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子供たちが受験用の知識偏重の教育を受けて、実生活の実態を知識としても全く知らないのは、現実を認識せず、生きる基本ができていないことになっている。
若い人でインゲンや玉葱がどんな風な形で収穫できるのか知らない人がたくさんいる。インゲン豆は地下に生え、玉葱は枝の先にぶら下がってなる、と思っている人は決して例外ではない。道は地球ができた時から舗装されており、同時に水道もごく自然にできている、ように考えているとしか思えない人もいる。今日本人が得ている「便利さ」のほとんどは、人知の計算による自然調節の結果だとは決して評価しない。
カリフォルニアが深刻な電力不足になり、エルニーニョとエルニーニャの現象によってかつてないほど各地で洪水が起きたり旱魃や山火事が発生したりしても、自然には人間の手を入れない、と言うのが流行だ。「もう××は要らない」という言葉がもてはやされ、最近はそれが市民運動の立場からと、地方自治体や中央官庁の立場と一致して来たのはいいことだと思う。そのようにして自然を自然のままにして人の手を入れなければ、お金もかからなくて済むから、納税者の誰もが賛成だ。しかしそれによって災害が起きても、文句は言わないことである。人は自分の言行に責任を取らなければならない。
末来を予測してそれに無駄かもしれない予防処置をして備えることが政治だったが、その価値をあまり人々が認めなくなったのも、何でも出先で買える時代の流れであろう。
私は気が小さいのと悪い時代に育ったので、旅に出る前に実にあれこれと用意をする。豪胆で体も丈夫な人は何も持たず軽装で平然としているが、私は暑さにも寒さにも不潔にも実は弱いので、狡く用意をするのだ。
先日中国西域の旅に出る前に、上海のスーパーマーケットで買い物をした時、私は水4リットル、バケツ2個、包丁とハエタタキを1本ずつ、噴霧式の殺虫剤1本、飴1キロを買った。包丁は有名なハミメロンの産地に行くのだから、と思いついてけっこう便利をした。バケツはお湯の出が悪い時に溜めて人より快適に過ごすためだったが、その他にも病人用に何度か使った。飴は長旅の必需品。殺虫剤はアブや家ダニが何回か出たので有効だった。ハエタタキだけは、別の人が買ったので私は自分の分は隠しておいた。
しかし私は何も用意しない豪胆な人にも憧れているのである。
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