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10月、バチカンでローマ法王ヨハネ・パウロ2世猊下の接見を受けました。今回が2回目のことです。最初は1982年、亡父笹川良一が特別接見の栄を受けた際に随伴してのものでした。
カトリック教徒ではない父が特別接見を受けた理由は、「人類を貧困、病苦、不公平から解放しようとする努力に敬意を表するため」とありました。父は特にハンセン病制圧に心血を注いでいました。世界保健機関(WHO)の場で、世界で初めて自らが実験台となってハンセン病予防ワクチンを接種したこともありました。特別接見は、こうした父の努力に報いようとの法王の温かな心遣いがあったのです。
純白の法衣に身を包んだ法王はひしと父を抱かれ、「貴方のハンセン病への取り組みに感謝しています。今後とも病の根絶に努力してください」と励まされました。その時の思いを父は、「幼い頃、父親に抱かれたときのような感じがした」と話していました。
日本財団は、父の頃より今日まで30年にわたり、WHOとの二人三脚でハンセン病制圧活動を展開しています。父の夢は、20世紀中に地球上のハンセン病を制圧することでした。
WHOでは、患者が人口の1万人に1人以下になった段階で『ハンセン病制圧』を宣言することになっています。父が法王の拝謁の栄を得た段階での地球上の非制圧国は122カ国あり、1200万人の患者がいました。日本財団は、世界中で必要とされる薬を5年間、無料配布することによって劇的に患者数を減少させ、116カ国での制圧に成功しました。
しかしハンセン病制圧の道は険しく、最後の胸突き八丁を登り切ることができず、後一歩のところで父は他界しました。
21世紀を迎えた昨年、私はWHOから「ハンセン病制圧特別大使」に任命されました。私の使命は、新たに設定された達成年の2005年までに「父の夢」を実現することです。現在、非制圧国は6カ国、患者数は約70万人となり、夢の実現が垣間見えるところまで登っています。
法王の接見を受けた10月16日は、法王が78年にコンクラーベと呼ばれる選定会議で選出されてから25年目を祝賀する特別ミサが行われました。サンピエトロ広場は快晴で日差しが強く、世界各地から集まった約1万5000人の信者で溢れかえるようでした。私はキリスト教徒ではありませんが、壇上に導かれ「まもなく父が約束したハンセン病制圧は現実のものとなります」とお伝えしました。
法王は無言でうなずかれ、包み込むように私の手を握り締められました。イタリア人以外では455年ぶりに選ばれた法王は今年82歳、20年前の最初の接見時よりは一回り小さくなられた感じを受けたものの、色つやもよく、健康とお見受けしました。
「百里の道は九十九里をもって半ばとする」という言葉があります。私たちはいま、当該政府、WHO、非政府組織(NGO)に製薬会社も巻き込んだグローバル・アライアンス(世界同盟)を結成し最後の一里のために闘っています。この具体的な数値目標を掲げるトータル・ボランティア組織は、世界の難問題へのユニークな取り組みとして注目されています。
全世界でのハンセン病制圧達成目標年まであと3年、これからが本当の正念場です。私自身この12月にも2回、インドの最前線にでかける予定です。もちろん制圧に成功したとしても、元患者が受けてきた偏見に基づく差別と人間としての尊厳回復への闘いは始まったばかりです。私はこの仕事に余命を捧げることを幸運に思っています。
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