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													 見知らぬ読者から、「信濃毎日新聞」の切り抜きが送られて来た。こういう記事が載ったのだが、あまりにも事実と違うのをどう考えたらいいでしょうか、ということである。
   それは梅原猛氏が「西の都から」というコラムで書いているもので、「一神教批判」という題が明らかに示すように、昨今のイスラエルとパレスチナ、アメリカとオサマ・ビンラディンが表に立ったイスラム教の一グループとの破壊的な対立をみても「今、一神教で今後の人類がやっていけるかどうかを厳しく問わなければならない」という論旨である。
   私は中学生の時に、或る人の行為で、その人の信じる宗教そのものを批判することは避けねばならない、と教わっていた。梅原氏によると、一神教徒は人類の半分以上を占めるというから30億以上はいることになる。その30億以上の人間の中で、破壊的な行為をしているグループの行為をもって、人道的な仕事のために危険をおかして働いている多くの人々の存在まで否定するというのは、おかしなことである。あらゆる宗教にはあらゆる性格と立場の人がいて、いいことも悪いこともやっている、というだけの話だ。
   梅原氏はまたこうも書く。
   「一神教は自らを神の選民と考え、その神を崇めない者を徹底的に憎み、絶滅させることさえ神自らが命じているかのように見える」
   これは何を指すのだろうか。新約聖書はキリスト教が聖典と認めるものだが、その中にはこれに該当する思想は全くない。
   「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」
   「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」
   「隣人を自分のように愛しなさい」
   「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」
   「信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」
   まだ引用を続ければ、いくらでもある。もっとも多くのキリスト教徒が、小心な自己保存の情熱のために、教えの通りに生きられないことを悩むのだが、恐らく仏教徒にも同じ人間的苦悩を味わう人はいるだろう、と思う。そこに私たちは宗教を越えた人間共通の悲しみや支えを切望するのだ。しかし日本ペンクラブ会長で文化功労者であるという梅原氏が、資料をわざと無視するか、これほどに歪曲するというのは、どういう理由か興味深いことである。
												 
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