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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 南コーカサス・グルジアの旅(上)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2002/11/19  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
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トビリシ行特急「AMEX」号
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≪ 「Georgiaとは俺のことか」と… ≫

 グルジア人は自分の国を「グルジア」とは呼ばない。「SAKARTVERO」という。カルトヴェリ人の土地という意味だ。「グルジア」というのは、19世紀の初め帝政ロシアに併合された際、名づけられたロシア語の名称で、彼らはお気に召さない。なぜそうなったのか。トルコとペルシャに支配された中世の時代、征服者たちが「グルディスタン」(カルト人の国)と呼んでいたのを、そのままロシア語に直して「グルジア」になったとのことだ。

 「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」半可通の外国語使いの学徒を揶揄した昭和の初期の川柳だ。外国の地名や人名はことほど左様にややこしい。英語では、この国をソ連崩壊後、Georgiaと呼ぶならわしになっている。もちろんアメリカのジョージア州とは無関係である。少々まぎらわしいが、この国の守護聖人、ギオルギウスの英語読みだ。だから、彼らは4世紀以降キリスト教の伝統を継承する民族国家の名誉ある呼称と受けとめている。「Georgiaとは俺のことか…」などという軽口は、この古いキリスト教国「SAKARTVERO」に限っては通じそうもない。

 この国の戸籍調べは、このくらいにして、話を日記風に戻そう。2002年6月某日。ワールド・カップ予選リーグH組で日本がロシアを破ったちょうどその頃、私たち一行は、アゼルバイジャンの首都バクーの駅頭にいた。コーカサスの隣国、グルジアの首都トビリシを訪れるためである。午後7時20分、バクー発トビリシ行のノン・ストップ国際夜行特急は定刻通り発車した。たった570キロの鉄路なのに、ノン・ストップには違いないが、13時間もかかる。おまけに往復で470ドルもするとび切り高い列車だ。

 なぜそんな面倒なことをしたのかというと、「安全」を買うためだった。「飛行機はスケジュール通り飛ばないだけでなく、機体がオンボロで危ない。テロの恐れもある。国境越えの車の旅は危険。通常の夜行列車は20ドルだが、睡眠薬強盗出没の恐れがある」。バクーでお世話になった三菱商事の坂本駐在員事務所長から、怖い情報をいただき、唯一の安全ルートであるこの列車を選んだのだ。

 お値段が高く、ぜいたくな車両なので、俗称「AMEX(アメリカン・エクスプレス)」号というが、外国人か、闇屋の親分、あるいはカスピ海油田の石油会社のエライさんしか乗らない。プラットフォームに入ってきた列車を見て驚いた。たった3両の編成でしかも真ん中は食堂車。これを電気機関車が牽引する。「超安全」(事故が起こらないのでなく、治安は保証するという意味)が売り物とのことで、武装した護衛官が3人も乗っている。1日に1往復、帝政ロシアの時代に建設した鉄路を、石油の町バクーから、コーカサス総督府のあったトビリシまで運行している。

 個室のコンパートメントが、2両の客車で合計30部屋ほどあるが、食堂車で一堂に会したところ乗客はわずか7人(このうち3人はわれわれ日本人一行)しかいなかった。ちょっとエネルギーの無駄使いじゃないの。乗務員は、前述の護衛官のほかに、鉄道会社用務員3人、車掌1人、機関士2人、コック1人、メイド2人。客より乗務員の多い列車に乗るのは、これが空前にして、おそらく絶後だろう。

 車窓に、アゼルバイジャン領カスピ海沿岸の夕暮れの景色が展開する。ソ連の対ドイツ戦の軍需品をまかなった石油コンビナートが果てしなく続く。工場群というよりも工場の巨大な残骸群と表現するにふさわしい、一部をのぞいて操業している様子はない。赤さびた機械と建物が、夕日にシルエットを作っている。

 「往路、バクーの製鉄所のコンサルタントだという米人と飛行機で同席したが、“コーカサスの工業地帯は、クズ鉄が多いので、有望だ”と言っていた。変な事をいう男だと思ったが、やっと意味がわかった」。今回のコーカサスの旅に、トルコから同行してくれた西アジア学者の松長昭博士が、そう言った。

≪ 「Super Service」とはいかがなものか? ≫

 溶鉱炉で製鉄するには、鉄鉱石だけでなく、クズ鉄が必需品であり、欲しいだけ現地で調達できる??という意味だったのだ。

 深夜、国境の町で、長時間停車した。「ノン・ストップ特急」の看板に偽りありと思っていたら、なんと国境のアゼルバイジャン側とグルジア側で、30分づつ2度停まった。出国と入国の2回にわたって、それぞれビザとパスポートと、荷物を調べられる。電気機関車の交換がある。多分両国の電力のサイクルが違うのだろう。その間、冷房は完全にストップ。あまりのむし暑さに、われら日本人グループは、窓を開け、パンツ一丁になる。

 この鉄道公社、「Super Service」と英語で記したバッジを乗務員につけさせている。だが、1時間も停電させて、スーパー・サービスとはこれいかに? 乗務員も無愛想そのもの、国鉄時代の日本の鉄道員よりも、もっと態度が大きい。市井のコーカサスの人々は、人懐っこく、客人に親切と旅行者には評判だが、公務員だけは例外のようだ。70余年にわたるソ連社会主義の官僚臭が、骨の髄までしみこんでしまったのだろう。

 午前7時過ぎ。グルジア領の最初の町を通過する。鉄路の両側にこれまたクズ鉄と化した工業地帯の廃墟が展開している。沿線の引込み線にソ連時代に使われた無数の貨車が停車したまま、立ち腐れになっていた。セメント工場とおぼしき建物が放置され、工場地帯の残骸の中に、駅舎とプラットフォームが丸ごと棄てられていた。バクーで求めた旅行案内書「Azerbaijan with excursions to Georgia」(Mark Elliot著)を開き、現在地を確認する。ここは「Rustavi」という名のゴースト・タウンであった。

 「グルジア最大の鉄の町。ただし今はほとんど操業停止。醜悪な姿をさらしている」とある。同書のグルジア要覧には、1989年の1人当りGNP5100ドル、1997年はわずか960ドル」と記されていた。ソ連経済の崩壊以降、大幅な対ドル為替レート切下げがあったとはいえ、この車窓の光景は、グルジア経済の苦境を訴えるよき教材でもあった。車中のつれづれにこの本を読み続ける。


≪ 「コーカサスの雲助」の話 ≫

 「列車は別だが、車で行くと国境に“赤い橋”がある。1998年にEUの援助で改修された。ここの関所の通過が面倒だ。アゼルバイジャン側では税関がウルサイ」(筆者註…税関は入国の時のみと思うなかれ。コーカサスに限らず途上国では、出国時が厳しい。多分、自国の富を外国に持ち去られると思っているからだろう)。「国境警備隊に通関料と称して20ドルまきあげられた」とあった。

 「グルジア側では、車の保険料として15ドルと道路税30ドルを徴収された」とも書かれている。さしずめ「コーカサスの雲助」といったところだ。われわれの豪華列車では、出入国の際、それぞれ両国の国境警備兵と税関が個室のドアをノックし、「何か隠しているのではないか」との目差しで室内を探索されたが、金品は一切要求されなかった。「それだけのためにAMEX号があったのか」と1人で納得する。

 荒涼たる荒れ地を通り抜けると緑の草原とこれまた緑の山々が、車窓一面にひろがる。これぞ、われわれが目ざした古代キリスト教の豊饒の地グルジアであった。人口540万人。北海道を少し小振りにした国土は羊毛とワインの名産地である。国境を通過してほどなく、「あと1時間でトビリシに着く」と車掌が教えてくれた。トビリシはグルジア国の東部にある、トルコ国境の小コーカサス山脈から流れてくるムトウクヴァリ川の流域に開けた古い町だ。三方を山に囲まれ、川に向かって下る斜面に、家々が肩を寄せ合うようにへばりついていた。

 「その昔、ロシア側から大コーカサス山脈の険しい道を南へ南へ下った隊商たちにとっては、緑の輝く盆地だった。帝政ロシアの時代、ツアーはトビリシにコーカサス3国(アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア)を統治するために総督府を置いた。コーカサス一の素晴らしい土地だったからだ」。これは同行の歴史学者、松長昭君の解説である。

 間もなく、トビリシ駅。夜行特急の中で、終始、ワールド・カップの対ロシア戦の結果が気になっていた。個室内にはTVが1台ずつセットされていた。ニュースか何かで結果がわかるのではないかとスイッチをつけた。だが、ニュースもスポーツ放送もやっていない。カラーTVとは名ばかり、空(カラ)TVではないかと怒ったら、車内放送のビデオ用とかで、いつも同じ男女の歌と踊りしかやっていなかった。それでも、道中“雲助”が出没せず、ともかく安全であったことをもって良しとするか…。
 



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