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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: 日中関係?政官民問わず信頼関係を  
コラム名: 新地球巷談 18  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2003/01/27  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   年が改まり、昨年11月に発足した中国の新指導体制について私見を求められることが増えました。中国問題の専門家ではないのですが、種々のプロジェクトを通じ中国要人との接触の機会は多い方です。特に胡錦濤・中国共産党総書記への月旦と今後の日中関係をよく尋ねられます。

 胡錦濤さんは「透明人間」「影なき男」と呼ばれるようにエピソードの極めて少ない人物です。だからこそ興味を強くひくのかもしれません。

 私は過去3回、胡錦濤さんにお目にかかりました。最初は1994年10月、人民大会堂での笹川日中友好基金の記念行事でした。当時の肩書は中央政治局常務委員。いずれの時も、中国側事務方が会談前に必ず行うブリーフィングでの私の経歴を正確に記憶し咀嚼されていました。中国要人としては珍しいことなので驚きました。文化大革命の嵐のなか甘粛省やチベット自治区という辺境に留め置かれ、苛烈な環境を耐え抜いたにもかかわらず、眉目秀麗、物腰の柔らかなそつのない調整型の人との印象を強く受けました。

 西側メディアでは、江沢民院政下で軍を掌握できなかった胡錦濤さんには新機軸は打ち出せないとする“操り人形”説が多いようです。が、私はこの説を採りません。時間がかかるかもしれませんが、いずれは「権力は自立する」ものだと思っているからです。新指導体制では「知日派」の筆頭といわれている曾慶紅・常務委員らと組んで、敵を作らず持たずの人柄を生かして日中間に新たな一時代を構築するべく柔軟路線を展開するものと期待しています。

 ところで昨年は日中国交正常化30周年でした。延べ200人を超える国会議員が雲霞の如く北京を訪問し、日中友好の重要性を口にしました。しかし、この時期、日中間には30周年を心から祝賀する雰囲気はありませんでした。小泉純一郎首相の靖国神社参拝や瀋陽の日本総領事館で起きた亡命者連行事件が理由だったのでしょうか、中国は防衛庁長官の訪中や人民解放軍艦艇の来日をキャンセルしました。

 江沢民国家主席の相も変わらぬ「歴史を鑑とせよ」の繰り返しのなか、金太郎飴の如く日中友好を唱える国会議員や文化人は、誰一人として日中友好30周年の総括をしていません。これからの30年の展望を語った人もいませんでした。

 日本は、1989年の天安門事件を契機とした西側諸国の経済制裁のなか、ヒューストン・サミットで制裁解除を主張し第3次円借款が再開されました。これが中国の改革開放路線の発展に果たした役割は大きなものがあります。また、日中国交正常化以降、2兆円を超える政府開発援助(ODA)と7兆円を超える日本輸出入銀行による支援を行っています。

 国是として武器輸出を禁止している日本と日本人の平和希求への真摯な態度も含めて、中国人に分かりやすくきちんと説明する努力を怠ってきた責任は日本側にあります。「自分たちがした良いことを口にしないことを美徳とする」日本人のあり方は、いまや国際社会のなかで大きな欠点にすらなっています。

 隣国との関係というのは、世界中どこを見ましても、実に微妙なものです。長く平和が続いた歴史はありません。率直な議論を通じてお互いの相違点を知ることが大切です。お互いの違いを認めるという大人の度量がなければ、真の友好は生まれないでしょう。

 かつて日中国交正常化以前にかわされたLT貿易交渉の際、亡き周恩来首相をして、真の日本人と感嘆させた故高碕達之助のように正々堂々、主義主張を述べることが、真に2国間の友好確立のために不可欠です。

 「歴史を鑑」とすることには異存はありませんが、20世紀の一時期のみを歴史としてとらえることは良くありません。日中友好2000年の歴史を鑑として、未来に向かって進みたいものです。主義主張は別にして、政官民を問わず、日中間に1人でも多く、心から信頼できる人間関係を築いてもらいたいものです。
 



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