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長谷川慶太郎氏の『朝令暮改の発想法』という本が出たその日に、私は夫に本屋で買って来てもらった。子供臭い理由で恥ずかしいのだが、今から約6年前、日本財団に勤めるようになってから、私は朝令暮改を旨として来て、人にもそう語っていたので、少し保証がほしかったのである。
私のような素人は、自分の原則論を意識しているだけで、現場の事情はわからないことが多い。私は朝、担当の職員に説明を聞き「それはだめですね」とあっさり断ることもあった。私は責任者というものは、断ることが平気で、その悪評を引き受けることが仕事の1つだと最初から思っていたから、その点では辛いと思わずに拒否権を使っていた。
しかし職員たちが、あれはどうも会長の私が理解していないからだ、と思うと、午後には再び説明にくる空気は残していた。だから会長室のドアはいつも開けっ放しである。誰でも覗いてみて、先客がいなければ今年入社したての新入でも入って来てじかに説明する。私だけでなく、理事たちの部屋は今では誰もがドアを開けっ放しにしている。
その結果、私は朝方拒否したことを、午後には「ああ、そういうことだったんですか。それならやりましょう。わかりました」と前言取り消すのが平気だった。
朝令暮改は、変な面子や、意地や、対抗意識や、憎しみや、派閥意識や、学歴に対する誇りや、権力者に対する卑屈さや、定年後の身の振り方の不安や、健康に対する心配などがあると、できないのである。
もっとも私は最初から、そうしたものを持てなかったのである。小説家は恥も平気で書く仕事だ。学歴も中途退学の方がもてる。派閥で書く人はなく、権力者に近付いても小説の種は増えない。憎しみは小説に書いてしまうから、職場で晴らす必要はないのだ。
長谷川氏の著作を読めば、朝令暮改にはずっと複雑な意味があることがわかったが、私はただ素朴に本能的に、人間とは朝令暮改で生きるものだと昔から自然に感じて来たのである。変われることがむしろしなやかさの証で、私などはともすれば硬直しがちだと、少し自戒していたのである。
朝令暮改とは、その人の各論の部分、表現の部分、方法の部分で、よりよき方向に工夫を重ねて、絶えず改変することなのである。しかしその人の哲学や信仰、欲求する真善美に当たる「心棒」は変わりようがない。中心がしっかりと変わらない時だけ、しなやかに朝令暮改することができるとも言える。
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