共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 死者の弔い方?文化や国民性の上に成り立つ  
コラム名: 透明な歳月の光 22  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/08/30  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   友人がオーストラリアの西海岸にあるパースという町に家を持っているので、遊びに連れて行ってくれる、と言う。その気になったのは、東京の私の家の2階の居室が、1階の屋根の照り返しで焦熱地獄だから逃げ出したくなったのである。

 南半球は今、早春だから、着いた日の温度は19度。抜けるような青空には雲一つない。乾いた冷たい空気の中では、袖なしでおへそを出している若い娘もいれば、厚いカーディガンを着た老女もいる。靴が買えないのでもないだろうに、ガソリンスタンドに車を停めた若い男は堂々たる裸足で、多分それが彼の健康法なのだろう。

 友人のマンションはスワン川と呼ばれる川が大きく曲がる絶景の地にある。川の向こうには400ヘクタールもあるというキングズ・パークが拡がっている。私が歩いた限りだが、一部は原生林、一部はプロテア、バンクシア、カンガルーポウなどのさまざまな種類の木が集められた植物園になっている。

 プロテアは強健な茎に、大きなものでは直径30センチに近い花を咲かせる。バンクシアは松ぼっくりみたいな花をつけ、カンガルーポウは、私の育てた花は茶黄色だったが、ここのは鮮やかな赤と緑である。私は日本でこの3種類共育てているので、こんなに凉しくて乾いた砂地に適したものを、べたべたと暑く、梅雨時には雨の降り続くしっとりとした黒土の日本に植えたことがかわいそうになった。日本のODAやNGOが、相手国の実情も知らず、自分がいいと思うことを相手に押しつけることは、愚かというより残酷なことなのだと思い知らされるような光景である。

 植物園の道には、大きなユーカリの並木が風に梢を揺らし、レースのような葉越しに木洩れ陽をさざ波みたいに散らしていた。その1本1本の木は、戦死者の記念のために植えられたものであった。戦傷のため、戦病死などと死因を書き、母によって植えられたものだ、と記されたものもある。

 靖国に祀られることを信じて国に命を捧げた人。死後1本の大木になってその下を通る人々に木陰と涼風を贈り続けたいと願う人。さまざまな思いが人間にはあって当然だろう。それをどちらかに決めようとするから無理が出る。ましてや他国が、長い文化や国民性の上に成り立つ死者の弔い方に口を出すなど、ヤボと横暴の極というものだ。総理は靖国にも参り、死者の記念の森も散策されたらいいのである。

 パースから港町フリーマントルへ行く途中には、海に面した国の上の、陽も風も風景もすばらしい一等地に、広大な墓地があって、アイルランド系の移住者たちがいたことを示す十字架がたくさん見えた。

 不思議なことだが、人間の暮らしの至るところで、脅威にはならない程度のおおらかな自然があって、春には芽吹き花が咲き、秋には落葉が舞うのを見たい。そうした大地の営みに充分にまみれて暮らさないと、人は「死んでも死に切れない」ような気がする。死は誰にとっても不条理なできごとだが、それでも草木と共生していれば、死は納得しやすいのである。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation