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東京・駒場、喧噪の渋谷から井の頭線で2駅、住宅地の一角に日本民藝館があります。白の漆喰壁に、我が国唯一とされる大谷石で葺かれた屋根をもつ長屋門で知られる民藝館は、昭和11年、宗教哲学者であり美学者であった柳宗悦(やなぎむねよし)によって創設されました。
開設以来65年もの風雪で老朽化が進み、耐震上の問題もあったため、昨年の師走から大修理を行っていましたが、4月初めに工事は完了。日本財団もいささかお手伝いさせていただいたこともあって、祝宴に連なりました。
美術館、博物館では珍しく土足厳禁の館内に靴を脱いで上がると、来館者の足で磨き上げられた木の床に、張り替えられたばかりのクロス張りの壁がまばゆく映えています。日本人の生活文化の粋が詰まった収蔵品を眺めながら、民間組織で保存管理していく難しさと献身される人々の立派さを思いました。
「民衆のための工芸品にこそ美がある」
柳は、作家の「美の意識」ではなく、職人の「用の意識」から生まれる日常の生活雑記のなかにこそ「無作為の美」が存在すると喝破しました。私たちの周囲に「民芸調」とか「民芸風」などといった言葉が存在しますが、この「民芸」正しくは「民藝」は、実は柳宗悦が思考し生み出した造語なのです。そして、大学時代から親交を温めた英国人陶芸家バーナード・リーチをはじめ、陶芸家の浜田庄司や河井寛次郎、富永憲吉、版画家の棟方志功といった共鳴者を得て「民藝運動」を進めていきました。
実業家の大原孫三郎の支援によって開設された日本民藝館は、そうした柳の思想を具現化したものなのです。
古来、成人になることとは「手に職を持つこと」であり、皆が「用の意識」をもって日々を生きてきました。しかし今日、技能五輪の常勝国であったわが国の、世界に誇った良きマイスター制度は危機に瀕し、「用の意識」は薄れています。
いま、大量生産から個々人の必要に合わせた商品開発の時代に移ったといわれます。しかし、その根底にあるのは相変わらずマス・プロダクションの発想、バブル時代と変わらない「消費、使い捨ては美徳」です。
マス・プロの時代はイミテーションの時代でもあります。柱や壁を時代風に塗った民芸風、民芸調のレストランで供される民芸風の焼き鳥や蕎麦は冷凍ものを電子レンジで処理しただけ、そんな「風」や「調」に職人の「用の意識」から生まれた「美」など一片もありません。
廉価、利便性は否定しませんが、このまま怠惰に流れれば、大切なものが失われると気がかりでなりません。
柳の最晩年の文章に『日本の眼』があります。欧米の文化、美はギリシャ芸術に見られる均整をもとに科学的合理性を求め、一方、日本の文化、美は陶器やその文様に見られる変化をもとに感性を尊ぶと説いています。そして、欧米追随を捨て、世界に日本の美を主張せよと訴えるとともに、日本人の美への感性の象徴として、豊かな四季への思いなど「直観力」をあげています。真贋を見抜く力でしょう。
今日、われわれはいや応なくグローバルな世界に身を置かざるを得ません。そこでは普遍性という大義で、固有文化を矮小視しがちです。今一度、固有の「日本の眼」で足下を見直す時期にきているように思います。
日本民藝館は、心静かに日本人とはなにかを考えるには最適な場所です。「用の美」にふれ、忘れがちな良き日本の姿を思い返してみるのも一興でしょう。
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