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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 民主主義とは何か?「多数決」取るのが当然では  
コラム名: 透明な歳月の光 37  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/12/13  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   大東亜戦争が終わってもう50年以上も戦後を生きて来たのに、私にはまだ時々わからないことが出て来る。

 たまたま12月7日付の毎日新聞は、政府の道路関係4公団民営化推進委員会が2対5で意見が分かれた結果、委員長は辞任、「事実上の多数決」で5委員の案を最終報告とすることになった、と報じている。これが一面の記事である。

 そして同じ日の三十面には次のような記事が出ている。

 心神喪失者医療観察法案の修正案が「衆院法務委員会で自民、公明、自由3党の賛成多数で可決された。」「野党議員と傍聴席を埋めた精神障害者や支援者から『こんなずさんな法律を通すのか』と抗議が相次ぎ、騒然となった。」「参考人として反対意見を述べた全国『精神病』者集団の長野英子さんは『当事者の声も十分に聞かず、私たちの人権にかかわる問題を多数決で決めるのか』と厳しく批判」したという。

 本来民主主義というものは、多数決が原則である。だから51パーセントの人が賛成すれば、49パーセントの人は自分の意志が通らず「泣く」のが前提である。しかしいつのまにか論理がすり替わり、「1人の反対でもあったら橋は掛けない」などと言う暴論がもてはやされるようになった。

 1つの新聞の同じ日に、「民主主義は多数決が当然」というのと「多数決で決めるのか」という論が、それこそ平然と「両論併記」されて通る所に、これは決して毎日新聞の手落ちではなく、私たちの社会全体で抱えている「いい加減さ」が残されていると思うのである。戦後50余年経って民主主義とは何なのかが、私だけではなくわからなくなっているなら、改めて識者の間で明快にその光と陰を教えてほしいものだ。

 誰にとっても理想的な制度などないのだが、最近は何でも選挙の他に住民投票をしたがる。それは間接的な選挙制度の否定であり、時間と金の大きなロスだろう。その代わり私たちが選挙の結果に責任を持たねばならないのだが、政治はますます理想から離れて白けた権力闘争になった。

 委員会というものが、多数決原理を押し通すのが当然なら、1992年に答申を出した脳死臨調は、はっきりと脳死を人の死と認めるべきであった。わずか4人の反対派に、明らかに多数派の、しかも医学の専門家たちが抗しきれなかったのである。

 一番やりきれないのは、臓器移植をすれば助かる子供が、今でもアメリカまで行かねば移植を受けられないことだ。アメリカは外国籍の子供にまで、自国で提供された臓器を与えている。子供の命を自国で守り切れない国家はやはり恥ずかしいものだろう。当時の委員の一人として私も、多数決原理を取らなかった責任を負っている。
 



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