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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 人が奪うもの?誰かを傷つけずには生きられない  
コラム名: 透明な歳月の光 33  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/11/15  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   今朝私は、先日私の講演を聞いてくれた、という1人の若者から質問状をもらった。

 私は講演をする時、いつもその日、その時、思いついたことを喋るといういい加減なやり方をしているので、どういう私の話から、こういう質問がでたのか、正直言ってわからないこともあるのだが、そういう風に聞こえたとすれば、少しは責任があるだろうと思うことにしている。

 質問は、「では、曽野さんも人から何かを奪っているわけなのでしょうか」というのである。

 その言葉は、「あなたは体裁のいいことを言いましたが、それなら自分もまた人から奪っていることをちゃんと自覚しているのでしょうか」と暗に言っているように読める。そして私からの答えは、「人から何かを奪わないでいる人はいないでしょう。当然私も」ということになる。

 戦争中の食料が不足していた時代を生きれば、自分が「奪う人」であるなどということは、誰でも実感できたのである。私は一人っ子だったが、母が私のお茶碗にだけ山盛りにご飯をよそってくれたことを何度も感じていた。そして食べ盛りでお腹を空かせていた私は、全く気がつかないふりをして、平気で食べてしまっていたのである。しかし今の豊かな時代には、自分が他人を少しも犯さずに生きている、と感じている人があちこちにいるらしいのである。

 私は日本財団で働くようになってから、社屋の屋上で、毎年必ず新入職員に鶏を一羽ずつ締めさせることを行事にしたいと思い続けている。私はアジアでもアフリカでも、鶏を締めるところを何度も目撃した。私たちが鶏を食べたいと思えば、料理は鶏を殺すところから始まるのだ。

 羊でも鶏でも苦しませずに殺すことは、みごとな慈悲の行為で、私にはとてもその技術がないし、財団の屋上でそんなことをすれば、またどんな誤解を受けるかわからないから、この企画はまだ実行されたことはない。しかしフライド・チキンやハンバーガーを食べるすべての若者は、必ずその材料である動物が死んでいることを、きちんと意識すべきである。

 私たちは誰かを傷つけずには生きていられない。必ず誰かの何かを奪っている。空間、時間、チャンス、金銭、愛情。そしてもちろん空気、水、食料ほか、あらゆる物質も。時には自分が生きるために相手の命を奪うことさえ、正当防衛として認められている。

 私たちはそのようにして得たものを感謝して、独り占めを避け、無駄を省いて、それでも時には罪の意識さえ持って当然だ。

 地球上の空気や水を汚す最大の原因は、人間をも含めた動物の存在自体である。そう思うと、私たちは改めて人間的に、歯切れのいいことを言わなくなるだろう。
 



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