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≪ 徳と卑屈とを混同してはいないか ≫
たまたま読んだ12月22日付けの毎日新聞が報道したのだが、中国を訪問した奥田碩・日本経団連会長など日中経済協力会訪中団が、北京で予定されていた中国指導部との会見を直前になってキャンセルされたニュースは、かなり重要な問題を示していると思う。
この訪中団は、今回が28回目だが、経済界の訪中団としては今までで最大規模だったという。これまでは江沢民国家主席や朱鎔基首相ら指導部が会っていたが、今回は「来春、首相昇格が確実視される温家宝副首相が出席する予定だった」。
日本経団連側では、胡錦濤総書記とも会見を申し込んでいたが、1人も顔を出さず、温家宝氏も約束をすっぽかした。一行はシンポジウムを開き、対外貿易経済協力相と会談し、夕食会には国務委員の呉儀女子が出たという。この方は、先日日本財団が、日中国交回復30周年記念にストラディヴァリウス音楽会を北京で行った際も政府要人側から出てこられた堂々たる女性大臣である。
日本経済が冷え込んでいるから、訪中団も最大規模になったのかどうかわからないけれど、少なくともそんなふうに足元を見られそうなほどたくさん押しかけて何をするのか、という感じはする。比較するのは失礼だが、ブランド店の開店売り出しに、前夜から列を作る日本人女性たちの姿を連想してしまうくらいだ。実は北京観光が目的なら、それだけ別に日本経団連が豪華な企画をなされば、パトカーつきの「特権階級」観光も思いのままだ。
あちらさまがお忙しければ、奥田会長も恐らく日本を出るに当たって無理して整理して出て来られたに違いないほかのたくさんのご用事を思い出して、急遽帰国されてもよかったように思う。
日本の社会において、寛容は1つの個人的徳だということはまちがいないが、このごろ、この徳と卑屈が混同される場合が多い。
どうしてそんなに国家主席や総書記に会いたがるのだろうか。現在の中国が、めざましい個人的企業の発達段階にあるなら、日本の経営者たちは、実力のある個人企業家や新しく台頭して来た資本家にこそ会うべきで、国家要人などに会っていたら、彼らの、公私さまざま多岐にわたる利益誘導の計画に組み込まれるだけだろう。
偉い人に会いたがる趣味というものは、権力主義の惨めな表れとして、趣味も悪く、自分に自信がないことの告白でもあり、今後の商売で足元を見透かされる結果になることも見えすいている。今後の経済戦略の上で決して望ましい結果を生むものとは思えない。冷静な現実主義だけが、まともな戦略に寄与するだろう。
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