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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 幸福の形?「殴ってくれる夫」さえ羨ましい  
コラム名: 自分の顔相手の顔 494  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/12/25  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   インドのデカン高原の中にあるムンドゴッドという町と、ビジャプールというごみだらけの古い都市と、バンガロール郊外にある小さなアネカルという村を訪ねて来た。私が30年間やっている海外法人宣教者活動援助後援会が、ムンドゴッドとアネカルには不可触民の子供のための、ビジャプールには社会的には不可触民以下と思われている部族の子供たちの学校を建てており、日本財団もムンドゴッドの学校に寄宿舎を4棟建てている。

 アネカル周辺は丘の続く農村地帯だが、そこで幾つかの不可触民の村を訪ねた。どこでもまずビスケット、バナナ、お菓子のような食べ物を出される。ヒンドゥのカースト制度の中では、自分より下級カーストの人たちと共に食事をすることはしないのが普通だから、それらのおもてなしを食べることは、私たちが「あなたとはお友達ですよ」という態度を示したことになる。

 インドの下級カーストの生活の中で、ごく一般的に見られることは、安酒を飲んで妻を殴ることだという。酒癖の悪い人はどこにもいるが、貧困と未来に対する展望のなさが、一瞬の憂さ晴らしに走るのだろう。しかもその安酒を買うために年利120パーセントという高利の金を借りる人も多い。今度村で、あれが高利貸しだという目つきの悪い男に会った。日本製のぴかぴかのオートバイに乗っていた。以後、日本製か日本ブランドのオートバイに乗っている男を見ると、私はすぐ「あれは高利貸しだ」と大きな声で言うようになって、同行者に笑われた。

 酒を飲んで妻を殴る男なんて最低だ。最近日本では家庭内暴力を法的に取り締まって貰えるようになった。いいことだ。

 しかし胸をうつような話もインドにはある。稀にだろうが、「夫は私を殴ってもくれません」という訴えがあるという。

 彼らの家の多くは、一間だけの小屋である。床は牛糞を練り固めたもので、戸口以外には窓もない家も多い。もちろん電気も引かれていない。殴られることさえ夫との繋がりなのだ。

 そして女性は夫を失えば、再婚はできない。村の集会には出られるが、結婚式にはよばれない。その人たちは、殴ってくれる夫がいることさえ羨ましいと思うだろう。

 日本の新しい法律に水をさすわけではないが、人間の生活と心の複雑さは、無限の深みを持っている。それを理解しないで、自分たちだけの幸福の形の追及を当然のこととしていると、軽薄な人間になってしまう。
 



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