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ケンカ両成敗というが、イスラエルとパレスチナの争いは、日本語で言うと業のようなものを感じる。昔、突然、両国の間を取り持とうとした日本の政治家がいて、私は「できもしないことを」と思ったが、この両者は、争うことで年月を過ごして来た、という言い方もできる。もっとも、この両者を一番よく理解しているのも、この両者だという言い方をする人は多い。
できれば穏やかに暮らした方が楽だろうになあ、と思う時もあるが、それは必ずしもそうではないらしい。平和=シャローム、サラームとは「欠けたことのない状態」を示しており、それはこの世にはないものと認識されている。「それほどのすばらしいものをあなたに贈ります」というニュアンスで、イスラム世界でも、ユダヤ人たちのイスラエルでも挨拶の言葉として使われている。
しかし理想と現実とはかけ離れているものだ。その両者が、近い、か、近くあるべきだ、と信じているのは日本人くらいなもので、それゆえに、有権者もいい年をして「安全に暮らせる生活」を求め、政治家も平気でそれを約束する。総理の演説の下書きを書く方にお願いする。「安心して暮らせる生活」という言葉だけは使わないでほしい。こんな幼稚な表現をまともな意味で使うようでは、小説の新人賞の予選も通過しない。
エルサレムにはユダヤ人もアラブ人もいるが、経済的にここ数年の緊張で失ったものは実に大きい、とAP電は書いている。
1年前には6500人いたホテル従業員のうち3900人がレイオフされた。
エルサレムのホテル産業のうち2億7千万ドル(324億円)がダメージを受けている。エルサレム自体としては14億ドル(1680億円)の損失だという。
イスラエル全体では、4万人が仕事を失った。これは全労働者の2パーセントに当たる。
今年になって最初の7カ月で、79万500人が観光客としてイスラエルに入った。しかし去年の同じ時期には、159万人が来ていたのだから半減したことになる。
工業全体では、抗争の始まった13カ月前からだけで20億ドル(2400億円)を失った。
そして30のホテルが閉店した。
私たちが毎年、高齢者や身障者の方たちと共に「聖地巡礼」の旅をする時、エルサレムで泊まることにしていたホテルで、先頃イスラエルの観光大臣が射殺された。
戦争とデモは、確実に国力をそぐものだ。
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