共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 猫の子?思い出し笑いはできるけど  
コラム名: 自分の顔相手の顔 471  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/10/02  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   外国から成田空港に着いて、エスカレーターで入国管理の窓口に向かっていたら、前の20歳ちょっと過ぎに見えるお嬢さんがケイタイを掛けていた。

 「ほんと、そう、よかったね、生まれたんだね! うん、うん、わかった」

 そばで聞いていた私にも、どうも生まれたのは人間の赤ちゃんではなさそうだ、とわかった。電話を切ると彼女は隣のボーイフレンドに言った。

 「うちの猫、子供2個、生んだんだって! よかったよ。たくさん生んだらどうしようかと思ってたから2個でよかった」

 私は彼が「猫は2匹と言うんだよ」と訂正するかと思っていたが何も言わなかった。こういう言葉づかいは、今流行なのだそうだが、実際に聞いたのはこれが初めてだった。

 昔、遠藤周作さんと私の夫がスキヤキを食べに行った。卵の殻を割ったら小さな血の塊が黄身についていた。スキヤキ屋の女中さんは、すっかり恐縮して言った。

 「すみません、今すぐお取り替えいたします」

 心優しい遠藤さんは、女中さんを慰めるように言った。

 「いいんだよ、君が生んだ卵じゃないんだから、別に謝らなくても……」

 このエピソードは、夫の大好きな話だ。作家というものの、単に変わったというだけでは済まない強烈な個性がほの見えるからである。私たち夫婦はこの話でずいぶん楽しんだ。私たちは、人間が卵を生まない、という知識のために今まで捕らわれた見方をしていたということをしみじみと思うのである。

 猫の子2個の話も、私はその場にいなかった夫に教えて帰りの車の中でしばらく笑った。私は翌日も思い出して一人笑いをしていた。

 まともに言えば、全国の国語の先生たちには「お願いですから、猫の子は匹で教えるのだ、ということくらい教えて義務教育の過程を卒業させてください」と言いたいところだ。しかし今の教育に関する異常な自由尊重の精神から言うと、「『2個』で何が悪いのよ。立派に通じるじゃないの。それに何も昔の風習に従うことはないじゃないの」

 と生徒に言われれば、それもそうかと思い、

 「当人が納得しないことは強制できない」

 などという珍論がまた大まじめでまかり通るのかもしれない。それに、私の無責任な本音を言うと、大の大人が1日以上思い出し笑いのできるエピソードなんて、そうそう新聞も書いてくれないのだから、こういう流行はこのまま放置した方がいいのかもしれない。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation