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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 戦争と金  
コラム名: 夜明けの新聞の匂い  
出版物名: 新潮45  
出版社名: 新潮社  
発行日: 2002/03  
※この記事は、著者と新潮社の許諾を得て転載したものです。
新潮社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど新潮社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   金の話は最低だ、という実感はよくわかる。年を取るほどおもしろくなったのは、(金)勘定ではなく(人間)感情であった。だから金の話はなしにしたいのだが、金から人間の感情も縺れる。性格も能力も判断される。だからアフガニスタン支援に関する人道ではなく金の話も許してもらうことにする。

 アフガニスタン復興支援国際会議は1月22日の閉幕に当たって、2002年には差し当たり18億ドル、総額では45億ドル(日本円で約5850億円)の金を拠出することに合意して閉会した。

 大変な金額である。私たちは普通1万円以上の金になると実感が少なくなる。私は自分で稼いでお金を少し儲けたので、100万円くらいまでは使いでがよく見える。さらに6年以上財団に勤めて予算に係わる仕事もしたので、500から1000億円くらいまではどんな形で使われるかわかるようになった。と言いたいところだが、個々の仕事の予算はそんなに大きくはないので、やはり実感があるのは数千万円から10億円程度である。それでどの程度の老人ホームやホスピスの施設が作れ、途上国に何校の学校の校舎を建てることができ、身障者用の車椅子を載せる特殊車両が何台買えるかがわかって来た。しかしそれとても頭の中のスイッチを「業務用」に切り換えた時だけの機能で、私の個人的な実感はやはり100万円までくらいしか金の重さをずっしりと感じることはできない。

 私はアフガニスタンに入ったこともないので、ほんとうならこういう記事を書く資格がないかもしれない。しかしインドやイランなど周辺国の貧民をたくさん見た。今世界の貧しい国の人々は、普通平均一家が1日1ドルで暮らしている。一家の人数は5人かもしれないし、12人かもしれない。人数は大して違わないのだ、というと不思議に思うだろうが、彼らの暮らし方は日本人と全く違う。1人1部屋などという発想はない。部屋の床に子供たちは折り重なって寝る。必ずしも不幸ではない。お互いに温かく守られていてお化けも近寄れない安心がある。

 恐らく多くの国々で毎食作る食事の量はいつでも同じという地域は極めて多いはずだ。食事は大盆に一皿作って皆が指で食べる。孤児になった親戚の子供でもおうように受け入れるという土地が多いが、それは何人が転がりこんで来ても作る量は同じなのだから、養えないということもないのである。しかし当然1人当たりの食べ物の量は減って来る。まず男が食べ、次に女子供が食べるという国も多い。大人たちも母親も、食べるのが極めて遅い幼児が、どれだけの量を食べたか監視するようなデリカシーはないから、大人の口が増えて彼らがせっせと食べてしまえば、幼児がほとんど食べる暇がなかったということもよくわからない。盆の上が空になった時が一家の食事の終わりなのである。

 当然栄養不良の子供や女たちができる。私は何度も日本人のカトリックの修道女の看護婦さんが「子供には別のお皿に取り分けてそれだけは子供の分として食べさせなさい」と注意するのを聞いたが、多くの場合それさえも実行不可能なのである。シスターの注意を受けると誰もが無表情に「シスターがお皿を買ってくれますか?」と言う。2、30円のプラスチック製の皿1枚を買う金の余裕もないのだ。粉薬を飲ませる匙もない。貧しい人は慎ましいどころか、狡く強欲になるのが普通である。

 あちこちに潜在的栄養不良の子供や女たちが出るが、それは戦争とは直接関係なく、戦争以前からずっとあった状態なのだ。政治の貧困と言っていいのかさえ、私にはわからない。政治の貧困という言葉は、民主主義社会では概念として存在し得るが、電気のない地方は民主主義とは無関係の部族社会で長い年月暮らして来たのだから、政治の貧困などという概念は恐らくないだろう。部族の運命は良い時も悪い時も同じ運命として存在するだけである。人民がいて為政者がいる、などという分離した発想を取ることはなさそうである。

 そんなところへ、5850億円という途方もない金が入るのである。もしその金の高が実感できる人がいたら、自分は既に死んで天国に来ているのではないかと思うだろう。しかし多くの人たちにとって5850億円より、今1ドルくれる方がずっとありがたいと思うにちがいない。

 電気の引かれていない地方はたくさんある。道路も不備、水源は足りず、水道も未整備、国庫は空っぽ同様、医療施設はないに等しく、未就学児童がたくさんいて、雇用の口はほとんどない。そういう社会では、金はいくらあっても足りないように見えるだろうが、一方そういう状態ではそれが国家としての機能の上で公平に有効に使われる可能性などあるわけもない。

 日本の新聞ではアフガニスタンという国家が、新生に向けて歩み出したというような印象を与えているが、英字新聞は、北部同盟その他の派閥の領袖たちを「ワーロード」と書いている。「ワーロード」は決していい意味で群雄割拠の時代の将軍を指してはいない。勢力争いに明け暮れる状態のいわゆる「親分」たちを指すのであって、彼らは決して近代国家が持つ共通の観念によって国全体の利益を考えて金を使ったりすることはないのである。

 アフガニスタンの2400万人の人口比率は次のように分けられている。44パーセントがパシュトウン人、25パーセントがタジク人、10パーセントがハザラ人、8パーセントがウズベク人、後の数パーセントずつが、チャハールエイマク人、トルクメン人、バローチ人、と他の少数民族である。タリバンとして戦った人々のほとんどは、最多数のパシュトウン人だが、すべてのパシュトウン人がタリバンに同調しているのではない。パシュトウン人の中の多くの不平分子が、他の部族に加わっている。この混雑が一筋縄では行かないところだ。

 タリバンに対抗した北部同盟は、タジク人、ウズベク人、ハザラ人を含むマイノリティー・グループであった。この北部同盟の核をなすタジク人は2つの戦線でタリバンと対抗した。すなわちカブールと、タロカンの東部とである。ウズベク人の勢力はマザリシャリフで戦った。私たちは北部同盟対タリバンという図式で捉えがちだが、実はこの実態を見ると、これはアフガニスタン対アフガニスタンの戦いだったというより他はないことがわかる、という。

 そこに巨額な金が入ることになった。

 彼らが、穏やかにこの救援の金を分け合うなどということはとうてい考えられない。誰かがどこかの国の手先として独占する。そのどこかの国は戦後にさまざまな利権がほしい。もともと私たちが考えるように、近代的な国家としてのアフガニスタンが存在していたと思う方が問違いなのだ。荒野の中に親分たちが割拠し、折りあれば戦って自分の勢力を広げようとしていただけなのである。

 これまでに彼らはあらゆることをやったということになっている。

 タリバンが禁じていた罌粟(けし)の栽培を、北部同盟の司令官たちは戦争の最中に黙認した。戦力のために麻薬の生産をすることは、多くの国で当然のことだとみなされている。しかしタリバンは罌粟の栽培を禁じたので、2001年の生産高は185トンにまで落ちたとみられている。その前年までの生産高は3276トンもあったのである。

 世界でもっとも貧困と言われるアフガニスタンの農民にとって、罌粟の栽培はたった1つの生存を賭けた方法であった。罌粟栽培の儲けは小麦などを作るのとは比較にならないほど大きく彼らの口を糊してくれた。アフガニスタンにとって罌粟の栽培は長い間、村の経済を支えて来たものであった。

 アメリカの報復攻撃を受けて以来、アフガニスタンはさらに無法地帯と化した。

 2001年の11月末頃には、北部アフガニスタンの道路では、どこでも救援物資が輸送の途中に襲われた。せっかく送られて来た物資は、しばしばトルクメニスタンやウズベキスタンまで引っ返さねばならなかった。たとえそのまま進もうとしても、数キロおきに理由のないチェックポイントが置かれていて、救援物資といえども運んで来た人はホールド・アップをさせられ、金を払わなければ先へ進めない。物資を奪うか、その地方で勢力のある親分が一種の通行税を取るかのどちらかなのであろう。

 あの痩せたオサマ・ビンラディンの顔から、タリバンが禁欲的で人道的だったなどと思う人もいないではないらしいが、彼らは別の面、才能も持っていた。彼らは密輸業者としても努力家で才能もあった。

 アフガニスタン人の闇商人は、年に数回、シンガポール、ドゥバイ、ホンコンなどを往復して、日本製のセコハンのディーゼルエンジンを買いつけていた。これらのエンジンは40フィートのコンテナー1個に70台から80台を詰めてイランのバンダル・アバスまで運ぶのである。そこから陸路アフガニスタン西部のヘラートまで送られると、ここからタリバンの勢力地域内の1400キロの悪路を、トルカムまで輸送される。これらの品物の運送保証代金としてアフガニスタンの長距離トラックの運転手たちは、高額の運送代と税金をタリバン側に払うことになっていた。こうしてエンジンがアフガニスタンとパキスタンの国境まで着くと、密輸のエンジンは今度はラクダかラバの背につけられて一晩がかりで国境を越える。ラバ1頭には2台のエンジンを載せる。無事国境を越えると、そこから再びパキスタンのペシャワールまでトラックで運ばれるのである。

 パキスタンでは今、車のエンジンを経費の安いディーゼルに変えようとしている人が多いので、これはいい商売になった。タリバンは何のことはない密輸で稼いでいたのである。こうした密輸業者の1人によれば、タリバンはなかなかの商売上手だと言うのである。

 車のエンジンではなく、テレビの古い機械をやはりアフガニスタン経由で輸入した商人は、テレビの機械を密輸する時には国境越えに子供を使うと言っている。ラバやラクダに積むと揺れが激しくて機械がダメになってしまうからである。子供たちがテレビを担いで国境の山越えをする姿は目に見えるようである。

 多くのアルカイダのメンバーがパキスタン側のカサダールと呼ばれる地域警察に賄賂を渡して国境を越えたと言われる。カサダールはパシュトウン人としてタリバンに親近感を抱いており、しかも賄賂に弱いので、金を受け取るとアルカイダが通り過ぎるまであらぬ方を見ているようにした。しかし多くの者が無事に国境を越えたとしてもトラボラの南部で捕えられたという。こうした近隣の村ではすべての人たちが顔見知りだから、見知らぬ人間が来ればすぐわかる。つまりその村が、経済的な動機と、反パシュトゥン人的対立感情を持っていれば、怪しい人物が村に入ったとなると、必ずそこの部族の族長が彼らを「売って」しまうからである。

 5850億円という夢のような金は、こうしたアフガニスタンの土地に入ることになった。

 一方、世界にはアフガニスタンと同じ程度に飢えて惨めな人たちがいる。私が見ただけでも、アフリカの多くの国の僻地は、同じ程度かもっと悲惨だ。ブルキナファソ、マリ、チャド、ベニン、コンゴ、ルワンダ、モザンビーク・・・・・・それらの土地に住む人たちは、沈黙し(表現の方法もなく)、時のハイライトを浴びるチャンスもなく、慢性化した貧困に耐え続けているだけだ。しかるにアフガニスタンは今回この上ない幸福をかち得たのである。

 アフガニスタンを嫉妬する側の一例がソマリアである。アルカイダの一部がアフガニスタンを脱出したのを契機に、アメリカは無法地帯のアフリカの国々が新たなアルカイダの基地とならないように、監視行動に出ることになった。

 それは多くのソマリア人にとって希望の始まりだという、皮肉な記事も読んだ。

 ソマリアはテロリストたちを叩くための、次なるアメリカの軍事行動の標的となることを望んでいる。それは空爆によってテロリストたちを根絶できるからではなく、その後の援助を期待してのことだという。

「もう1993年の事件のようなことは起こらないからアメリカ人は心配しなくていい」とソマリア人は言うらしい。その年、モハマッド・アイディド(将軍)を捕えようとしたアメリカの攻撃が、18人のアメリカ軍人の死を招いた。

 ソマリアが、今は無法で危険極まる土地として放置されている。南部ソマリアは、過去7年間でもっともひどい干ばつによる飢餓に見舞われている。銃撃戦も後を絶たない。200万の食にありつけない人々の持つ50万挺の銃が抗争や強盗の行為に油を注いでいる。1991年以来、強力な中央政府はない。

 今やソマリア人の希望は、アフガニスタンと同じことがソマリアでも実現することだ。つまりアメリカの軍事攻撃がよれよれになっているテロリストたちの中核を叩き、その後の巨額な援助で国家として通るような政府を作り、その結果親分たちの勢力の緊張を弱めるという図式である。

 戦争と難民が経済的な駆け引きや価値を生む時代になった。それもけちな内戦と難民を生むだけでは充分ではない。できるだけ世界に目立つ形で内戦を始め、悲惨な難民になることだ、するとコトは解決する、という暗黙の認識の底流ができたことを、世界は拒否できないだろう。その金の背後には、戦争をしかけた国の利権があると言われるが、私にはその証拠を出すことはできない。

 アフガニスタン復興支援金はこれからもさまざまな経過を辿るだろう。まず拠出すべき金を出さない国は当然現れるだろう。

 金が出された段階では、金の分け方を巡って、部族の対立、親分たちの金と物資と権力の着服合戦、その結果の殺し合い、部族虐殺、誘拐による脅迫、は簡単に想像できる。普通の住民はその末端で、小さな密告、盗み、贈収賄、密輸、麻薬、売春ビジネスをやる。すべて生きるためだ。末端はほんの少ししかおこぼれにあずかれない。

 しかしもちろん希望の芽がないではない。長い時間を要するが、教育だけは確実な良き変化をもたらす。タリバンの学校ではコーランを教えるだけで、恐らく世界地図などなかっただろう。世界の中で自分の国がどこにあるかさえ知らない子供たちは、アジア、中近東、アフリカの国々にはいくらでもいる。文盲で算数の初歩もできないから、仮に職場ができたとしても使いものにならない。女性たちが教育を受ける効果はもっと大きいかもしれない。彼女らは母性が次の世代を育てるからだ。それらのことが改善できれば、支援会議の結果は歓迎すべきだろう。

 しかしあまりにも「漏水」の量が大きくならないことだ。国連自体が漏水だらけの管なのだから。(2002・2・6)
 



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