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外務省が開催したアフガニスタン復興支援会議に「お上のすることは信用できない」と言った代表のいるNGO(非政府組織)の出席を、一度は拒否した事件について、ここのところ新聞も週刊誌もお噂週刊誌のように喜んで書いている。自民党の鈴木宗男衆議院議院運営委員長と田中真紀子外相と外務省との間で「そんなことは言わなかった」「嘘をついている」という責任のなすり合いばかりが興味の対象で、もっと重大なことを私のみる限りの新聞も雑誌も書いていない。
第1の点は、なぜ外務省が非政府組織をそれほど深く意識するのか、ということだ。単なる傍聴なら、人数の制限内なら誰が来ようが大したことではない。
外務省が来る人をそれだけ意識するのは、その背後には「予算のない分だけ非政府組織を利用して外務省の得点にしよう」という魂胆があるかとまで疑われる。そうでないなら非政府組織は自由にさせろ、である。
ことに団体の姿勢によって外務省が個々のNGOの出席を認めるか認めないかを採択するなどという非常識を、たとえ一刻でも通したのは、外相も事務次官も理性的でない、という証拠であろう。
第2の点は、非政府組織で働く人たちは、外務省主催の会議などにそれほど出席しなくてもいいように思う。内容の報告は出るだろうし、霞が関と違って現場を知っているはずの非政府組織は、独自のルートで仕事をするのが精神だ。もちろん協調する場合もあろうが、そんなことはずっと後の派生的な話だ。非政府組織はあくまで自立しなければならない。方途も、危険も、費用も自己責任で負担するのが、NGOの原則である。たとえ旅費だけでも外務省に出してほしいとか、会議の開催費は外務省に出してもらいたいと考えると、NGOの本来の精神からはずれてGDO(ガバメント・ディペンデント・オーガニゼーション=政府依存組織)になる。
昔から言った。金を出してもらったらひもつきになる。ひもつきになどなるな。自分たちですべてやれば、誰も何も言うことはできない。
今後、非政府組織が外務省抜きで国際会議を開く場所がない時は、私が働いている日本財団が、同時通訳の設備のある200席の会場を提供しよう。足りなかったら廊下まではみ出して床の上にすわって持参のおにぎり弁当やサンドイッチをかじって会議をすることだ。食うや食わずの人たちを助けるNGOの会議なら、雨露をしのげればそれで充分のはずだ。
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