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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 日本人よ、愛国心を語れ  
コラム名: 特別対談  
出版物名: VOICE  
出版社名: PHP研究所  
発行日: 2003/01  
※この記事は、著者とPHP研究所の許諾を得て転載したものです。
PHP研究所に無断で複製、翻案、送信、頒布するなどPHP研究所の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
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緊張感と責任感なき国家は国際社会では通用しない
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≪ 「鍋釜並み」の必需品 ≫


石原慎太郎(東京都知事)
 今回は「愛国心」というテーマで曽野さんと話をしていくのですが、「愛国」という言葉については、以前こんなことがありました。突然外国人の記者から「ワンクエスション、アー・ユー・ナショナリスト?」と聞かれた。それで私は「ホワイ・ノット」、つまり「当然だろう」と。優れた政治家で、ナショナリストじゃない人物はいないでしょう、ドゴールもチャーチルもケネディも、みんなそうだろうと。しかしこの「ナショナリスト」という表現は誤解を生みやすい。ほんとうはそういうとき、「アイム・パトリオット」といわなければならなかったんですよね。


曽野
 英語だとそういうことがありますね。ワイズとクレバーもそうでしょう。クレバーはただの利口だけど、ワイズだと思慮深いとか、判断力があるという意味になる。


石原
 ナショナリストというと、どうも民族的で排他性の強い人物という印象をもたれるらしい。


曽野
 この次からは「日本語で聞いてください」といいましょう(笑)。


石原
 でも日本語でも「愛国者」というと、当節はなんとなくいかがわしいイメージになってしまうでしょう。


曽野
 「愛国」という言葉はまだかなり恐れられていますね。近頃出された、教育基本法改正に向けての中間報告でも、「国を愛する心」という表現をとっているでしょう。内容は「愛国心」と同じなのに。

 「国を愛する心」という言い方は迂遠でね。同じことを表現するのなら短いほうがいいに決まってるんです。それに愛国心を悪いといっている国は、世界のどこにもないのよね。国旗と国歌のない国がないのと同じ、ですよ。『Voice』の11月号の原稿でも書いたんですが、私は愛国心というのは「鍋釜並み」の必需品だと思う。衆を恃んで人間が生き抜くために必要不可欠なものなんです。


石原
 「国家をどう捉えるか」を表現するのはなかなか難しいけれど、たとえばその語源かち考えると、国家は英語でいうとネイション。このネイションの語源であるナチオは、ローマ帝国時代のボローニャの学校で使われていた言葉なんです。

 そこにはさまざまな民族、文化を抱えた広大なローマ帝国の各地方から大勢の学生が集まっていたのですが、彼らはふだん、共通語であるラテン語で話をする。その一方、同じ地方の学生たちが集まって、地方の言葉を話す県人会のようなものもあった。それをナチオと呼んでいたのです。つまり軍事力、経済力でローマ帝国に統括されていても、お祭りや食べ物といったそれぞれの民族の文化・風習はきちんと残っている。その共通項を踏まえた同士が1つのグループとなり、それが国家という言葉の語源となった。


曽野
 「いなかっぺの集まり」というわけですね。いい意味でも悪い意味でも、われわれはみんな「かっぺ」なんです。だから私は、すき焼きの味付けだけはしないことにしてます。どんな味につくっても、「うちのほうが、もっとおいしい」と文句をいわれるから(笑)。でも、それはいいことなんです。

 愛国心というとどうして恐れられるのか、私にはわからないですね。「国を愛する」ことの本当の意味は「他人に仕える」ということなんです。子どもの友だちとか、同じ町内に住む人、同じ会社に勤める人、同じ地方出身の人などに仕えるということで、何も悪いことじゃない。ところが戦後の教育では「要求することが人権だ」としか教えない。だから人に仕えるという感覚が、日本人の意識からほとんど消え去ってしまったんです。

 私、「地球人」という言葉を聞くと、すごくいやな気持ちがします。誰を相手にしているのか、まったくわからない。誰も個性がありすぎて地球人にだけはなれないんですけど。


石原
 そうですね。文明の自業自得で人間という種の持続性が危なくなってきたから、にわかに自分たちの存在の舞台である地球を持ち出してきたのかもしれないけれど。このごろ妙に「地球にやさしい何々」とかいう標語を使いたがるでしょう。あれ、ちゃんちゃらおかしいね。

≪ 200年後のために木を育てる心 ≫


曽野
 先日ある会合に出たら、日本の木材の話になったんです。国産の木材はものすごく高いんですって。ただ、育てた以上は伐採して利用しなければならないから、「ぜひ使ってほしい」と林野庁がいうんです。「高いけれど使ってください」というのなら、頼める理由は1つしかない。愛国心に基づいて「この国のために」というしかないのです。それ以外に、どうやって買ってもらう方法があります?

 そういうときは、ちゃんと「愛国心で買ってください」といってほしいと思う。そうすれば「いやだ」という人と、「それならお国のために買おう」という人が出てきますよね。


石原
 アメリカ政府も以前、「バイ・アメリカン」運動でアメリカ製品を買うように国民に訴えていましたがね。結局、それはあきらめて、ものづくりは日本や他国に任せる代わりに「相手が儲けたお金の使い道は、自分たちが組み立てた金融システムに乗せて決める、という経済戦略を立ててきた。あれだって、自分を守るという、一種の愛国的な戦略ですね。それに手玉にとられて、いまじゃあアメリカの金融奴隷に成り下がったのが日本人です。


曽野
 うちの財団には100人近い職員がいるんですが、けっこう海外出張があるのです。このとき、できるだけ日本の航空会社を使うことにしています。でも癪にさわるのは、せっかくそうして使っているのに、日本の航空会社はちっとも勉強しないことですね。とにかくサービスが悪い。華やかさとか、愛想のよさが外国の航空会社とは全然違うでしょう。シートの快適さも違うし。そういう点が残念です。理由は、たぶん会社の偉い人たちが「敵状」を探りに、他社の飛行機で出張しないからでしょうね。「井の中の蛙」になってしまう。

 アラブ首長国連邦の航空会社はすごいんですって。イスラム教国だからお酒が出ないと思ったら、とんでもない。世界各国からイスラム教徒でない美女を集めてスチュワーデスとして乗せている。お酒もどんどん出す。なにしろ「あれは最高に素晴らしい」と、インド人のカトリックの神父がいうほどだから(笑)。


石原
 カトリックの神父は、どうも世界でいちばんいいかげんな種族だからね(笑)。そういえば曽野さんは敬虔なカトリック信者でもあるけれど、最近、伊勢神宮へ行かれたでしょう。あそこで非常にインプレスされたみたいですね。


曽野
 カトリックだからこそ、あのよさがわかるんでしょうね。何が素晴らしいって、神官の方が24時間詰めていらっしゃって、ちゃんと門の前で正座してらっしゃるでしょう。そして200年先まで見据えて御用林の手当てをして、「200年後にはこの木をお社のどこに使う」といった計画を立てている。しかも毎日、棒を使って火をおこして、神様の召し上がる食物をつくって捧げる。こんなこと、伊勢神宮以外、どこもできませんよ。東京都に委託されたってできないでしょう。


石原
 あれは重要な儀式だからね。とにかく、そういう努力も含めて、伊勢神宮がここまで長きにわたって存続してきたことは確かです。いってみれば日本の風土におけるアニミズムの象徴みたいな存在ですよね。


曽野
 やはり何か違いますよ。たとえば西寶殿と東寶殿があります。なかに何が入っているんですかって伺ったんですよ。そうしたら西寶殿には工事の仕様書が入っているのです。20年に一度のご遷宮のときの工事仕様書です。べつにそれを見て造営しているわけじゃないけど、形式として保管している。これには本当に感心しました。伊勢神宮は日本人全員が見なければならないでしょう。そういえば石原さんも伊勢神宮のなかに、よくお参りに行かれるお宮があるんですってね。


石原
 荒祭宮です。天照大神の分身である荒御魂が祀ってある。戦争とか政変など、荒々しい国家の事業のときに出てくる天照大神の御魂を祀った宮です。「荒」という字の響きが好きでね。しかも御正殿の裏にあるのもいい。


曽野
 三島由紀夫さんが参られたところもあると聞いたんですが、そこかしら。その伊勢神宮に祀られている神様は、天皇家の祖先ということになっていますよね。考えてみれば私たち、戦争中は天皇陛下を神だと教えられていたんです。私はそう思っていなかったけど、みなさんどうだったんでしょう。

≪ 暴力に屈する政府に税金を払う値打ちなし ≫


石原
 半分ぐらいの人は信じていたんじゃないですか。いま北朝鮮の問題がグローズアップされていますが、戦争中の日本はもっとグロテスクな国だった。私は当時神奈川県の逗子に住んでいましたが、あるとき親父と弟と3人で相撲を見に行った帰りに新橋まで都電に乗って行ったんです。宮城の前に来ると、座っていた人がみんな立ち上がってお辞儀をする。僕らはわけがわからないからポカンとしていたら、親父に頭をこづかれて「頭を下げろ」と。「何で」と聞いたら、「あそこに天皇陛下がおられるんだ」。見えるのかと思ったら、二重橋の奥の奥だって(笑)。そんな、見えない人にここから頭を下げるのは変だなと思いましたね。


曽野
 ただ私は、ゴルバチョフとか世界の指導者たちに何人か会いましたが、みんな天皇陛下に拝謁したことだけは、うれしく感じているのです。時の総理に会って喜んでいる人は1人もいないのに。あれは不思議ですね。

 ところでいま北朝鮮という言葉が出ましたが、私、拉致問題については、解決の方法として1つのことしか思い浮かばないの。それは、コマンドが行って取り返すということ。正規軍じゃないんですよ。刑務所のなかからナイフ投げの達人とか爆破の専門家とかを臨時に出してやって、特別のコマンドをつくってパラシュートで降ろす。ハリウッド映画の見すぎね(笑)。


石原
 私も同じことを考えていましたよ。しかし例のダッカでの日本赤軍のハイジャック事件のとき、人命は地球より重いということで、突撃部隊は送らなかった。以来、特殊部隊はあっても実質不在。アメリカはセオドア・ルーズベルトのときに、実際に直接行動をとった。『風とライオン』というタイトルで映画化もされましたが、中学校の女教師がモロッコに旅行に行ったら誘拐されて、シークのハーレムに入れられたんです。ルーズベルトはカンカンに怒って、軍艦を出動させて大砲を撃ち込んで取り返した。それが国家だと思いますよ。それを今回の日本のように、「コメを送るから帰してくれ」で済ませようとする国では、私は税金を払う気がしないね。少なくとも拉致被害者の家族の方々だけは払う必要がないでしょう。


曽野
 平和憲法があるから、自国民を取り戻すための戦いはできないというのなら、何のための憲法ですか。それに憲法13条は国民の生命、自由、幸福追求を保障してるんですけどね。まあ実際にコマンドを突入させても、映画のようにうまくはいかないでしょうけど。ただ不思議なのは、政治家はよく「粘り強い話し合いをして」なんておっしゃるでしょう。それで相手がわかってくれるという考え方は、国際社会で通用するんですか。


石原
 絶対に通用しないですよ。


曽野
 そうでしょう。これでいくら得をするか、損をするかを計算して動くのが国際社会の常識。そこに、いろいろ飾りをつけて、そうでないように見せるのが外交なんです。小泉首相以下、官房副長官の安倍晋三さんも「粘り強い話し合いを」なんていってらっしゃるけど、そういうことはあまりといえば嘘くさいから、いわないほうがいいような気がする。


石原
 安倍君は口ではそういっているが、本当はハード・ネゴシエーターですよ。彼のこの発言は「安易には譲歩しないぞ」という意味なんです。外務省とか官房長官など、譲歩したくて仕方がない人物が周りにたくさんいるから、牽制している。小泉首相もあちこちの声に引きずられて、右に行ったり左に行ったりしているしね。


曽野
 去年(2001年)、金正日の息子・正男を帰さなければ、拉致問題はもっと早く解決に向けて進展したのに。


石原
 あれは向こうの「王子」ですから、花札でいえば20点の坊主とか月と同じ。それに対し拉致された方々は、言い方は悪いですが、向こうにとっては1点の札。20点の札を1枚もっていれば、1点の札とたくさん取り替えられたことは間違いない。


曽野
 私が拉致被害者の家族だったら、当時の外務大臣と法務大臣だった田中眞紀子さんと森山真弓さんを、あらためて告訴するだろうと思います。明らかなカードを無駄にしたんですから、この信じられないほどの愚策の責任をとっていただきたくなります。

石原
 アメリカもちゃんと、ああいう情報をつかんでいる。現在のブッシュ政権の幹部になった人物から聞きましたが、金正男が4度目の入国だったのをアメリカは知っていた。「やっと捕まえましたな。え、でまたすぐ放しちゃったんですか??」って。工作船についても、アメリカはインド洋で4、5回捕まえている。イラクや中東のテロ国家向けの、スカッドミサイルのパーツを運んでいましたからね。それなのに日本はずっと知らん顔していた。北朝鮮の核保有についてもさんざん忠告しているのに、なぜそんな情報がメディアを通じて日本人に伝わらないのかと、ブッシュ政権の幹部はイライラしていた。

 だから今回の小泉訪朝にしても誰もが、「これで日本が北朝鮮に経済援助を決めたら、アメリカと日本の歩調は乱れたとわれわれは認識せざるをえない」といっていた。今回の件は、扱い方によっては小泉政権にとって、ものすごく危険なカードになりますよ。さすがに国民がここまで関心をもつようになったら、バカな妥協はできないだろうけど。

 さらにいえば北朝鮮に送ったコメは、北朝鮮はカネ欲しさに、半分、日本の商社に売りさばいているんですよ。それはすごい量になるので、新潟から陸揚げすると目立つから青森に揚げていたそうな。それも自民党の大物議員が介在してね。そんなこともアメリカは知っていたね。


≪ テロがなくなって、日本から緊張感が失われた ≫


曽野
 いま石原さんがおっしゃったような現実を知っている日本人は少ない。知っていても政府はまともに対応ができない。腰が据わっていないんでしょうか。私はいまの日本人の問題は、非常に危機感に乏しいことだと思うんです。とくに政治家について考えると、彼らは国の責任者である存在です。責任者というのは、つねに最悪の事態を考えて対処するのが役目でしょう。日本の多くの政治家はとてもそのように見えない。


石原
 日本人の危機感のなさ、責任感のなさは「たぶん国がやってくれるだろう」という、わけのわからない期待からきていると思います。国は国で、アメリカがやってくれるだろうと。かといって、国に対する奉仕とか義務の履行をほとんど果たそうとしない。国家に対するイメージのもち方が根本的に間違っている。


曽野
 「市民の権利とは要求することだ」と日教組は教えたんですからね。自分がどういう責任をとるか、なんていうことはまったく教えなかったんですね。それと関連するんですが、いま企業などで何か不祥事が起きたとき、経営者が「いまは辞めようと思わない。まずは事をきちんと始末することを考えます」といって責任をとろうとしませんね。あれは正しいことですか。


石原
 しかしもし東京都で何かとんでもない不祥事が起こったら、私は責任をとって辞めざるをえない。で、責任のとり方としては、「辞めますが、その前に事実をきちんと解明します」とするべきだと思う。そうもいわないのは、立場に未練があるからでしょうけど。


曽野
 そういう点では問題がある国ですが、別の見方をすれば私、日本というのは非常にいい国だと思うんです。それは高次元の話ではないの。たとえばお腹が空いている人がいないという次元での話です。それに救急車がタダ。多くの人は知らないけど、こんなこともすごくありがたい。


石原
 曽野さんは、世界中のすさまじい貧困の状況を肌で感じて見てとっているから、そういえるんだね。


曽野
 それに北朝鮮みたいに、移動の自由や表現の自由がないわけでもない。電気もある。電気があるというのは、民主主義ができるということです。電気のないところに、民主主義は存在しえないんです。


石原
 しかし電気はあるけれど、正当なテロはない。正当なテロがないところにも、民主主義は育たない。これは三島由紀夫さんがしきりに口にしていたパラドクスだけど、そんなことをいまの日本に感じるね。だから老人を食い物にした厚生省の事務次官にしても、裁判を受けるだけですんでしまう。大蔵省の元財務官にしても、アメリカから「ミスター円」なんていわれているけど、彼が日本の円と経済を売り飛ばしたんじゃないか。昔なら国民からどんな報復を受けていたことか。それがないから、みんな緊張感も責任感も、つまり愛国心のかけらもないんだな。

曽野
 それでも世界の実態はもっとひどいですからね。ブラジルなんか、大学出の人はどんなに悪さをしても監獄に入らない方法があるんだって、いろんな人がいっている。その一方で貧民窟は完全に無法地帯です。誰かがやってきて、そのへんにある土地に小屋を建ててブラジル国旗を掲げると、反対政党の人が「ここはおまえの土地だ」という証明書を発行する。もとは誰の所有地だったかなんて関係ない。ブラジルに限らずそんな国が世界中にたくさんあるわけで、法律から離れるとか国家のない恐ろしさというのを、日本人は知らないですね。


石原
 曽野さんの見聞された事例に比べると、私など偉そうにいえる立場じゃないけど、このあいだ見たテレビで印象深いシーンがありました。アフガンで13歳の男の子が、妹4人を養うために学校をやめ、自転車で1時間半かかる靴の工場に通って働いている。それで「学校に行きたい」とハラハラ泣くんです。これはけっして特殊な話じゃなく、世界中あちこちに氾濫している話なんですが、映像で見せられるとハッとしますね。


曽野
 やはり基本は電気なんですよ。戦後、わが国家を何とか立て直そうというとき、キーになるのは電気だったんですね。当時あったのは、マンパワーと土と水だけでしょう。それを電気とうまく組み合わせて、これだけの経済発展を成し遂げた。これはすごいことなんです。その動機は「日本を何とかしたい」という、愛国心以外の何物でもない。


石原
 それは愛国心というより、むしろまず飢餓感かもしれないね。


曽野
 それと、ちょっと生活をよくしたいという、ケチな向上心ね(笑)。


石原
 その向上心に、プラスアルファのものを加えていければ、いまのように経済成長がトーンダウンしたときも、国家としてもっとほかの大事な価値観が増幅されたはずだし、今日の日本の国家も、真に均衡のとれた社会になったと思う。それができなかったのは、やはり戦後の日本人が、責任をとらない人間ばかりになったからでしょうな。


≪ 日本人を助けるのはあくまで日本人 ≫


曽野
 私、最近ショックを受けたのが、李登輝中華民国前総統を講演に呼ぶはずだった慶應義塾大学が、外務省からの苦情で泡を食って中止にしたという事件です。だって慶應大学は江戸の慶應年間にできた大学ですよ。近代国家ができる前からあったんだかち、国とは別の論理をもっていいんです。何でそこをはっきりさせないのか。もう慶應大学もダメですね。


石原
 あれは意外だった。学生が企画したんでしょう。


曽野
 だから大学も「学生が独自に企画したんです」と放っておけばいいんです。学問というのはいろんな種類のものがあり、犯罪学もあれば、軍事学もあるでしょう。では慶應大学は、中国大陸の学問だけするんですか、台湾の学問はしないんですかと聞きたくなりますね。変に政治的なことで左右されるなんて、大学にも学生にも勇気がない。


石原
 だいいち李登輝さんは、もう台湾の政府と関係なくなっているんだしね。結局、外務省が保身に走りすぎるんです。それもちゃちな保身。

 外務省が中国がらみで保身に走りだすのは、こんな事件がきっかけです。●(とう・登におおざと)小平が中国の最高実力者だった時代、日本側の伝えたかった情報が●(とう・登におおざと)小平に伝わっていないことがあった。このとき柳谷外務次官が「あの人は偉すぎるから」という意味で「雲の上の人だからな」と慨嘆したら、「雲の上の人」の意味が中国では違っていた。あちらではボケた人のことをいうんだね。それを聞いた●(とう・登におおざと)小平が、「わしはそんなにボケていない」と苦笑いして、それが問題になった。

 でもそれぐらいは、言葉の使い方の違いだと説明すればすむことで、日本には日本の言語文化があるといえばいい。自民党の総務会でそういう当然の意見が出たら、不思議に場内がシーンとしましたね。おかしいなと思ったら、あのころから自民党を牛耳っている経世会が、北京に完全に抑え込まれていたんです。だからそのとき以来、外務省は、「自民党はもう頼りにならない」「北京に楯突いたらえらいことになる」と思うようになった。

 それまでは外務省も、もっと気骨があった。田中角栄の全盛時、大平正芳さんが外務大臣として航空協定の交渉を行なっていたときに、こんなことがあった。北京の要請のままに大平さんは、記者会見である社の記者から「台湾から日本に飛んでくる飛行機の後ろについている旗は何だ。国旗か」と聞かれ、「国旗と見なさない」という発言をすることになっていた。この話は秘密の公電のやりとりまでリークして、それで外務省の役人が話してくれたんだけど、悔し泣きをしていたよ。まだそのころの外務省は、国家を背負っていたんです。

曽野
 ●(とう・登におおざと)小平というと、私も1975年に末席で北京に連れていっていただいたんですが、当時は面白かったですね。人民大会堂で会ったんですが、代表団の1人が●(とう・登におおざと)小平に「日中友好というときに、『白毛女』などという反日的な芝居を中国でまだやっていらっしゃるのは、いかがなもんでしょうか」といったんです。すると●(とう・登におおざと)小平の返事を通訳が「よく考えて返事をしましょう」と訳した。ところがこちら側には中国語のわかる人がいて、じつは●(とう・登におおざと)小平は「まだあんなバカな芝居をやっているのか」と答えてたんですって(笑)。

 人間的な話や誤解はどこにでもあるんだから、徹底的に説明すればいいんですよ。


石原
 その一方で、通訳にはこちら側からすごくできる人をつけなければダメですね。一例として挙げると、佐藤総理がニクソン大統領と仲が悪くなったのも、国連事務次長をやっていた、当時いちばんの英語使いだといわれた人の通訳のせいだという。繊維問題でのニクソンの要求に対して佐藤さんは「それはわかりました。まあ何とかしましょう」というニュアンスで答えた。ところが通訳は「ベストを尽くします」と、すごくポジティブに訳した。ずいぶん意味合いが違ってしまったので、佐藤さんはニクソンから、嘘つき呼ばわりされるはめになってしまった。そういう行き違いの例はいっぱいありますよ。そう考えると、外交というのは難しいですな。


曽野
 でも日本人を助けるのはあくまで日本人なんです。いざとなったら頼れるのは自分の力だけ。そのことを日本人にもっとわかってほしいですね。「自らの国を自らで守る」ことについて私が昔からよく例に挙げるのは、原書房で出している『民間防衛』という翻訳本です。スイスでは軍人はみな「軍人手帳」をもっていますが、軍に行かない人は、この『民間防衛』をもらうんです。内容はすごいですよ。

 まず、「いかなる者も敵となる可能性がある。敵が入ってきたときは、みんな地下に潜ってレジスタンスをしよう」というようなことが書いてある。さらに、そのときのために、砂糖や油など食料はどれくらい買っておけと記している。ただし食料の買いだめは、貧しい人はする必要がなく、一方、余裕のある人は買いだめする義務がある。そして、傷ついた敵の軍人がいるときは害を加えないで国際赤十字の手に渡さねばならない。連絡先の住所と電話番号はこれと、とにかく非常に具体的なのです。

 そのようにして民間人が頑張れば、スイスの軍隊が主権を取り戻して、あなたたちは必ず地下から出てこられる。しかしその前に、敵に対して絶対にスイスを守らなければならない、と心構えが綴られています。「国を愛する心」などという浮ついたものではなく、「自らわが国土をマネージしていかねばならない」という決意です。これは大変いいテキストなのに、残念ながら絶版にしてしまった。


石原
 一時期、東京都で外国人犯罪が増えていて、「怪しい外国人を見たらピッキングの犯人と思って注意してください」という文書を警察庁が配った。これは都民への適切な情報提供ですが、きっと外務省は怒るだろうと思ったら、案の定クレームがきた。しかし、あのキャンペーンでピッキングは減り、一段落したんですよ。

 曽野さんも一度池袋へ行ってみたらいい。ピッキングに使う道具をキットで中国人が中国人に売っている。こんなひどい国はないね。それでも留置所が足りないから警視庁は、微罪だと外国人は見逃し日本人ばかり捕まえてくる。外国人を捕まえると通訳を呼んでこなければならなくなり、その費用が25分で4000円かかる。しかも宗教や食習慣の異なる犯人に対して、豚ヌキ、牛ヌキなど、それぞれ別々の食事を提供せねばならず、とにかく金がかかる。だから微罪なら外国人は連れてくるなというのが暗黙の了解になっている。だからますます外国人が増長する。そんなにいろいろ相手に合わせずに、外国人にも日本の食事を出して、食べなければ放っておけばいい。

 そして日本の警察官は正当防衛でなければピストルを撃たないことになっているが、威嚇でもいいから撃てといいたい。撃てば連中も少しおとなしくなる。

曽野
 現行犯には被疑者はないと思いますよ。マスコミも現行犯に限るなら犯人と呼んでもいいのに。

 じつは今度、日本財団で「海守(うみもり)登録制度」をつくるんです。10万人に登録していただいて、海岸線で不審船などを見つけたら通報してもらう。石原さんにも登録していただいて、ヨットの上で監視してもらいたいですね。


石原
 私は年中パトロールしてますから。


曽野
 ぜひ、よろしくお願いします。その関係で先日、9月に引き揚げられた北朝鮮の工作船を見に行ったんですが、すごく感動しました。あれほどピンポイントで当たるとは知らなかった。人間の損傷をなくしてエンジンルームだけを狙って100発近く撃ってます。そしてそのうち90何発は全部、エンジンルームに当たっているんです。この前の湾岸戦争のパトリオツトミサイルぐらい正確なのね。だからこそ撃ったんでしょうね。


石原
 あれは機関砲でしょう。まあ距離もそんなに離れていなかったしね。しかし航続距離は短くても、かなりのスピードの出る小型舟艇で、対艦と対空のミサイルを積んだ船を日本がもつことは重要です。それをいまこそ、海上自衛隊でつくれといっているんです。アメリカの政権幹部にこの話をしたら、どうぞといっていましたがね。


曽野
 本当は日本財団で、「海のパトカー」ですから高速艇を一隻つくってさしあげたかったんですけど。そうしたら人件費と油はどこがもつか、みたいな話になって……とりやめ(笑)。


石原
 そんなもんですよ(笑)。私も東京都で危機対応の大演習を最初にやったとき、人工の橋をかける作業に長けた自衛隊の施設部隊が北海道にあったので、彼らに東京に来てくれと頼んだんです。とても喜んでくれましたが、道路公団が「移動にかかる高速道路料金を3000万円払え」という。建設省の道路局長に、「どうかしているんじゃないか。公団に何とかいえ」と文句をいった。結局、料金は取らなかったんですが。役人はつねにそういう発想をするんだね。演習の目的が何たるかはまったく考えもしない。


曽野
 そう。つねにちまちました、奥さん的発想ですね。あ、これ叱られるかな?
 

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