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9月17日の小泉総理の北朝鮮訪問は思いもかけない暗澹たる結果に終わった。拉致された人たちのこういう結末を予想できた人もいたかもしれないが、少なくとも大甘の私には思いもつかない結果であった。私は北朝鮮という国を、これよりは計算のできるましな国だと勘違いしていたのだが、実は言語に絶した愚かな無法国家であった。
自分の不明の言い訳をするつもりではないが、拉致された人たちが、こんなにたくさん亡くなっていようとは思わなかったことがその1つの原因である。4半世紀も前に拉致された人たちが、当時既に50、60の年代であったら、私たちは現在その年を数え「もしかしたらもう亡くなっているかもね」と考えることもあったと思う。しかし多くは現在まだ40代だから、当然生きているはずであった。
日本では40代の人はこんなに死なないのが普通なのだ。13人がいたら多分13人共生きていると思うのが常識だ。だから私にもこのような結末が予測できなかったのだ。北朝鮮はそれほどまでに人民が長生きできないようなひどい生活を強いる国家だというより、やはり彼らは殺されたのだろう。生存が5人、死亡が8人とはあまりにもひどい死亡率で、日本人には想像もつかない惨状である。
家族の失踪届け出に対して、「何もしなかった外務省」に対する怒りはもっともである。「何しろ国交がありませんから」の一言で、人の生死に無関心だった外務省の役人のことは、今後もその責任が追及されるだろう。家族の中の1人は、やはり訪朝しながら、そのような事実はない、という北の嘘を鵜呑みにして伝えただけの共産党と旧社会党が、何か返答があるならしてみろ、という意味のことを言っていた。これももっともである。
しかし私は雑誌社系の出版社にも願いたい。社の総力を挙げて、北朝鮮に対して、いつ、誰が、どのような新聞や雑誌、或いはラジオやテレビなどの媒体で、どのように発言したかを改めて検証してほしいのである。私は何度も、北朝鮮に対する信じがたい署名入りの賛美記事を読んだ覚えがある。北朝鮮を賛美することが、進歩的文化人と、進歩的マスコミのトレンディーな姿勢であったが、そうした態度も、北朝鮮側発表の13人の運命を狂わせたのである。その責任の一部が今度明らかになったのだから、改めてすべての日本人はそれを読みなおす権利があるだろう。
おそらくそのような記事が、1つの風潮か空気として外務省に受け取られたのだから、外務省の無責任を暴くだけでは十分ではない。マスコミは自分たちが何をしたかも、今度この好機に、腰を据えて、はっきりと正視すべきなのである。
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