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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ホットケーキ?人にも言えない歴史と心情が  
コラム名: 自分の顔相手の顔 511  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2002/03/12  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ここ数年、私は自分がいつ死んでも夫が1人で暮らせるように「訓練」して来た。と言うと夫は必ず反論し、自分は誰に教えられなくても、家事一切できるのだと言う。できないと思いこんでいるより、自分はできるのだと信じている方が始末にいいので逆らわない。

 老年の男性は必ず、家事ができなくてはならない。妻もそれを必ず教育して死ぬべきだ、という思いは、私の中から抜けない。

 夫はたった2カ月の軍隊の体験の時覚えたベッド・メーキングの技術を復活させた。毎朝、窓を開けて新鮮な空気の中でべッドを整える。今日からでも、東京の一流のホテルに雇って貰えるほどの技術である。

 時々朝飯にホットケーキを焼く。ホットケーキは女房に焼かせると、とろい焼き方になる、と信じている。夫婦でも焼き方の好みがこんなにも違うのがおかしい。夫は戦前のホットケーキのイメージ通り厚焼きが好きだ。私は薄く平ったく焼きたい。しかしいずれにせよ料理人が主導権を握るのだから、私はバターとメイプル・シロップだけ並べて、じっとテーブルの前で待っている。

 終戦後、叔父が駐留米軍に接収された箱根のホテルの経営者だった。高校生の私は夏休みに叔父の家に寝泊まりして、英語の勉強と称してホテルで無給で働かせてもらった。

 叔父の家では、朝、よくホテルのホットケーキが出た。初め、私はケーキの上にほんのちょっぴりシロップを垂らした。甘いものはすべて貴重品だという終戦後の貧しい時代に育ったので、ホテルのものだと言っても、あんまりシロップを使い過ぎたら悪いような気がしたのだ。すると叔父は、たっぷりかけないとおいしくないよ、と教えてくれた。

 ホットケーキの上のシロップの量は、それ以来、私の意識の中でくだらない人生観と結びついた。今ではカナダ産のシロップを買うことくらい大した出費ではない。しかし私は今でも、充分にして余さず、という量を測定するのに、数秒間腐心するのだ。確かにホットケーキは、シロップの海の中で溺れさせるようにして食べるのがおいしい。しかしお皿に、「貴重品」のシロップを余すのは、これまた罪悪のように感じるのである。

 たかがホットケーキ1つに、私たち夫婦の人にも言えない歴史と心情が残っている。どこの家庭にも夫婦にもそうした部分がある。

 小説家はささやかな真実を大切に拾い集める。そこから1人の人生を見つける。なかなかおもしろい作業なのである。
 



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