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遠い熱帯の地で日本人の生活を支えている人々がいる
九州の出張先で悲しい知らせを受けた。前日本海難防止協会シンガポール連絡事務所所長の田坂良一氏の計報である。故田坂氏は、本年6月に定年で勤務を退かれ、帰国したばかりであった。在職中にシンガポールで口舌癌の手術を受けられたが、手術後の経過も順調であると聞いていたので、私にとって寝耳に水の話であった。
同氏は、1999年4月にシンガポールに赴任し、2年3カ月の在職中、マラッカ海峡における日本の貢献窓口としてその手腕を発揮された。特に東南アジア地域で多発する海賊対策において、所長代理の中村通博氏と力を合わせ、アジア諸国の協力関係の構築に尽力された。
日本海難防止協会シンガポール連絡事務所は、1995年日本財団・笹川陽平理事長の発案により、マラッカ海峡における日本の人的貢献の一環として開設された。故田坂氏は、2代目の所長である。同氏は、海上保安庁OBで、ロンドン勤務をはじめ国際的な分野での経験が長く、世界最大級の巡視船「しきしま」(第三管区海上保安本部横浜保安部所属)の船長を最後に退官されている。
2000年3月、東南アジア海域で多発する海賊対策への対応として、アジア地域の海上警備機関の協力会議がシンガポールで開催された。この会議は、日本財団の提案と資金支援により、日本の海上保安庁が中心となり開催された。この会議の裏方となり会議を成功へと導いたのが、日本海難防止協会シンガポール連絡事務所である。
シンガポールの会議の成果として同年4月、東京においてアジア地域海賊対策海上警備機関長官会合が開催された。また、同年11月にマレーシアの首都クアラルンプールで開催された海賊専門家会合の開催においても、マレーシア政府に協力し、運営本部の役割を果たした同事務所の存在は大きかった。
日本がイニシアチブをとり進めて来た海賊対策の国際協力において、同事務所はなくてはならない存在なのである。
シンガポールにおける情報収集は、日本の海上政策を決める上で極めて重要である。アジアとヨーローパを結ぶ海のライフライン・マラッカ海峡の中枢に位置し、世界の港湾センターのひとつであるシンガポール港。ここには、必然的に世界の海に関するありとあらゆる情報が集中されてくる。
また、シンガポールでは、海に関する数多くの国際会議が開かれている。その内容は、海洋環境保全・航行安全・危険物の海上輸送・船員問題など多岐にわたっている。この多岐にわたる会議や各分野の情報を入手し整理して日本に送るのがシンガポール事務所の重要な役割である。
海上保安庁をはじめ、国内の主だった海路関係機関には、シンガポール事務所からFAX情報が、毎日のように送られている。
ここまで、シンガポール事務所が機能を充実させたのは、故田坂氏の力によるところが大きい。
今、マラッカ海峡の航行安全に関する国際協力体制の構築が求められている。わが国が、適切な対応をして行くうえで、シンガポール事務所からの情報は、極めて重要な役割を果たすことであろう。このことは、生活必需品の輸入を海上輸送に頼っている日本人の生活の安定に不可欠なことなのである。
遠い熱帯の地において、日本人の生活を支えている人々がいることを忘れないでいたい。
故人のご冥福と、シンガポール事務所のますますの発展を心から祈る。
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