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11月16日の夜、シアトルの「セント・ジェームズ大聖堂」で、三枝成彰氏の作曲による「鎮魂ミサ曲」が上演された。この曲は、去年の夏、イタリアのリヴァ・デ・ガルダの夏の音楽祭でも上演されたが、私が作詩をしていることもあって、その度に出席するようにと招いて頂いていた。
もちろんこの企画は、9月11日の同時多発テロ以前に企画されたものだが、演奏会の企画者であり、私が中で4つの「頌歌」の1つとして使っている「青い天使」という詩の英文原作者であるカトム・ユリコさんは、扉に次のような短い献辞を書いている。
「国籍を問わず第2次大戦で命を失った、すべての人々に捧げるために、私は1つの演奏会を思い立った。
それは残された家族の心を、慰め、癒すと思えたからだ。
『あなたたち、今夜は、残して行った家に帰って来て下さい』」
指揮者のJ・サベージ氏は、次のように書いている。
「サエグサ・レクイエムの企画が持ちこまれた時、大聖堂直属の4つのアンサンブルと私は、芸術家として、20世紀に隣人たちの間で起きた死、収容所の生活、あらゆる日常性の喪失を私たちの社会が記憶しつづけるように働く義務がある、と感じた。シアトルは環太平洋の端に位置し、ヨーロッパに対して眼を向けるのと同様にアジアを見つめなければならないことを自覚しつつも、芸術家たちは、今までともすればその機会をなおざりにして来たのである。」
三枝氏の音楽家の厳しい耳からすると、いくらか素人っぽい技術の不足は残されていたと思われる大聖堂直属の48人のオーケストラと65人の合唱隊、他に4つの合唱団の総計150人あまりの合唱は、700人あまりの聴衆を魅了し、涙ぐませた。もちろん曲の始まる前に私たちは黙祷して、21世紀初めの死者のためにも祈り、1886年12月の朝に中国人たちが受けたシアトル暴動の犠牲者のために、南の鐘楼の鐘が鳴らされたのである。
しかし私がもう1つ嬉しかったのは、北イタリアでもここでも、日本語の歌詞はそのまま「この悲しみの世にあって、私たちは最愛の主のために、最愛の人たちと苦しんだ」と歌ったことである。しかも一言一言実に明晰な発音で。今まで長い年月、あらゆるオペラもベートーベンの第九交響楽もイタリア語やドイツ語で歌われて来た。しかし今、日本語の歌がこうして静かに海を越えたのである。
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