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著者: 山田 吉彦  
記事タイトル: 海を見守る国民運動の推進 「海守」ボランティア構想  
コラム名: 特集 海のボランティア  
出版物名: 海と安全  
出版社名: (社)日本海難防止協会  
発行日: 2002/05  
※この記事は、著者と日本海難防止協会の許諾を得て転載したものです。
日本海難防止協会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど日本海難防止協会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   今、どれだけの日本人が、海を見ているだろうか。それは、海をどれだけ意識しているかということであるが。自称、海洋国家日本は、四方を海に囲まれている。しかし、現代の日本人は、海とは遠いところで暮らしている。コンクリートの箱の中で働き、鉄やアスファルトの上を移動する。海で泳いでいる魚を見ることはめったになく、魚と出会うのは、もっぱらスーパーマーケットのショーケースの中で、切り身の姿となっている。海に距離的に近いところに住んでいても、潮との間には、防波堤が高くそびえ、消波ブロックが要塞のように陣取り、立ち入り禁止の看板が海の存在を遠ざけている。

 本当は、すぐそばにあるはずの海を、もう一度身近な存在として感じることは出来ないのであろうか。日本人の貴重な食料である水産資源は海からもたらされている。また、石油をはじめ化石燃料、鉄鉱石など工業原材料のほとんどは海上輸送により外国から運ばれている。すべての日本人は海の恩恵を受けているのだから。


≪ 海に育てられて ≫

 私は、東京湾沿いの町で育った。私が幼い頃(昭和40年頃)、遠浅の海岸は、遥か先まで干潟が続いていた。春が過ぎ、少し汗ばむ季節になると、都心からやってくる潮干狩り客でにぎわったものだ。夏の日の昼下がりには、2歳違いの兄を先頭に近所の子供が列を組み海岸に向かった。手には、それぞれブリキのバケツやあみ、竹かごなど海の生き物を捕獲するための道具を握っていた。

 今思うと、海に出るときはいつも引き潮だった。きっと、遊び仲間にいた漁師の息子が親から聞いていたのであろう。私の得意技は、木の枝を使いアサリをほることだった。砂地の小さな窪みの下にあさりは潜んでいる。窪みに木の枝を突っ込み引っかくとアサリが表に出てくる。小さなアサリには目もくれず大きなものだけを選んだ。そして、バケツに入れるのは、子供の手の平5杯分位であった。4人家族の夕食分1回以上は、けっして捕らなかった。乱獲をすると3度の食事のおかずがアサリづけになってしまうのだ。子供心としては、アサリよりは、ハムかつやコロッケが食べたかった。

 幼稚園に通い始めた頃だったろうか、海岸線にブリキの塀が立ち始めた。子供たちは、遊び場を海岸から当時できたばかりの宅地造成地に変え、野球のボールを追いかけることに夢中になった。子供は、身近にないものは、あっという間に忘れてしまう。海沿いの町は、海を忘れた生活をはじめた。

 海が見えなくなり、海から遠ざかった人々は、海の素晴らしさも海の怖さも忘れた。海の向こうは外国だということも考えないだろう。現代の人々にとって外国との接点となる日本の玄関は、内陸にある空港となってしまった。

 私も現在の職につくまで、20年以上、海について考えることはなかった。海の恩恵を受け育てられてきたことなど考えたこともなかった。同じように知らず知らずに海から離れてしまった人も多いことだろう。


≪ 海が危ない ≫

 ここ数年、海に関わる重大事件が発生している。1997年1月に起こったナホトカ号沈没重油流出事件を覚えている人は多いことだろう。真黒でドロドロした重油が日本海沿岸の美しい海岸を覆い尽くした。この事件が起こるまで、ほとんどの人は、荒波に耐えられない危険な老朽化船が日本近海を数多く航行していることを知らなかった。それは、ナホトカ号1隻ではない。数え切れないほどの未整備船、老朽化船が日本の領海に侵入し、また、近海を通過している。

 2001年12月、漁船を装った不審船が日本沿岸に出没した。この不審船は、海上保安庁により停船命令を受けたにも関わらず逃走し、追跡した巡視船に対し銃撃を行った。皆さんご存知のようにこの船は、北朝鮮から出港した船であることが判明している。何の目的のため日本に来たのかは不明であるが、武装した外国の船舶が日本の沿岸に出没していたのは事実である。

 1997年から2001年の5年間に海上保安庁および警察により検挙された集団密航事件は、234件、3,634人に上る。昨年、1年間だけでも41件、415人である。

 2001年、海上保安庁が検挙した薬物の密輸事件は、10件。密輸・密航・密漁・産業廃棄物の海洋不法投棄など海上で起こる犯罪は後を絶たない。日本の近海は、けっして安全な情況には無い。しかし、海に目を向けることが少なくなった日本人は、海から近づく脅威に気づいてはいない。取り返しがつかなくなる前に行動を起こさなければならないだろう。

 日本の海岸線を守るのは、海上保安庁の役目である。しかしながら海上保安官は、事務職も合わせ1万2000人しかいない。日本の海岸線は、3万4000kmもの長さである。いかにレーダーやITが発展した現在でも、日本の海岸線を守る海上保安官はあまりにも少ない。海を国民自身の力で守ってゆかなければいけない時期が来たようだ。海の自然を守り、かつ、安心して生活できる国を創って行きたい。

 日本財団では、国民の1人1人が日々の生活中で、海を見守り、海から侵入してくる脅威を未然に防ぎ、海洋環境を保全して行くための運動の推進を提案している。


≪ 海洋ボランティア組織「海守」 ≫

 海に携わり生活を営む人々、あるいは海辺の町に暮らす人々が、海に目を向けることを意識するならば海からの脅威、海の異常をいち早くつかむことができるだろう。そして、速やかに海上保安庁や警察などの機関に連絡することで、事件を未然に防ぐこともできるであろう。

 日本財団では、海に関わる人々、海を守りたい気持ちを持つ人々が、協力し合うボランティア組織の創設を提案している。名付けて「海守」。海を見守り、海の情報・海の知識を共有し合い、海に異変を発見した時は、すぐに関係機関に通報を行おうという運動である。

 まずは、船員などの海事関係者、漁業従事者などに呼びかけボランティアに登録してもらう。ボランティアであるから普段の仕事に負荷のかかるものではない。身近な海に目を向けていることが、このボランティアの役割である。そして、広く国民に呼びかけこの運動への理解を求め、ボランティアヘの登録を呼びかける。海上保安庁や警察に適切な海の情報を提供して行くのである。海の異常に対し早期発見、早期処置をしてゆくための活動である。

 海から離れてしまった日本人の意識を海に呼び戻し、日本人、1人1人の力で、海の安全、平和な生活を守って行くことが重要である。国民の生活が海の恩恵に与かっていることを理解し、海の大切さを意識してこそ、真の海洋国家といえるのではないのだろうか。

 現在、日本財団では、(財)海上保安協会、(社)日本水難救済会をはじめとした団体や海に知見を持つ方々に意見をもとめ、海洋ボランティア「海守」の具体的な活動内容を検討している。将来的には、ナホトカ号事件のような海洋汚染処理に対応するボランティアのコーディネーター、津波・高波などの海洋災害発生時に地域のリーダーとなる人材の養成をボランティア「海守」の組織の中で進めて行く。また、現在活動している海辺のゴミ拾いや海洋自然保護などのNPO、ボランティア団体のネットワーク化も「海守」の活動の中で進めて行きたい。


 できるだけ多くの方に参加していただき、日本の海を日本人自身で守る活動に成長することを期待したい。

 海の恩恵なくして日本人は暮らせない。海のことを国民全体で考え、守ってこそ、真の海洋国家と言えるのではないだろうか。
 



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