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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 末期医療?どれだけ人を幸福にできるか  
コラム名: 透明な歳月の光 39  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/12/27  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   人を幸福にする仕事には、全力をあげるのが自然な人間の行動である。人間は誰でもいつかは生涯を終える。その限られた時間の中で、どれだけ働けるか(与えられるか)、どれだけ幸福を感じるか(受けられるか)が問題なのだ。この2つの量と質ががっしりと釣り合っているなら、その人の人生は成功だったと言える。

 今世界には、親から引き離された子供がたくさんいる。売られたり、政変で離ればなれに生活することになったり、親が死亡して孤児になったりした子供たちである。ことにアフリカ大陸の南部には、父親は最初からその存在がわからず、母親が幼い子供を残してエイズで死亡し、1人になって短い生涯を終える子供も多い。

 それに比べたら日本人は幸福な毎日を送っている。清潔な生活をし、今晩食べるものがないこともない。政治家のやることは、最近ますます人間の醜悪な部分丸出しになってきたが、日本人全体が律儀だから、今程度の生活水準は保たれてきたのである。

 しかしまだまだ人間の幸福についてうつべき手はある。最近長寿になり、癌で死ぬ人が増えた。あと半年、長くても1年と言われて入院するような場合、どうして夫婦で暮らせる病室がないのだろうか。看護する側が奥さんだとすると、毎日見舞いに通い、ひどい時はベッドの傍らの椅子で仮眠したりするから、ますます疲労がひどくなる。1人部屋ならともかく、大部屋だと、死んで行く病人が後の人のことを考えて言葉を残したくても、隣を気にして落ち着かない。

 妻とベッドを並べられて寝られたら、どんなに自然に話ができるだろう。妻も疲労せず、残された時間に思い残りなく夫といられる。もっとも看護が長帳場になったら、やはり眼の前に病人の姿が見えないところで休む時間も要るの、と言う人もいた。

 夫婦の生活の形にはいろいろあるとしても、死が決定的な子供の場合は、病室に、母といっしょに寝られるダブルベッドが必要だ。とにかくそこで思う存分、母に抱かれ、母の肌に触り、混沌とした意識の中でも母の声をすぐ身近に聞く。それくらい確かな幸福はないのである。

 先日、中央アフリカ共和国で、エイズの患者さんたちに会った時、母も子ももうどちらも時間の問題だという2人がいた。この母と子に、できる限りの(もちろん日本のようなぜいたくな医療ではないが)治療を続けるのは、2人が求め合って生きて来た思い出を、できるだけたくさん作ってあげるためだ、と日本人の看護婦さんは言っていた。

 こういう末期医療を何故今まで病院はしなかったのだろう。できない理由を即刻滔々と述べる秀才にではなく、何とかやれないか考えます、と言う鈍才の熱意に私は期待する。
 



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