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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: エイズの母たち?貧困で死ぬアフリカの現実  
コラム名: 透明な歳月の光 30  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/10/25  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   17日間の中央アフリカ諸国の旅の間で、何が一番印象的だったか、と聞かれると、政治的な感覚に欠けている私の眼には、どうしても1人の女性の姿が浮かんで来る。

 彼女は、中央アフリカ共和国の首都バンギにあるエイズ患者のためのクリニックの入院患者だった。その施設は日本人の徳永瑞子さんが、看護婦として働きながらきりもりしている。

 その患者は20代の終わりか30代の初めかに見えた。エイズの末期患者は、骸骨にやっと顔の皮がかぶさっているという感じに痩せて来るが、彼女はまだそれほどではない。徳永さんが簡単に彼女の生い立ちを語ってくれた。

 アフリカの多くの土地で同じような状態が見られるのだが、アフリカの女性の傍らには、必ずしも夫という人の存在があるとは限らないのである。

 その点、日本人の女性ははっきりしている。結婚していないか、結婚しているかどちらかである。結婚していれば、夫は健在か、離婚したか、死亡したか、別居中か、いずれにせよ成り行きがはっきりしている。

 しかしアフリカではそうではない。一夫多妻の習慣が残っている地方もある。どこかに生物学上の夫はいるはずなのだが、母子だけの家庭に夫の存在の気配がない、というケースは多いのである。

 彼女も、夫が傍らにいて看病したり、見舞いに来て励ましているという様子ではなかった。妻がエイズにかかると、逃げてしまう夫も多い。彼女の2人の子供たちもエイズの兆候が出ていて、上の子は既に死亡し、下の子も弱って来ている。

 彼女は、クリニックの雑用係として働いて収入を得ていた。しかし最近体力が落ちて来て、しきりにだるがり、もう働けなくなったので、徳永さんがクリニックの2階の部屋に「入院」させたというのである。このクリニックには、いわゆる入院設備はないのだが、見るに見かねる患者がこうして時々現れるのであろう。

 延命に効果のある薬を買うお金はほとんどの人が持っていないのだから、ここでは、貧困の故に人が死ぬ、という過酷な現実が無数にあることを、私たちは承知しなければならない。

 それでもエイズの母たちの看病をするのは、子供に1日でも長く、母の面影、母の肌に触れさせ、母をできるだけ鮮明に記憶させるためだと考える他はない、という言葉も聞いた。その子供もまた、多くの場合、7歳までも生きないのだが。

 こういう悲惨があることを私たちはほとんど考えないで暮らしている。そしてさらに観念で平和や人権が達成できる、などと考えている。

 その女性は何も言わなかった。ただ大きな眼で私たちを見つめ、運命に耐えていた。
 

アフリカ貧困視察2002(第1回〜)  


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