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最近のイラク問題に関して私が最も頻繁に聞く言葉は、「理念じゃない。(日本と米国のすべての動きは)国益なんですよ」という説明である。これは政治と経済にうとい私にとっても大切な視点なのだが、同時に私が接したアラブの一般の人たちの言動を思いだすと、どうしても納得がいかないことも出て来る。
総理は茂木外務副大臣を特使としてイラクに派遣して「我が国が平和的解決に向けてできるだけの外務努力をしたい」と思っていることを伝えるつもりだというが、こんな「お取り込み」最中にそんな迂遠なことを言いに来る特使はじゃまなだけだろう。湾岸戦争の時にも、土壇場になって土井たか子氏がミッテラン(当時仏大統領)やサダム・フセインに会いに行って、何も効果がなかった。
アラブに影響力を持とうと思ったら、常日頃の誠実を見せ続けておくしかない、と私はその時も書いた。或いは、新参者で面識はなくても、手土産があればいいはずだ。茂木副大臣は長いアラブ外交の実績をお持ちかもしれないし、お土産に何を持参されるのか国民は知らされていないから何とも言えないのだけれど、慎みを欠いた言い方をすれば、手土産は「役に立つなら」何でもいいはずだ。喧嘩の時に助けてくれる約束、金、武器、女、名馬、他アラブの族長的支配者が何を望むのか、もちろん時代性もあるから私にはよくわからないが、とにかく日本人ともアメリカ人とも違う発想の希望があるはずである。
何度も書いていることだが、彼らは、民主主義的国家とは全く別の世界に生きている。アメリカが民主主義と、理念で構築した多民族を擁する国家の正義を表向きの旗印として結束しているのに対し、イラクは今でもなお族長支配と、何より「神の思し召し」が優先する信仰に密着した世界を生きている。周辺は、部族と、宗教上の派閥間の抗争が日常茶飯事となっている土地である。クルドの虐殺もその一つだろう。ただ昔は素朴なものだった抗争の武器が近年は化学兵器やミサイルになって来ただけだ。
経済制裁を受けて深刻に困るのは先進国だけで、イラクの人々はサダム・フセイン以前から、辺境に住む金のないうちの子は、ろくろく医療も受けられずに死ぬ運命だと考えて来たろう。
もちろん私がこうした事態を容認しているのではない。しかし突然日本の政治家やNGOが出て行って「平和が大切だ」などと説教するのは、あまりにもピント外れである。
アラブは、表向きの崇高な建前の陰で、凄まじい裏の本音で生きる人たちだ。たとえ敵であっても、空腹とか傷に苦しむ人はとりあえず救うのが建前だが、それ以外、デリケートに他人の立場を思いやったりすることは全くない。それだけ、現実的で強い人たちだと思うのがいい。
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