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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 子供たち?「戦争と飢えしか知らない」のか  
コラム名: 自分の顔相手の顔 503  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2002/02/06  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   アフガニスタン復興支援会議以来、日本の中にも「廃虚と化したアフガニスタン」に暮らす人々を救おうという機運が高まって来た。人の痛みを理解しようということは基本的に人間的なことなのである。

 アフガニスタンの子供たちが長い間、オサマ・ビンラディンもその責任の一端をになわねばならない政治的な抑圧と経済的な貧困の中で、教育も受けられなかった面があるのは本当である。彼らはボロを着て、診療所には薬も足りず、食べ物も貧困の故に十分ではなかった。しかし先日或る新聞で読んだように、彼らが「戦争と飢えしか知らなかった」ということはないだろう。

 もちろんそういう不幸な子供はどの社会にもいくらかはいる。しかし多くの特派員が、難民キャンプの子供たちでさえ明るい、としばしば書いたり映像で報道したりしている。彼らは貧しくとも、多くの子が親や兄弟といっしょに暮らす幸福を知っていただろう。日本のように父が早くから遅くまで会社に行っていたり、学校から帰る頃には母までがアルバイトにでかけていて留守、などという寂しさは味わったことがないだろう。

 ちょっとした贅沢がしたいために、「援助交際」などというこの世でもっとも醜く精神的に貧しい行為が、ものわかりが悪いと言われたくない親や教師たちによって、長い間厳罰にも処されず放置されて来たようなでたらめな社会は信じられない、と彼らは言うだろう。もっともニュースの入らない彼らは、日本に援助交際のようなものがあることも知らず、知っても理解できないだろうが。

 どんな暮らしにも、輝くような幸福の時間はあるものだ。アウシュヴィッツにも歌を歌ってすべてを忘れる瞬間があった、という証言もある。もしアフガニスタンの子供たちが不幸だとしたら、彼らは自分たちに何が欠けていたかを知らなかった、ということだろう。

 戦争が更に窮乏には追い込んだろうが、都市以外の土地に住む彼らの暮らしは、もともと日本人から見たら耐えられないほどの単純なものだったのだ。電気なし、水道なし、トイレなし、空調なし、風呂場なし、窓枠や窓ガラスなし、はごく普通であろう。健康保険なし、学校なし、保健所なし、職場なし、バスなしにも慣れていたろう。しかしそれでもなお彼らはアフガニスタンという土地を好きなはずだ。「戦争と飢えしか知らない」というのは彼らに対して非礼だと思う。
 



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