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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 2002年「モスクワの春」三題  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2002/06/25  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   久しぶりにモスクワに出かけた。2002年3月末のことだ。私のロシア行きはこれで4度目。前回が1997年のメーデーの連休だから、かれこれ5年ぶりだ。「混迷と退廃」。これが、私の旅の体験で結実したモスクワのイメージだった。だが今回はこれまでとはちょっと違っていた。

 何ごとも粗野で荒っぽい。これが人口、850万人の世界有数の大都市の性格であり、それは5年前とは大筋としては変っていない。何故ならそれは、ソ連邦崩壊以降、ワイルド・キャピタリズム(野性味丸出しの資本主義)路線を突っ走る首都モスクワのダイナミズムの所産だからだ。でも以前よりも、人々の表情が明るい。ほんの少しだが、落ち着きみたいなものを、街の風情から感じとれた。

 今年のモスクワの春の訪れは1カ月も早い。「すみません。だから忙しくて、今回はお役に立てません」。知人のモスクワ大学出の日本語通訳、イリヤ君に連絡をとったら、そんな返事が返ってきた。彼はモスクワに遊園地を開設するニュー・ビジネスのパートナーになったが、早い春の訪れとあって、5月開園予定も4月に繰り上がったというのだ。電話から彼のウキウキした声が伝わってくる。

 以下は、私の見つけた新しい街ダネ。2002年・「モスクワの春」三題である。


≪ サッチャーの一声でライト・アップ ≫

 その1、〈モスクワの街並み〉

 ソ連の崩壊以後、モスクワの街は、荒れるにまかせていた。市の行政機能が低下し、街は不潔だった。それが、しばらく見ぬ間に、綺麗になっていたのだ。やり手で産業界にもニラミが利くルシコフ・モスクワ市長の音頭取りで、街がおしゃれになった。赤の広場の地下には大商店街が建設された。クレムリンと目と鼻の先のモスクワ川のほとりにはピョートル大帝の金ピカの超大型の像が建てられた。

 クレムリンやロシア正教会をはじめ、モスクワ中の主な建物は、灰汁(あく)洗いが行われ、これがモスクワだったのか??と目を疑うほどになっていた。綺麗になったモスクワの街並みは、「ウィーンやパリに似ている」と思った。よく考えてみれば、ロマノフ王朝の出自(しゅつじ)は、もともとドイツ系だし、政略結婚で西欧の王家の血筋が入っている。フランスにあこがれたエカテリーナ女帝の例もあり、もともとモスクワは、ネギ坊主頭の正教会の建物を別とすれば“東にある西欧風の都市”のたたずまいをもっていた。それが今回の旅行で改めてわかったのだ。

 以前のモスクワは、建物がくすんで見えただけでなく、ドロまみれの汚れた車が多かった。汚ない車は美観を損ねるので、もともと市条例違反とのことだ。今回は取締まりもさることながらモスクワ市民は、自分の汚い車に、場違いの感をいだき、洗車に努めたのかも知れない。

 街の美化の財源はどこから来たのか。それは税金である。市場経済化の荒波の中でニューリッチ(成金)が誕生した。彼らは法の不備と行政能力の低下を利用して巧みに徴税を免れていた。それが、この国の「混迷と退廃」の根源だったが、プーチン政権になってようやく法と秩序回復の兆しが見え、税も少しは集められるようになってきた。2年ほど前、サッチャー元英首相が、モスクワを訪問した際、ルシコフ市長が「綺麗」になった街を自慢したところ、「でもロンドンに比べて夜が暗い」と言われたとのこと。それからわずか3カ月で、夜間、主要な建物のライト・アップの設備を完成させたとか。

 その2、〈日本食ブーム〉

 ビルの照明で明るくなったモスクワの新名所は、「スシ・レストラン」である。ここ1、2年で空前の日本食ブームが到来し、モスクワ市内には100軒以上の寿司も出す日本料理屋が出現したと聞いてびっくりした。

「ピンからキリまでありますけど」。案内をお願いしたモスクワでビジネスコンサルタントをやっている朝妻幸雄さん(元丸紅モスクワ支店長)が、そうおっしゃる。「若者にも人気のある大衆寿司・レストランはありませんか。例えば回転寿司のような……」連れていかれたのが、繁華街に2軒ある「銀の滝」という名の日本食屋だった。1軒目は超満員で30分待ちとのことで、もう1軒に飛び込みで入ったのだが、150席もあるこの店で折よく2人用のテーブルがひとつだけ空いていた。

≪ “養老の滝”のモスクワ版 ≫

「あなたが、ここを希望したのは正解でした。マフィアやニュー・リッチの行く寿司屋も何軒かあります。1人前、180ドルから200ドルします。彼らは本当に寿司の味がわかるのかどうか。高ければ高いほどいいという人種ですから。こんな小話があります。2人の成金が街角で出会ったところ、たまたま2人とも同じネクタイをしていた。1人の男がこのネクタイは300ドルだったと言った。するともう1人の男が、なんだ300ドルか。俺のは500ドルだと威張ってみせた」、と朝妻さんが笑う。

 この店は、寿司も、やきとりも、焼き魚、酢のもの、天ぷら、揚げもの何でもアリ。おしんこまである。料理の名称はすべて日本語が使われ、メニューにキリール文字で記されている。

 値段は、寿司盛合せの「梅」が450ルーブル、いか丸焼き160ルーブル、鉄火巻1本100ルーブル、みそ汁60ルーブル、とり唐揚げ120ルーブル、キリンの生110ルーブル、日本酒1瓶480ルーブル。1ドル=35ルーブルで換算する。東京の居酒屋クラスの値段だ。

「この店のオーナーもニュー・リッチの1人ですがね。はじめて日本に旅行したとき焼きとりと日本酒にはまりこんでしまったんですね。それから何十回も、東京や大阪に出かけて、研究を重ね日本の居酒屋スタイルのレストランをやったら、モスクワ人に絶対うけると確信したそうです。日本の“養老の滝”という飲み屋のチェーンと契約しました。材料の仕入れから、料理、店内の設計、従業員のしつけ、価格の設定や料理の盛りつけ、すべて養老の滝のノウハウです」

 さすが商社マン、朝妻さんは詳しい。ロシアのレストランと言えば、料理が出来るまで客を長時間待たせるのが、サービスと心得ている店もあるのだが、この店は速い。ハッピ姿のロシア人女性従業員が、せっせと料理と酒を運んでくれる。メニューには「当店は新鮮素材と安心価格が基本です」とロシア語と日本語で印刷されている。

 まさにこの店、東京の「養老の滝」そのものだ。「でも何故、養老ではなく銀の滝なのか」。朝妻さんの解説によると「ヨーロー」とは、ロシア語の俗語で、「陰部」にまつわる行為をさすとのことで、「銀」になったとのことだ。「銀」と改名した功徳(くどく)なのだろう。


≪ 32歳、バツイチ女史の生活と意見 ≫

 若い女性のグループ客が目立つ。隣席で、ケイタイをかけまくっているOLとおぼしき女性に声をかけてみた。なんと彼女は英語が通じたのである。

「いつも来るのか? ですって。そう、週に2回はくる。この店、高くはない。安い料理とお酒頼めばいいんだから。とても楽しい店よ。それに日本食は美容にもいいしね」。年のころ32、3歳、バツイチの独身だという。職業は、会社のアカウンタント(会計士)で、月給800ドルだという。

 彼女いわく、それだけの収入があれば、このクラスのレストランなら頻繁に利用できるとのことだ。

 アパート代は極めて安く、光熱費はほとんどタダ、ロシア女性はスタイルがいいから何を着ても似合うので、洋服は何枚もいらない。貯金の習慣はない。だから遊興費にまわせる可処分所得は結構高いのである。

 その3、〈モスクワの知識人〉

 過去3回のモスクワ訪問の経験ではマフィアとニュー・リッチが闊歩するロシアのワイルド資本主義の中で、ロシアの知識人はおしなべて元気がなかった。今回はどうだったか?

 そもそもロシアのインテリゲンチア(知識人階層)なる言葉の由来は、18世紀の女帝エカテリーナ2世の導入したフランス啓蒙思想である。当時、インテリは国家理念や文化を創り出す主要な役割を担っているとされていたが、スターリン時代には出番はなく、ソ連崩壊後、ゴルバチョフ時代に、ほんの短い期間、脚光を浴びたにすぎなかった。

 なによりも大衆が遠い先の「ビジョン」よりも、現在の「物質的快楽」と「心の癒し」を求めたからだ。

 前者は拝金主義やマフィアなどのヤミ屋の世界を生み、ロシア正教が後者の役割を分担した。そしてインテリは世論を動かす力を失い、アカデミズムを捨てて、ニュー・リッチに転向、金儲けに専念した人も大勢いる。だが、ここ2、3年、大学ではビジネススクール一辺倒から、理工系学部や、人文学科の人気が戻りつつあるという。今回の訪問先のひとつ、モスクワ工科大学で、そう聞いたのである。これは、モスクワに「知識人と学問の春」の訪れる前兆なのだろうか? たしかにアカデミズムとインテリが、徐々に復活しているような気配が感じられる。
 



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