共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 靖国神社代替施設?何回同じ審議すれば済むのか  
コラム名: 透明な歳月の光 38  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/12/20  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   福田康夫官房長官の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」は、答申として「国立の無宗教の恒久的施設が必要」とする報告書を出した。これは「靖国神社に代わる追悼の中心となる新施設建設」を意味するので、「超党派の国会議員らから強い批判がある」という。

 私が眼を見張ったのは12月8日付けの産経新聞の1ページ全面を使った反対の意見広告に、国会議員やオピニオンリーダーたちが何十人も名前を連ねたことだった。あの方たちは思想的に責任をもって、名前を出したのだろうか。

 私はカトリックだが、靖国神社にも千鳥が淵の戦没者墓苑にも自然な心でお参りする。

 国のために命を捧げた人たちの行為に、長く感謝を捧げるのは当然と思うし、日本人には生前から靖国に祀られることに合意していた人たちがたくさんいたことを知っているから、靖国に多くの御霊がおられると感じる心情を理解できるのである。

 しかしきちんと考えれば、靖国神社は、宗教法人の扱いを受けている特定の宗教である。国を代表し、民族の土着の感情による、いかなる宗教にもかたよらないお社ではない。もし靖国を宗教を超えた国家独自の宗教的施設とするなら、宗教法人を返上し、その運営は国家と個人の寄付によってなされるべきだろう。しかしその場合には靖国はもはや昔ながらの靖国ではない。

 私は性格的にいい加減だが、聖書を或る程度読んだので、却って他宗教に対して寛大になった。しかし同じキリスト教徒の中でも、厳密な人はたくさんいるのだ。

 私は、神が教会の建物だけでなく、この地球上にあまねく存在すること、つまり「遍在」を信じている。しかし世界中には違う宗教や宗派とは絶対に交わらないという厳しい人も多いのだ。その人たちは、教会には行っても神社には行かない。神は「偏在」しているのである。「遍在」と「偏在」は音も字もよく似ているが、その思想は全く違う。

 さらにその上に世界には多くの無神論者がいる。「人は死ねばゴミになる」という本を書いた法曹関係者もいた。そういう人たちの心情に対しては、慰霊碑と言う言葉も適当ではない。霊を認めない人をも祀るとなると、国家としては記念碑という概念以上の場所を設定はできない。日本人は宗教に対して、厳密でなさ過ぎる。信仰をいい加減に扱うと後が恐いという恐怖心を、もう少し持ったほうがいい。もちろん中国その他の国が、日本の総理が国家の犠牲になった人たちに感謝する行為に口を出す筋合いではない。

 この手の問題は、いままで何回、お金と人を集めて審議をすれば済むのか。私も委員の1人だった通称「靖国懇」は、昭和60年で、私は今と同じ考えの個人的な答申のペーパーを出している。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation