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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 他者に寛容に?誰もが好きな作曲家なのだが  
コラム名: 自分の顔相手の顔 483  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/11/14  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本財団が貸与しているストラディヴァリウスの演奏会が開かれた後、私は演奏家たちと鉄板焼きを囲む夕食に招かれた。

 そこで私がモツアルトを聴かない、という話がばれてしまった。

 誰もがモツアルトと言えば大好きだと言う。私は今までにアメリカ人の女性で1人だけはっきりと「モツアルトは退屈だ」と言った人に会っただけである。私がモツアルトを聴かないという理由は、モツアルトの音楽が始まるととたんに、私は音楽より他のことを考え始めて、音楽の存在が全く消えてしまうからであった。

 するとチェロのイッサーリス氏が「どうしてモツアルトを好きではないんですか」と不思議そうに言うので、私は「誰もが好きな小説なんてないでしょう。音楽も同じです」と答えた。するとイッサーリス氏は英国人なので「しかしシェークスピアは誰でも好きでしょう」と言う。私は「私も確かにシェークスピアは好きですけれど、身近かに感動するという点でだったら、サマセット・モームの方がずっと好きですね」と答えておいた。

 私がモツアルトを聴かない、と言った時、イッサーリス氏は「インタレスティング」と一言感想を漏らしたのだが、ちょうどそこにいた英語の詳しい人が「おもしろい、という意味じゃなくて『変わってますね』ということですよ」と親切に教えてくれた。それで私も安心して「変わっていなかったら、作家なんかやっていられないと思いますよ」と答えたのである。

 その時、私はイッサーリス氏に、どうしてこんなに音楽が分らない人間がいるのだろう、と呆れられたのだが、教育の目的は多分、自然に「インタレスティング」な、つまりその人らしく「変わっている」個性的な人を作ることだろう、と思っている。皆がモツァルトを好きだという時に、「モツアルトは聴きません」という方が抵抗感があるのだ。それでも私には他の作曲家で好きな人がたくさんいるから、一向に構わないのである。

 もっとも私には音楽的な耳などないし、音楽の聴き方も片寄っている。私は哲学の本を読む時と、好きな音楽を聴く時に、自分が書こうとしている小説の主題や場面が、はっきり見えて来ることが多い。

 それもインタレスティングな音楽の効用なのだろうが、すべて美しく端正な存在は、他者には寛容なものである。
 



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