が可能だったことの3つの要素によって、民主主義を受け入れてそれを消化できた。しかしイラクが同じ経過を辿ると思ったら大きな間違いである。部族の長たちの、戦後復興資金のぶんどり合戦を、国連にせよ、米英にせよ、日本の外務省にせよ、いったいどのように捌くのか、私は刮目して見守りたいと思う。

 米英連合軍のイラク侵攻は第2フェーズに入ったが、私は不真面目な人間だから、この戦争で記録すべき、或いは今後長くその裏の理由を考え続けて行くべきいくつかのエピソードを記録しておきたい。

 1つはまさに犠牲者の心情など全く考えないで作られた実によくできた笑い話で、『産経新聞』4月18日付の内藤泰朗記者が「赤の広場で」という囲みものの中で書いている。

 「フセイン大統領が『われわれは英国の爆撃機を撃墜した』と発表した。ブッシュ大統領は、即座に反論した。『違う!われわれがやったんだ』」

 これほどおかしい笑い話は、相当に愛憎共に深くなければ作れるものではない。

 捕虜になった19歳のジェシカ・リンチ兵士が救出された話の陰で、長いこと捕虜になって消息がわからなかった5人の507補給中隊の兵士たちが、テレビで語ったことも英字新聞には記録されている。彼らは炊事兵、兵站勤務兵、技術兵などでナシリア付近で捕らわれたのであった。

 イラク兵たちは、初め彼らを取り囲み、押し倒し、蹴ったり、殴ったりした。5人のうちの1人の女性炊事兵、ショシャナ・ジョンソン(30)は両足を撃たれていて歩けなかった。イラク兵たちは初め彼女の、核兵器、化学兵器、生物兵器防護用の服を掴んだりしたが、彼女が女性だとわかると、急に手荒な真似はしなくなった。ここが不思議なところだ。保守的なアラブの国では、女は羊と同じ一種の財産だから、大切にする。他人にも見せないし、1人で外へも出さないし、人口調査の時には申告しない、という空気もある。2日後に、彼らはバグダッドの警察署だと思われる所に送られ、傷の手当てを受け、青と黄色の縞のパジャマを与えられた。食事は日に2度か3度、監視人と同じ米、鶏肉、パン、水、甘いアラブ風の紅茶を与えられた。つまり差別はなかった。

 「医者は私に、イラクの人たちが人間性を持っていることを知らせるために、充分な治療をする、と言ったんです」

 ショシャナは証言する。そこで彼女は3カ所の足首の手術を受けた。尋問も表向きは親しさを感じさせるものだった。質問は米軍の配置から政治的非難までさまざまであった。

 同じ時に捕虜になっていたジョセフ・ハドソンは言う。

 「尋問する奴は聞くんだ。何故お前は女性や子供を殺すんだ、ってね。俺は『命令に従ったまでです。知りません』とこの2つしか答えなかった。それで奴らはすぐ諦めたようだよ」

 パトリック・ミラーは言う。

 「捕虜になって最初に、俺の方から奴らに聞いたことは『俺を殺すつもりか』ってことだった。奴らは『ノー』と言ったけどね、俺は信じなかったよ」

 これらの証書は、百千の公式見解より、迫真性をもって、我々に両者の心理とイラクの現状を示してくれる。私はこれからも、この言葉の持つ背後の意味を、アラブの文化の中に探して行きたいと思っている。
 



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