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著者: 村田 良平  
記事タイトル: 「不審船引き揚げ」なにが悪い!  
コラム名: 「不審船引き揚げ」なにが悪い!  
出版物名: 諸君!  
出版社名: 文藝春秋  
発行日: 2002/03  
※この記事は、著者と文藝春秋の許諾を得て転載したものです。
文藝春秋に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど文藝春秋の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   21世紀に入って日本が国を挙げて論議すべきは、いかにしてこの国が「普通の国」になるかである。敗戦後55年余を経て、なお日本は「異常な国」にとどまっているからだ。

 戦前の日本は、現在とは別種の異常な点を少なからず持っていた国であった。これらは、敗戦と共に大むね清算された。しかし振子の振れ方が大きすぎて、日本は逆方向の異常性を持つ国となったまま今日に至っている。主因は2つである。

 第1は史上初めてで、かつ徹底的だった敗戦がもたらしたショックが大きかったことである。

 第2は米国が日本を骨抜きの国にするために大規模かつ組織的に行ったマインド・コントロールの成功である。あたかも日本人が自主的に採択したかの如き形式と手続きをとらせ、他におよそ例のない戦力不保持条項をもつ憲法を押しつけたのはその成功の一例であり、日本の過去の行動はすべて悪であるとして断罪することを弁護士までつけた「東京裁判」という形を用いて実施したことも巧妙なマインド・コントロールであった。その他各種の検閲、教育の制度、内容への過度の介入など数え上げればきりがない。

 結果として生れた異常性は種々あるが、根本は2点である。

 1つは主権国家である自国の権利が侵害されることに鈍感で、国の威信あるいは独立国家としての衿持をもたない国に堕落したことである。

 もう1つは、およそ力の行使は悪であるとの観念がはびこり、それと共に、甚だ怯儒な国となってしまったことである。例えば、国内的にみても、最近漸く是正されたが、これまでは警察官の武器の使用は正当防衛以外は厳しく制限されていた。また、国際社会においても、各国が自衛のための戦力を保持するのは当然のことだが、日本は個別的自衛権の発動に関してすら他国にはない制約を自ら課している。しかも悲劇的なのは、国内においてかかる政策は何か崇高なことであり、他国より優れたことであるかの如く錯覚している人々がいることである。集団的自衛権は保持はしているが憲法上その行使は許されないとの説にいたっては、曲学的解釈以上の何物でもない。

 諸外国は、日本が軍備管理問題に熱心に取り組んだり、遠隔の地の難民へも支援の手を差しのべるべく努力しているといった点は心から評価してくれている。しかし行政改革に際し防衛庁のみは防衛省に昇格させなかったという奇異な決定は、評価もせずただ、日本という国は今なお敗戦のトラウマに、そのようにとらわれているのかと感じているにすぎない。

 日本は国としては極めて小心翼翼たる国となってしまった。私にとっては、先般の不審船事件における海上保安庁の諸官の示した勇気のように、日本の治安機関の職員が身を賭して義務を遂行していることが救いとなっているのだが、憲法の制約と称して犠牲を伴いうる国際的義務の履行に身勝手な条件をつけていることはまことに恥ずかしい。外国から言わせれば、「制約があるのなら憲法を改正すればよいではないか」ということにつきるからだ。

 私が各方面でくり返し述べて来たところだが、“友好”は外交の目的ではない。2つの国の間の国益の対立を和らげ、できれば相互協力の関係をつくるのが外交の目ざすところであるが、時として不和やしこりが残ることは避けがたい。

 又日本外交でしばしばほぼ条件反射的に適用される考慮が相手国を刺激しないということだが、時と場合によっては、これは相手国をして日本は与しやすいと考えさせ、わが国に対し不当な行動を再び行う結果にこそなれ、相手国を反省させることにはつながらない。

 主権が侵害された場合、厳重に抗議し、止むをえない場合、武力行使以外の措置で圧力を加えることにより再度の主権侵害は止めさせる??これが「普通の国」のすることである。

 昨年9月11日の米国における同時多発テロ、そして昨年末の不審船事件は、防衛のあり方について深く考えさせるものである。例えば、不当な攻撃に対し、軍と警察(海上でいえば海上保安庁)のそれぞれ果すべき役割りが益々区分しにくくなっていることはその1つのポイントだ。

 今回不審船はロケット砲すら準備していたし、乗組員は予め逮捕されるより自決を、船については自沈を覚悟していたと見うけられる。そのため、現実に起ったことは単なる通常の犯罪行為とはおよそ異なる一種の戦闘行為であった。それだけに真相を徹底的に追求、解明することは、単に日本自身の将来の国益保全のために必要であるのみならず、海上の秩序維持に関心をもつ国際社会のすべての国に対する日本の義務でもある。従って、真相解明のための不審船の引揚げも当然速かに行うべきである。かかる自明なことに逡巡している点こそ、日本が「普通の国」ではない所以である。

 不審船の沈没場所は中国のEEZ(排他的経済水域)内の由である。EEZについて沿岸国の有する主権的権利や管轄権は国際法上機能的な概念であって、「領域主権」とは異質のものであるから、不審船の引揚げは何ら中国の権利を侵害するものではない。もとより善隣関係と礼譲の見地から、中国に連絡と説明は懇切に行わねばならない。

 にもかかわらず、中国が仮に引揚げに反対した場合でも、敢えて引揚げを行うのが「普通の国」のすることである。何故なら、それは主権国家としての日本の合法的な権利の行使であり、又国際社会に対する義務の履行でもあるからだ。私は、中国政府のスポークスマンの発言のニュアンスの変化を見、又日頃から中国は麻薬取締りその他の見地から北朝鮮の工作船の活動を好ましいとは思っていないことに照らし、中国が沈没船引揚げに異議を唱えることは多分ないと見ている。

 引揚げが北朝鮮を刺激するから差控えるというのは、正に日本が「異常な国」であるからこそ初めて生じ得る発想であり、北朝鮮が不法行為を将来再び行うことをも黙認しかねない結果となる。それは、国の威信という重要事を考えないことなかれ主義以外の何ものでもない。

 この際、日本が「普通の国」となる上で必要なことの1つは、公海及びEEZにおける不法行為取締りのための法体系の整備である。海上保安庁の任務として海上犯罪の予防と鎮圧が規定されているが、船舶に対する強制処分の権限は、別途の法律による授権がない限り、停船等極めて限定された行為しかない。先般関係法が改正されたとはいえ、海上自衛隊や海上保安庁の不審船船体への射撃条件の緩和は領海においてのみとなっている。至急見直すべき事柄だ。別途装備の強化も緊急に行うべきことの1つである。

 今回は不審船の行動を衛星によって把握した米軍からの情報提供があって、日本は初めて所要の行動をとることが出来た。宇宙の平和利用の見地からと称する一部政党の主張で、日本は自己の衛星打上げを長期にわたり行わずに来た。これも「異常な国」の発想だ。宇宙条約で禁止されているのは大量破壊兵器の配置のみである。専守防衛の立場に立つというなら、可能な限りの自前の情報収集能力を持つべきである。技術と財政の許す限り日本の国益を守るため所要の数の衛星を打上げるのが正しい政策であり、これが「普通の国」のすることなのだ。

 55年も前に受けたマインド・コントロールの影響下で国の防衛の前途を誤る抽象論や情緒的議論が今なお行われている「異常な国」から日本は速かに脱皮すべき時代に入っているのだ。
 



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