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===ご挨拶===
WHOハンセン病制圧特別大使 日本財団理事長 笹川陽平
ご紹介賜りました日本財団の笹川でございます。本日は園長先生、そして自治会の太田会長を始め自治会の幹部の皆さん方、本当にお揃いでお迎えを頂きまして大変恐縮に思っております。
園長先生からもお話がございましたけれど、殊の外園外の方々との交流も順調に拡大をしている由、またそういうことを更に強めていくことが、やはり重要なことであるということでございました。全くその通りでございますし、また太田会長の方から種々ご決意とご依頼がございましたが、皆様方の長いご苦労の歴史というものは筆舌に尽くし難いものでございまして、私ども遅まきながら勉強している最中でございます。
私の父は7年前に96歳で亡くなりましたが、終生彼はこのハンセン病に対する闘いというものを個人レベルで、そして、生涯を通してやってきた人でございます。私は忘れもしませんけど、若い時から海外に行く時にはよくついて行く機会がございました。一番最初は韓国で、その次は台湾でございました。当時海外に出るというと大変珍しいことでもございますし、帰りにお土産の1つということで、お金を持って行ってたわけでございますけども、ホテルに着くなり「おまえ、いくらお金を持っているか」と言うもんですから、父親に嘘をつくわけにもいかず、正直に「何十万円持っております」と言うと、「君、そんなお土産買うよりも寄付した方が気持ちいいぞ」ということで全額取り上げられまして、韓国のハンセン病の施設にご寄付をしたり、台湾に行く時にも取り上げられたということで、父と旅行をする時にはそれ以後お金を持って行かないということにした記憶がございます。
どこの国に参りましても、必ずハンセン病の施設を訪問すると同時に、世界中にそういう施設を作ってやってきたわけでございまして、志半ばと申しましょうか、後はおまえがきちんとやってもらいたいという遺言で、その仕事を続けているわけでございます。
皆様方にはあまり世界の状況についてお聞きになる機会はないかと思いますので、少しお時間を拝借したいと思います。
WHO(世界保健機関)が中心になりまして、何とか2005年までに各国それぞれ患者さんの数を人口1万人当たり1人以下にしようということでございます。これには世界で初めてそういう国際機関、世界保健機関、あるいは世界銀行、その他の国際機関、それから患者さんのいらっしゃる国の政府、そして日本財団・笹川保健協力財団などが参加しております世界救らい協会、あるいはその他のNGOと言われる非政府機関の皆様方が一体になりまして、これは世界的にさまざまな難問題がある中で、初めて具体的に大きな連合体を作って1つの目標を達成しようということになっておるわけでございます。
日本財団は、この5年間で世界中で必要とする薬を全て無料で提供して参りました。従いまして、1985年に122カ国にのぼったハンセン病蔓延国が現在116カ国ですでに1万人当たり1人以下になってきております。従いまして、残っている国はインド、ミャンマー(昔はビルマと言っておりました)、ネパール、アフリカのマダガスカル、モザンビーク、南米のブラジル、この6カ国がもうしばらく頑張らなくてはいけないということで、今関係者あげてその努力をしているところでございます。
笹川さん、そうおっしゃるけれども、別に1万人当たり1人以下になったってハンセン病が無くなるわけではないじゃないかと、或いは私たちが受けてきた偏見に基づく差別は無くなるのか、という疑問を当然皆様方はお持ちになろうかと思います。
まず、世界的には1つの大きな目標を達成することが第一歩だと思います。そしてもちろん、皆様方がご苦労なさった社会的な偏見というのは、先程園長先生とも話したのですが、世界に190カ国近くございますし、もちろんこの病気が無くなった国もたくさんあるわけでございますが、ある国におきましては国も人種も、或いは国境も関係なく、皆様が受けられたと同じような苦しみを今も受け続けているわけでございます。そういう意味では本当に稀な病気であるということはご存じの通りでございまして、私どもはまず、この病気をそういう公衆衛生上の問題としての大きな、紀元前6世紀にすでにインドにこの病気のことを書いた書物もありますし、旧約聖書にも出ています。
ここで1つ、人間が人間を差別する悪業の根源となる病気を各国で1万人当たり1人以下にするという大きな目標を達成するために私たちは頑張っておるわけでございますが、WHOでもどちらかと言えば医学的な側面から病気をなくしていこうということでございます。回復された方々も世界にはたくさんいらっしゃるわけでございますので、幸いWHO事務局長のブルントランドという方は、ノルウェーの首相もなさった女性でございますし、人権問題という切り□について2人で話し合った機会がありまして、これをさらにWHOとしては強めていく必要があるのではないかということで意見の一致をしたわけでございます。
どうかひとつ皆様方からもいろいろお教えをいただきまして、この世界からハンセン病を1日も早くなくすということ、患者の尊厳回復のために尽力していくことを、私は終生自分の仕事として、ライフワークとして取り組んでいくことが親父の遺言を全うすることになりますので、ささやかではございますが、努力を続けていきたいと思っているわけでございます。
いろいろ皆様方にはご不満も残っていることも良く存じあげておりますが、皆様方の長いご努力の成果として、ハンセン病訴訟で国が「控訴断念」を決定したことは世界的なニュースとして報道されたわけでございます。
ご承知のように、皆様方のお立場というのは、ともすれば今まで隔離の中で声があげられなかった、と言いましょうか、これは世界的にもそうでございますけれども、これだけ長い歴史とその苦しみがある中で、私の知るかぎり国連の人権リストにも出ていないと思います。先般、チェコのプラハで5年間継続のこれからの21世紀をどのように生き抜いていくか、というような国際会議がございまして、今年は「病気と人権」と人権問題がテーマでございましたが、「病気と人権」というセッションをぜひ作ってほしいということで、私がハンセン病の問題をお話しし、皆様もご承知かと思いますけれど、IDEAという回復者の世界的なネットワークがNGOとして存在しますが、そこのアンウェイさんが私の話を更にフォローしていただき(もう1つはエイズの問題を話したわけですが)、多くの政府の元大統領だとか現職の首相だとか、或いは各宗教の宗派の代表だとか、メディアの方も参加されました。
われわれの宣言というのは国連で正式に広報されることになっているくらい権威の高いものでございますが、おそらく医学的な部分を除いて、国際会議の場でハンセン病を人権問題としてとらえた、公式の発言の最初になったのではないかと思っておりますし、多くの方々が驚きと同時に、自分たちの周りにそういう方々がいるにもかかわらず、それを知らなかったということに対する自戒の念と申しましょうか、反省とでも申しましょうか、そういう驚きをもたれた方も沢山いらっしゃいました。例えば、東チモールというインドネシアから分かれた国がございますが、そこのホルタという方は東チモールの解放運動でノーベル平和賞を受けられた方ですが、彼は驚いて「わが国にもあるはずだ。私はそういう大事な事を見落としていた。帰ってすぐ国じゅうを調べて、ぜひ薬を届けてほしい」というお話がございましたし、この世界の人権問題の中で隠れた人権問題といっても私はいいんではないかと思うんでございますが、そういうことをさせていただいたわけでございます。
これにはいろいろな問題もございますが、私がお願いしたいことは、皆様方の長い経験を単に日本国内にとどめることなく、世界の回復者の皆様、あるいは今も病んでいらっしゃる方々との連帯をぜひ強めていただいて、皆様方の情報を提供していただき、また励ましていただければ、どれだけそれぞれの国で悩んでいる方々を勇気づけられるか分からないわけでございます。そういう意味からも、今後さまざまな海外での我々の活動の機会に皆様方もぜひともご参加していただいて発言をしていただくということが、私は皆様方のご苦労と同時に、やはり世界に貢献できる大変大きなノウハウと言いましょうか、ご経験があるわけでございますので、ぜひとも世界の回復者、リーダーシップを日本の皆さんにとっていただきたいと思います。
日本の国はご承知のように、経済的には大きな力を持っておりますけれど、世界の中でいったい私たちがどの程度発言力があるか、或いは行動をとってきたかということを考えてみますと、甚だ残念と言わざるをえないわけでございます。さまざまな分野の中でも、皆様方の経験というのは世界に生かせる大きな意味合いを持っているということを皆様方にぜひご理解をいただきたいと思います。皆様方の運動、あるいは闘いが終結してないというお話も承っておりますし、私もよく分かっているつもりではございますが、どうか1つ世界にも目を向けていただきまして、共に大きな世界的な連帯をつくり上げたいなというのが私の希望でございます。
それともう1つ、これは世界各国の資料が散逸いたしてきておりまして、私は人類の歴史の中で1つの大きな負の、マイナスの遺産だと、こういう言葉を使って皆様方のお心を傷つけるとしたらお許しいただきたいのでございますが、やはり人間というのは大きな間違いを数々してきた歴史でもございますし、そういうものが後世にきちっと伝わるように努力する、また我々人間というのはそういう愚かなことをやってきた歴史があるんだということをきちっと残せるのは、日本が唯一の国ではないか、資料も世界的に見ましてもおそらく日本が最も豊富ではないかという気がするわけでございます。
皆様方からみれば、自分のこんな1枚のはがきは何の役にも立たないだろうとか、あるいはこんなメモ用紙を置いていてもと思われるかもわかりませんが、それぞれの方の貴重な人生の記録でございますので、ぜひともそういうものはどこかに集めて収納しておいていただくということが大事ではないかと思います。
先般、厚生省の方がお見えになりました。そして日本財団で資料館をお造りになるように伺っておりますが、ということでございましたので、私共はそういう意思はありません。これは国がきちっとする仕事ですということでお話し申し上げました。
先般も小泉総理と会う機会がございましたので、とにかく園をどこか1カ所、できるだけ早い機会に訪ねてもらいたいと申し上げました。おそらく、現職の首相、或いは大統領という人がこのハンセン病の皆様の施設を訪ねたという例は世界ではありません。従いまして、あなた自身が総理大臣をお務めになって、この半年程の間で最も印象深かった「控訴断念」であったとおっしゃっていらっしゃるのですから、早く行ってほしいと思いますと申し上げ、彼も必ず時間を作って参りますということでございましたので、どこの園を訪ねられるかはまだ決まっていませんが、皆様方の意志を直接お伝えする機会もあるのではないかと思っております。そしてどうしても国でやらないということでありますれば、私たちは考えなければいけないと思います。何と言ってもこれは国がやるべき事業であるというのが私の基本的な考えでございます。
それから、ここにいらっしゃる笹川保健協力財団の山口和子さんは、ハンセン病の歴史その他では世界的な権威者でございまして、私は彼女の生徒みたいな立場なんですが、この笹川保健協力財団は、皆さんもご承知の石館守三先生と私の父が話し合って、ハンセン病をなくすために作ったわけなんですが、当初はワクチンが作れないだろうか、ということでいろいろ研究しました。私の父は皆さんと同じ立場になってみないと気持ちがわからない、ワクチンの開発に一役買おうということで、大阪大学の伊藤利根太郎先生がWHOの本部で笹川良一の左手にらい菌をうえつけたんですね。ジェンナーの種痘というのをご承知と思いますけれど、それと同じことを笹川良一がやったわけです。その使った薬びんもWHOから頂いて保存されておりますけれど、おそらく健康体の人が自らそういうことをするというのは、稀有の例でございまして、皆さんもご存じなかったのではないかと思いますのでちょっとご紹介しておきます。
少し話が長くなりましたけれど、今日は皆様方のお話を聞かせていただき、勉強させていただきたいということでお邪魔をしたわけでございますが、折角の機会でございますので少し世界の状況についてお話をさせていただきました。ありがとうございました。
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