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最近引用の必要があって、昔、学生時代に読んだフランシス・ベーコンの『随想録』を出して来て見ていたら、ほんとうにおもしろい文章に再会した。べーコンは16世紀後半以後の人だが、その文章をここ1、2週間に起きた事件とダブらせて読んでみると、これが数百年前の智恵かと驚くほどである。つまり智恵や哲学は全く古くならない、ということだ。
夜中にテレビをつけたら、0時過ぎから総理の記者会見が行われる事態になっていた。外相、外務事務次官、衆議院議院運営委員長の3人が更迭乃至は辞任ということになったからである。数時間前に私は、ベーコンの「高い地位について」という章を読んだばかりであった。
「高い地位にある人々は三重に召使である。君主または国家の召使、名声の召使、仕事の召使である。だから彼らは風采にも行動にも時間にも自由を持たない。権力を求めて自由を失うとは、あるいは他の人々の支配する権力を求めて自分自身を支配する権力を失うとは、奇妙な欲望である」
外相と事務次官は敵対感情剥き出しである。真実はどうなのかわからない我々にも、2人がお互いに怒って相手をやっつけようとしていることだけはテレビの画面から明瞭に見て取れる。
ベーコンは「怒りについて」も書いているが、怒りは「子供、女、老人、病人の弱点にはっきり現れる」のだそうだ。私など少なくともこのうちの2項目、時とするとすぐ喉を悪くするから3項目にも当てはまるのだから、身につまされる。
「怒りにとらえられても、それを抑えて害悪を及ぼさないためには、特別に注意しなければならない2つのことがある。1つは、極めて痛烈な言葉である。辛辣で図星をさしたものであるならば、とくにそうである。(中略)また怒りに駆られて秘密を漏らさないことである。そういうことをすると、社会に適応しなくなるからである。もう1つは、どんな仕事でも腹立ちまぎれに、にべもなく投げ出さないことである」
そんなことは始めからわかっていたことだと思うが、同じ日に、怒って議員を辞職したタレント議員もいた。
私の心配は今回この記事を掲載した新聞社が、原稿料はぜひベーコン氏に払いたいと言い出しはしないか、ということだ。氏の版権は切れているはずだから私に払ってほしい。しかしとにかく読書をするとこんなおもしろい目に会えるのだから、読書はした方がいい。
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