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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: シュヴァイツァー博士2?同時多発テロに存在しない観念  
コラム名: 自分の顔相手の顔 469  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/09/19  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   シュヴァイツァー博士のランバレネに於ける評判は決してよくなかった。その一つは「現地人専用」の病棟を作り、白人用病棟と区別したことだった。

 今私は土地の人専用病院なるものをよく知っている。病室は土間、しみだらけのマットを置いた病人用のベッドの傍には家族が詰めかけて夜は足元の土の上で眠っている。彼らは、入院となると、牛車にふとん、鍋釜、炊事用の穀物と薪まで積んでやって来る。食事を出さない病院では、家族が交代で食事を作ることになる。

 シュヴァイツァーはこうした地方的な病院の意味を知っていた。

 「このやり方は病院にとっても患者にとっても非常にうまく行くことが判明した。患者と家族にとっては、慣れない環境のなかでいっしょにいられることはとりわけ心強いことだったようだ。病気であったり、手術を受けたあとであろうと、母親にとっては毎日家族と顔を合わせたり、食べ慣れた食事をとったり、近しい人間に世話をしてもらえるのがやはりいちばんだ」

 博士は、病気が治って患者が自分の原始的な家に戻る時のことまで考えていた。病人が、病院で知った新たな生活環境に馴染んでしまい、自分の生活に違和感や不便を感じるのは不幸なことだと判断したのである。土地の生活に近い病院なら、「患者はまた、本来の原始的な環境にもどったときに、望める限度以上の高望みをするようなこともない」と博士は理解していた。

 博士はまた土地の有能な若者たちを、たとえばアメリカが奨学金を出して教育することに対しても、不可能、無駄であると言っていた。

 「フランスに留学したガボン人のほとんどはガボンに帰ってこなかった。たとえ帰って来たとしても、首都のリーブルヴィルに居ついてしまうんだ。代わりに、男性看護士の職務につかせるため、賢くて教育程度が比較的高いガボン人をうちのスタッフが訓練するというプログラムを開始した。しかし彼らのなかにさえ、結局リーブルヴィルに行ってしまった者もいたがね」

 博士の最高唯一の情熱は、すべての生命に対する並はずれた「畏敬」であるという。博士は時々、アフリカの人々に対しては現実的合理主義者として対応したが、人間の生命に対する畏敬の念には全く平等で、いかなる差別も区別もなかった。

 アメリカの同時多発テロに全く存在しなかったのは、この観念であったと言えるだろう。
 



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