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2年前、政権発足直後の施政方針演説で小泉純一郎首相が引用したことから、「米百俵」の物語は一時期、市井の話題を呼びました。
明治に時代が移る1868年、戊辰戦争で幕府側に立った河井継之助率いる長岡藩は官軍に敗れ、領地は焦土と化しました。禄高が3分の1以下に減らされた長岡藩は困窮し飢餓状態となり、隣藩から義援米として「米百俵」が送られてきました。そのとき藩の指導者である髭の大参事、小林虎三郎は米を人々に配らず、売って人材育成のための国漢学校設立に用立てようとしました。
小林は今日の糧に使えとする他の藩士たちと軋轢を起こしながらも初心を貫き、長岡は有為の人材を輩出しました。逸話は「路傍の石」で知られる作家、山本有三によって戯曲化され、教育の大切さを訴える史劇として教材にもなりました。
今年2月末、私は中米ホンジュラスにあるサモラノ大学を訪れました。農学分野では中南米屈指のこの大学には中南米12カ国からの留学生がおり、日本財団が実施している奨学金を直接、彼らに授与する目的でした。日本の3分の1ほどの面積のホンジュラスは、人口658万人(推定)、国際通貨基金(IMF)が重債務国に認定する貧しい国です。
一夕、駐在されている竹元正美大使が同国の政官民各分野の要人を招いて夕食会を催してくださいました。宴のはじめのスピーチで竹元大使は、国造りにとっていかに教育が大切かを「米百俵」の物語を披露しながら懇々と説かれました。
ホンジュラスは「あしたはあしたの風が吹く」のお国柄。正直なところ、どの程度理解されるか大いに興味がありました。しかし、宴に出席した人々は傾聴することしきり、大きな拍手とともに懸念は杞憂に終わりました。
竹元大使はマドゥロ大統領や閣僚に会った折々に、「米百俵」の逸話を引用し、発展途上国にとっての人づくりの重要性を説いたとのことです。大統領はいたくこの逸話に感激し、バトレス文化大臣を中心とする特別プロジェクトを立ち上げました。山本有三の「米百俵」をスペイン語に翻訳、まずホンジュラス各地で上演し、ゆくゆくは中南米各国で上演していこうというものです。
幸い「米百俵」は米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーン博士による英訳があります。バトレス文化大臣自らスペイン語に翻訳され、竹元大使は公務の合間に版権問題の処理や小道具揃えにあたり、5月に初公演する運びとなりました。
外務省批判が噴出して久しい昨今です。居間に高価な絵画を飾り、ワインの吟味に蘊蓄を傾けるというのが、大方の描く大使像となっています。しかし、フットワークよろしく額に汗して活躍しているさわやかな人材もいるのです。
発展途上国への政府開発援助(ODA)のあり方については、ハードからソフトへの質的転換が叫ばれています。竹元大使の尽力によるホンジュラスでの「米百俵」上演は、今後の日本の対外援助のあり方を考える上で何らかのヒントを示唆しているように思われます。現地の事情を的確に把握し、その国の将来を見据えた援助の必要性です。援助の多寡ではなく、被援助国への思いやりこそが重要なのです。
各国から選抜されたサモラノ大学に在籍する学生たちは優秀と折り紙がついています。にもかかわらず、彼らの日本に関する知識は極めて低く、トヨタやホンダは知っていても日本人が英語やスペイン語ではなく日本語を話すことすら知らないものもいます。経済援助も結構ですが、それ以前に「日本」を理解してもらう努力が先決です。
翻って、昨今の日本では世に人物の払底を嘆く声が巻き起こっています。仮に人物払底が事実ならば、小林虎三郎のような長期的展望にたった人物の欠如でしょう。
小林虎三郎は、「明日の長岡を考える。明日の日本を考えろ。その為には人材育成だ」と叫びました。真の指導者は民の声に媚びるだけではなく、国家百年の計をたてよと泉下の小林は髭を震わせ慨嘆しているに違いありません。
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