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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 車椅子?すべてが教育と実践の場  
コラム名: 透明な歳月の光 4  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/04/26  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   今年で19回目になる障害者、病人、高齢者をまじえた約80人のグループは、4月21日、ギリシャ中部のメテオラの修道院群を訪ねた。

 かつて海底だった、と言われる地帯に、数十メートルのかりん糖状の岩が屹立している。その上に、コウノトリの巣のような修道院が頂上の面積いっぱいに建っているのである。

 まだ冬の名残を残して雨が降り出した。バスを下りる時「車椅子の方はバスの中にお残り下さい。眼の不自由な方は階段の様子をパートナーに聞いて、大丈夫と思ったら登って下さい」と言われた。それが常識というものであった。

 私も6年前の足の骨折以来、軽い後遺症が残っていて、右足に力が入らない。しかし登ってみると階段はたいして高くなかった。教えてくれた人によると、百十数段だという。

 グループには高校生、大学院生、社会人の若い力持ちの女性たちもいる。全国モーターボート競走会連合会、私の働いている日本財団からも、毎年若い人たちがもっぱら力仕事をしに来てくれている。大変でないことはないけれど、4台の車椅子を運び上げることは不可能ではない、と判断した。

 ほんとうは力仕事のできなくなった私から頼むことではないけれど、皆「やります」と再び雨の中をバスまで迎えに下りて行ってくれた。雨はますます激しい降りになった。半袖でずぶ濡れになった人は、もし力仕事をしていなかったら、さぞかし寒くて凍えたことだろう。それでも十数分後に4台の車椅子が頂上の修道院の入口のテラスに着いたときは拍手が起きた。

 初めてここに修道院を作ろう、と考えた人は、つるつるの断崖を登り、わずかな岩の裂け目を手で掘り広げて穴居生活ができるだけの空間を作った。それから600年間に、少しずつ修道院は石積みの外壁、半円筒型の屋根瓦、堂々たる木材の梁を持つ主聖堂を建て、そこを多くのイコン(聖画像)で飾るまでになった。材料はヘリで吊り下ろしたわけではない。1つ1つ人力か家畜の力で運び上げたのだ。

 冷たい雨の中を4台の車椅子を運び上げた若者たちは、これくらいのことは、昔の修道士たちの生涯を賭けた辛抱と労力を思えば、ものの数でもない、と知りつつ、自信を持ったことだろう。彼らにそのような実践の場を与えてくれたのは車椅子の人たちであった。彼らはつまり、期せずして若者たちを教育してくれたのである。そして私たちは誰もが、障害者をバスに残してこなかったことを喜んだ。障害者も病人も、健康な若者といっしょに人生を見られるのである。

 最近再びギリシャでも、最高の教育を受けた若者たちの間で、こうした文明と喧騒から隔絶された地で自分を敢り戻すことがのぞまれているという。
 



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