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≪ 「マキコ」「ムネオ」騒動の死角 ≫
「マキコとかムネオとか、次元の低い話が国政を揺るがす外交部門の大トピックとは、日本もノー天気な国だ」「そう。あの間題は誰が某国の、そして誰が某々国のエージェントか、などという怖い話ではない。あれはヤクザ顔負けの族議員と、信念も戦略もないダメ外務官僚、そして気まぐれお嬢さん大臣の三つ巴の政治的私闘にすぎない」「だから将来の日本の国家像を構想する上で、あれはなんの役にも立たない」「そう。今、日本の国家戦略を作る上で、一番大事なテーマは何か?」「日米中の三角関係の行方をどう読むか、ではないか。国の命運を左右する大問題なのにマキコ、ムネオ騒動の死角に入ってしまって、等閑視されている」
先日、「ぺるそーな」同人の浜田麻記子氏と交わした国を憂える問答である。これが、本誌に表記の題名の記事を書くにいたったいきさつだ。以上、前口上である。
冷戦の終えんから10余年、世界の状況はあの当時とは大きく変わっている。唯一の超大国として一国主義(ユニラテラリズム)の彩を色濃くするアメリカ、経済と軍事で急速に台頭する中国、そして経済で地盤沈下する中で、国を守る気概もさほどの高まりを見せない日本、こうした力の相対的変化が、今後の日米中関係に、どう作用するのか。それを模索することがこのエッセイのテーマだ。それには以下の7つの設問にまず思いをめぐらす必要がある。
(1)安保で、日米は今後より緊密になれるか。(2)日米同盟の代案は、ありや否や。(3)現行の日米同盟は、中国にとっていかなる意味をもつのか。(4)日米同盟にとって、中国は潜在的な敵国か。(5)台頭する中国は、アジアの覇権国になるのか。(6)米・中接近が起こり、日本はBypassingされるか。(蚊帳の外に置かれるか)(7)日米中がそれぞれ等距離外交を行なう正三角形の関係は成立し得るのか?
≪ 小説「1984年の」空想の正三角形 ≫
この7つの問いを解くには、なによりもまず、国際政治の世界における「三国関係の一般理論」を知っておくことが肝要だ。パワー・バランスの世界では、3は不吉な数字だ。三角関係は不安定で、メンテナンスが難しい。私はこの命題について、2002年3月東京のシンポジウムで同席した米国の高名な中国専門家、ジョージワシントン大学エリオット国際・関係学部長、ハリー・ハーディング教授と意見を交わした。
「3というのは、均衡がとりにくい。すぐ2対1になる」と私。
「そうその通りだ。三角関係の均衡が永続したことなんて、世界の政治史上ない。小説の世界ならあるけどね。ジョージ・オウエルの“1984年”がそうだ。世界が、3つの超大国に統合され、小競り合いをしつつも、相互に力がバランスする舞台設定になっている。ああいうのは、Romantic Equal triangle(空想の正三角形)というのだ」とハーディング氏。
早速、ハヤカワ文庫の近未来風刺小説、「1984年」を読み返してみた。
世界は3つの超大国に併合されている。3国とも力が拮抗している。たとえ2国が連合しても、他の1つを征服できない力関係になっている。その中で、3つの超大国は、それぞれ全体主義国家を営んでいる。3国とも核兵器を所有している。3国のうち、2力国が結合したり、あるいは離反したり、ごく限られた一部の領土をめぐって“限定戦争”を繰り返している。同盟関係の組み合わせは、果てしなく変わる。でも、3大国とも、この戦争でたいした被害は受けない。実際は、それぞれが事実上、外部から切り離された小宇宙なのだ。言うなれば、相手に深手を負わせない角度に、ツノの生えた三頭の牛がケンカしている。だから「戦争は平和ナリ」で、小説の中で、三者永久均衡が存在している。
≪ 「三体問題」の一般理論 ≫
だが、それはあくまでも小説の話だ。空想ではなく科学の手法を使うと、正三角形の均衡は、稀にしか成立しえない。経済学が取り入れた数学にゲームの理論がある。「均衡」を求めるためのものだが、3者からなるモデルは、「Three body problem」(厄介な三体問題)と名づけられる。何故ならば、(1)3つの力が同等で、すべての情報が公開され、お互いの手の内がわかっている完全情報の条件下のもとでのみ三角は均衡する。NASHの均衡という。(2)3者がお互いに相手が何をするか全くわからないときは、それぞれが疑心暗鬼にかられ、何でもありのrule of jungleの世界になる、「三体問題」の一番不安定なケースだ。たたいたり、たたかれたり、三者とも疲弊衰退する。(3)「三体問題」のほとんどのケースは、協力者(同盟、ないしは裏で手を組む)を、選ぶケースだ。3は、2と1の競争になる。2が1を征服したあと、2が1対1に分裂し、再び争いを続け、どちらかが生き残る。しかし、この場合も、いくつもの組み合わせがある。協力者(同盟のジュニアパートナー)が、強者より強くなったり、協力者が敵に寝返ったりする。
ゲームの理論にもとづく経済学の「世界経済モデル」は、世界が3つのブロックに分裂して、ケンカした場合に、地球全体が受け取る“経済的厚生”が最小になり、無数の三角からなる“多辺形”(Polygon)の自由交易関係のもとで最大になると結論づけている。また「一強」のもとですべての情報が公開され、自由に交易するUnipolar(一極)モデルにおいても、経済的厚生は高くなるとしている。
オッと、このエッセイは、経済ではなく安全保障だった。だが「三体問題」の一般理論は経済も安保も同じなのだ。経済学が、経済的厚生を極大をもたらす均衡点を求めているのに対し、安保理論は「力の均衡」(Power Balance)のポイントを求めているのだが、セオリーは共通である。
安保であれ、経済であれ、世界モデル作成のセオリーによれば、自由で開かれた成員からなる“多辺形”が、最高の平和と最大の繁栄をもたらす。『円』は究極の多辺形だが、駄洒落をいわせてもらうなら、『円』のモデルのもとで、世界は丸くおさまる。だが、日米中のような」“三角形”は、冷戦中の米ソ2国関係よりも厄介で、均衡点が見つかり難い。3者の力と、出方の変化によって、三角形の形状は、いかようにも変化する。「変化」のダイナミズムを把握するには、日、米、中3国がそれぞれこの「三体問題」をどうとらえているかの検証が不可決だ。
≪ 米国で生まれつつある日米同盟無用論 ≫
〔アメリカ〕小泉内閣が国連安保理の国際テロリズムの非難決議を根拠に、テロ対策特別措置法と自衛隊法を改正し、自衛隊の海外派遣を決めたことに対し、米政府部内では高く評価するむきもある。これは、日本の同盟国米国に対する集団的自衛権の行使につながり、米が一方的に日本の防衛義務をもつ“変な同盟”から、普通の同盟への貴重な一歩と解釈するからだ。
にもかかわらず、米国の日米同盟に対する反応は全体的としては熱が冷めつつあることは否定できない。
(1)ソ連の崩壊で、安保同盟としての日本の軍事的重要性が減少した。(2)1990年代に、日米経済の力関係が再逆転し、「強いアメリカ経済」と「弱い日本経済」の形がはっきりした。(3)日本はアジア地域のリーダーシップ争いで、中国に遅れをとり始めている??などの客観情勢の変化が背景にある。アメリカは、軍事と経済ともに世界唯一のスーパー・パワーとなった。反面、冷戦時代対ソ封じ込めで重要な役割を果たした同盟国日本は、経済でEUに遅れをとったという意味でグローバルの舞台で、中国の急速な台頭でアジアの舞台で谷間に滑り落ちた。そして、アメリカにとって、日本の必要性は、安保、経済の双方で低下したとみているのだ。
私は2002年3月、東京財団主催の「地球テロ時代と日米新体制」と題するシンポジウムの司会をやった。その討論の中で、「日米同盟の存在理由は、稀薄となったとする」2人の論者と意見を交換した。1人は、アラン・トネルソン米ビジネス産業評議会研究員だ。彼は言う。「同盟国日本はやることなすこと遅すぎて役に立たぬ。軍事的予見可能性を見出せるかどうかが同盟の成否を決める、同盟国がどれだけ武器を提供でき、軍を支援できるかを見誤ると兵は死ぬのだ。日米は社会、歴史、文化、国土、経済、軍事力など違いが大きすぎる。全く似ていない同士なので、同盟関係の管理が難しい。その割には、米国にとって同盟の有用性は小さい」と。
もう1人の論者は、ロン・モース、カリフォルニア大ロサンゼルス校教授だ。彼はこう言った。「日本は自己欺瞞に満ちた言動をしてきたのみならず、安全保障上もほとんど無能力だ。米国人が日本政府を信用していない以上に、日本人が日本政府を信じていないのが問題だ。テロで柔軟な対応をとったロシア、中国に比べ、日本は50年来の同盟国としてはお粗末だ。日本は欧米のある西半球に入っていないし、キリスト教国でもない。日本はじょじょに中国の影響下に入りつつあるように見える。大国中国に日本が呑み込まれないようにするにはどうしたらよいのか。その答は国の安全を米国頼みにするのではなく、自主防衛路線を研究したらどうか。例えば、日米安保をやめて、GNPの4%を防衛費に支出し、核とミサイルを保有する、もっと強い日本になるのだ。そうなれば中国だって、日本をまともに扱うようになる。米国は自分の防衛は1人でやれる。日本が民主主義国であり、米国に友好的である限り、核を持ったってなんら問題はない」と。冷戦中の日米同盟は成功であったとするのが米国の一般的評価だが、ソ連という共通の敵の消滅以降、米国内のアカデミズムの世界で、このような日米同盟無用論が出ていることを知っておくべきであろう。
≪ 中国、日本をたたき、米とは「共創未来」 ≫
〔中国〕この国は、歴史的に3国関係の関数を解くのは得意である。「三国志」のストーリーを想い浮かべるとよい。3世紀の末、後漢末の混乱期、地方の軍事、政治集団を形成する豪族たちの中から、3つの国が建設され、たがいに正統性を主張、対立した。魏(曹操とその子曹丕)、蜀(劉備、関羽、張飛の3義兄弟と名臣諸葛孔明)、呉(孫権とその臣、司馬炎)の3国である。この3者の正統性の争いは、古典的な三角形のパワー・ゲームだ。当初、劉備と孫権の連合軍は赤壁の戦いで曹操を破り、魏による中国統一を阻止した。しかし魏に致命的な打撃を与えるにはいたらなかった。蜀は諸葛孔明の死後力が衰え、力をつけた魏に滅ぼされる。魏は、権臣司馬炎が帝位を奪い、晋となった。司馬炎は呉を攻略し、ついに中国を統一した。小説「三国志演義」は、3が、2つになり、そしてついに1つになった物語である。
三国志流パワー・バランス論で、中国の戦略を分析すると以下のようになる。70年代初頭の米中国交回復の当時、中国は、日米安保体制を容認していた。「北東アジア地域における米軍の存在は、この地域の安全保障にとって緊要である」。当時、周恩来首相は、訪中したキッシンジャー特使にそう言明した。敵の敵は味方、すなわち中ソ対立のもとで、対ソ封じ込めの日米同盟は有用であり、かつまた日本の軍事大国化の抑制装置(いわゆるビンのフタ論)と計算していたのだ。ところが中国の日米安保に対する評価は冷戦の終えんとともに大きく変化した。日米のみならず中国にとっても共通の脅威であったソ連の消滅、これに加えて1996年の日米安保共同宣言(日本の防衛のみならず、周辺地域の平和と安全維持に貢献する)以降、批判を強める。中国を対象とした冷戦の遺物であるとして、日米安保そのものに反対している。
しかしここで、三国志流の戦略・戦術思考をいかんなく発揮し、同盟を構成する日米の双方を同時に相手にするのではなく、もっぱら弱い方(日本)を徹底的にたたく作戦をとっている。「歴史問題」と「軍事大国化」を攻撃し、米との離反を策しているのだ。米国は中国にとって脅威ではあるが、中国の国力からみて強大な米国への外交姿勢は抑制せざるを得ない。そこで、対米関係は「増進了解、拡大共識、発展合作、共創未来」(理解を増進し、共通認識を拡大し、協力を発展させ、ともに未来を創る)ということになっているのだ。
米国の対中戦略は、クリントン民主党政権下では、「米中は戦略的パートナー」(1997年)と位置付けていたが、2001年のブッシュ共和党政権は「米中は戦略的競争相手」と訂正した。中国が仮に平均で7%の経済成長が可能だとすれば、20年後には、1人当りGDPでも中所得国になる。その時点で中国の姿は権威主義的覇権国、あるいは、民主的で国際社会と融合する地域大国のいづれかであろう。経済破綻、政治分裂、対外的に冒険主義の貧困の中国に、逆戻りする可能性は小さい。
≪ 日本憲法前文より、孫子の兵法を読むべし ≫
〔日本〕日本は、パワー・バランスの世界の中で、この均衡のとり難い、移り気の3国関係をどう扱っていくか。これを模索するには、最低限、日本国憲法の前文の「平和主義」とか、9条の「戦力及び交戦権の否認」から卒業しておかねばならない。「われらの安全と生存の保持」を他国の「公正と信義」に託しているような国は、本来童話の世界にしか存在しない??」とするのが、国際政治学のリアリスト・スクールの常識である。
リアリストから見れば、このテーマを考えるには、憲法の前文よりも、紀元前6世紀の中国の春秋時代の兵法書「孫子」の方が役に立つ。
第1に「兵は詭道なり」なのだ。すべての情報が公開され、お互いの手の内がみんなわかってしまうような国際関係はまず存在しない。裏で手を組み、同盟者を出し抜くこともある。日米同盟を、運命共同体などと勘違いしたらえらいことになる。
第2に、「上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む」なのだ。朝鮮戦争(1950年〜53年)以後、米中両国は「兵を伐つ」「城を伐つ」のホット・ウォーはやっていない。だが「謀を伐つ」(はかり事を見抜いて未然につぶす)、「交を伐つ」(相手の同盟関係にクサビを打ち込む)は、つねに米中、もしくは日米、日中関係の中で行なわれている。中国の日本たたきは、まさしく「交を伐つ」なのだが、日本人の中の憲法の前文愛好者たちはその事にまったく気づいていない。
第3に「彼を知らず、己を知らざれば、戦うごとに、必ず危し」だ。「ぺるそーな」の読者は、日米中三角関係の中で、米国と中国の出方についての概略は、この随想を読まれて知った筈だ。問題は、己、すなわち日本が戦略的思考力において、米・中両国に比して、著しく劣っていることをまず知ることなのだ。日米が「価値観を共有する運命共同体」だと思ったり、日中は、「一衣帯水」で「同文同種」の生来のお仲間などと勝手に思い込んでいると、日本は「必ず危し」である。
第4に「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。いわんや算なきにおいてをや」だ。アメリカも中国も、国際情勢の読みは、計算高くてずるい。
第5に、「兵を用いるの法、その攻めざるを頼むこと無く、わが攻むべからざるところあるを頼むべし」だ。安全保障の原則は、人が攻めて来ないことをあてにするのではなく、敵がわれわれを攻めてこれないようにすることなのだ。つまり「われらの安全と生存の保持」を他国の「公正と信義に頼む」日本国憲法は、間違いだといっているのだ。
さて、この辺でへそ曲り人の文化問答の安全保障編を終りにしよう。「日米中三角関係」の5つの将来像を別表として掲載した。「3国関係の一般理論」「厄介な三体問題」「三国志」「孫子の兵法」の思想と論理をべースに検討すると、日米中の将来像はどういう展開になるか??。私なりのコメントと、◎○△×の可能性に関する予測をつけておく。
※別表は省略させていただきました
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