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現代のイラクにどの程度その片鱗が残っているのかわからないのだが、『砂漠のアラブ』という名著を書いたH・R・P・ディクソンが、日本の歌舞伎か、ヴェルディのオペラにもなりそうなベドウィン(放牧民)の悲劇を書いていたのを思い出した。ディクソンがクウェートの族長から聞いた話で、1927年頃に起きた実話だという。
クウェートに住んでいたムタイル族の1人の寡婦には、3人の息子がいた。或る日のこと、彼女の長男は次男と些細なことから市場で喧嘩を始め、かっとした長男が次男の胸を撃った。次男は心臓を貫かれて即死した。犯人の長男はその場で取り押さえられた。
そこでハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」の同害復讐法が登場する。族長はこの母に、次男を殺害した長男にはいかなる刑罰を望むかを尋ねた。するとこの母は「命を」と答えた。一般に人を殺したら、殺された人の親族から報復として命を取られても仕方がないのである。母は末の三男を呼び、ただちに長兄を撃つように命じた。
族長は恐れを感じた。この決定は母としてあまりにも不自然だ。三男には兄殺しを強い、母は2人の息子を失うことになる。数日間よく考えるようにと族長は母に命じた。
しかしこの母の考えは強硬だった。兄たち2人と非常に仲のよかった三男は、市場に連行され、無理やりにライフルを持たされて、次兄の心臓を狙って撃つように命じられた。同害復讐法は、攻撃された部位と同じ所を撃たねばならないのである。しかし三男は的を狙うことさえせず、与えられたライフルを放り出し、最後には意識を失った。刑の執行は族長の護衛によって行われた。土地のベドウィンたちが、この母の決定に賛同したからである。しかし三男はそれ以後、母を養うこともせず、母を捨てて去って行った。
女性はしばしば優しくもなれば、頑強に正義に頼ろうともする。多分弱いからだろう。
さて大勢が闘う戦闘では、特別に一騎討ちにならない限り、このような血債は支払われないことになっているという。そのためにベドウィンは闘う時にはカフィーヤと呼ばれる頭巾を、眼だけ出して顔の廻りに巻き付け、アガールという頭巾用のロープの上に端をたくし上げて、個人が識別できないようにする。
イラクの沼沢地方に住む部族の間では、殺した男が血債を支払った後、さらに自分の姉か娘を、自分が殺した男の最も近い血縁の男に嫁がせる習慣もあったという。そこに生まれる子供たちが憎しみを消すという希望のためである。しかしこうした習慣は、族長制を取るアラブやベドウィンの間にはない、とディクソンは書いている。どれも私たちには強烈過ぎる感情だが、荒野は恐らくそうしたけじめを必要としたのである。
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