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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ものごとの正当性?善悪と必要悪は分けて理解を  
コラム名: 透明な歳月の光 44  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2003/02/07  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   万引きをした少年が、正直に学校や名前を告げないので、店主が警察に通報した。警察官の取り調べに対しても黙秘したので、署に連行しようとした矢先、少年は逃げ出して電車に跳ねられて死亡した。

 すると店主に対して、少年を殺したのはお前の責任だ、という内容の匿名の電話がかかって、店主は一時店を閉めることさえ決心した。その後、励ましの電話が相次いで、再開店を考えだした、というところまでが私の知識である。

 これは常に弱者を正当とする日本人の精神的流行を如実に表したものである。

 万引きに対して日本人はその重大性も考えず、恥の観念も欠き、少年を叱らない「ものわかりのいい人」ばかりを演じようとして来た。万引きは単純に泥棒なのだから、人間としてまず万引きをしない人になりなさい、とは親も世間も言わない。有名タレントまでが、万引きなんか誰でも当たり前にしてることだと言っても、世間から糾弾されることはなかった。

 先頃、或る新聞に癌で倒れた記者が、死の直前まで自分の病状を記録し続けた話が掲載されて読者を集めた。私も物書きの一人だから、その思いは充分すぎるほどわかる。しかしそういう執念は、ほとんど誰もが持つものだ。

 決して死者をおとしめるわけではないが、この方は大酒を飲む方だったらしい。新聞はせめて、健康のために酒は節制すべきだ、と一言書くべきだ、と私は思った。世間には地味に節制して、黙々と誠実な生涯を生き通した「偉大な」庶民たちが私たちの周辺にいくらでもいる。その人たちのことが記事にならないのは、やはり記者たちの力量を存分に生かしていなかったという感じである。

 ホームレスを苛めたり、殺したりすることに正当性があるわけはない。しかし同時に人間は、耐えてまじめに働かなければ、家族とも別れて、寒さや飢えに苦しみ、時には凍死することにもなる、とも教えて当然だ。ホームレスが出るのは行政の怠慢の結果だ、というだけでは、単純すぎる人道主義の臭気が匂ってきて、私のような不純な精神の持ち主を納得させない。

 2002年12月10日のノーベル平和賞の授賞式において、カーター元大統領はスピーチの最後の部分を次のようにしめくくっている。

 「戦争は時には、必要悪である場合があるでしょう。しかしどれほど必要であろうと、それは常に悪であって、善であることはありません」

 これは明快な真理である。

 カーター氏は、戦争が必要悪である場合もある、と言った。日本人との違いはこの点である。日本人は、戦争が必要である場合があるということと、それがいつでも常に悪であることとの双方を、決して同時に、苦悩のうちに認めることができないのである。
 



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