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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 家庭料理?一家の基本であり、総合文化  
コラム名: 透明な歳月の光 17  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/07/26  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は自家用の食料品をほとんど自分で買いに行くので、マーケットでレジに並ぶ度に自分の嫌な性格を感じる。それは自分の前にいる人が何を買ったかどうしてもじっくり見てしまうのである。これだってプライバシーの侵害になるのかもしれない。

 買い物の内容が原材料であると私はほっとする。これから家庭の味が加わるからだ。しかし冷凍食品、スナック菓子、既製のお弁当だったりすると、何となくおせっかいな不安に駆られる。

 私は一家が、自分の食べるものを調理することは、かなり重要なことだと思っている。料理はただ、食べ物を用意するだけではない。総合の文化であり、家庭の基本だと思う。自分で料理をすることは時には面倒くさく、時間がかかり、失敗することもある。しかし自分の家で料理した食事は、家族の会話のスタート地点になる。チンした食べ物がプラスチックの容器のまま食卓に出されている家庭には、家族の歴史も哲学も美学も人間関係も育たないと思う。

 私をも含めて最近の生活では、便利簡単が何よりいいことになっている。しかし精神をみずみずしく保つには反対の要素も必要だ。

 よく家元と呼ばれるような家庭のお正月行事が紹介される。私の家などは、紅白歌合戦も見ないのに、元旦は外に陽が上がって少し温かくなった頃起きようなどと怠惰な申し合わせをする。しかし家元のお宅ではそうはいかないらしい。まだ暗いうちに起きて、門弟さんたちと共に1年のスタートになる種々の行事が始まる。眠いだろうなあ、寒いだろうなあ、と私などは、余計なことを考えて堕落した我が身の幸せを噛みしめる。

 しかし生活は常に、ある程度の抵抗感、日々の辛さと共にあるのが健全なのだ。動物園で必要なだけ狩りもせずにエサを手に入れられるライオンは、長生きしないという。人間も同じだろう。

 ただ抵抗感や辛さの内容が、家族の病気や近隣との対立などではたまらない。それくらいなら、自宅で食事を作ることをもって苦労とした方がどれだけ幸せかわからない。

 しかし本当は料理は無限におもしろいものなのだ。私の家では、家事をしてくれる人が料理学校へ行って、関西風の薄味で上品な味を習って来た。最近のプロの味は関西風が主流になっている。しかし東京の庶民の家では、お砂糖と醤油をぶち込んで少し味を濃いめにして、子だくさんの家でも少量のおかずで済むようにして暮らしていた。そのなつかしい味も私は教えたい。

 凛とした苦労というものが常に身辺にあってよい。それによって心身の姿勢のいい、欲望の贅肉の少ない、不備に耐えて足さばきよく生活を歩き通せる身ぎれいな達者が、もう少し日本に増えるだろう。
 



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