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このごろの日本人の幼稚さ加減は、ほんとうに困ったものである。
扇大臣が足を捻挫して車椅子で現れ、「お見苦しいところをお見せして」と言えば、車椅子の生活者がお見苦しいのか、と言葉尻を捉える。病気で車椅子の生活をしている人と、自分の不注意で足を怪我した場合とは、人間自然に言い方が違うものなのだ。私の母の世代だったら、まともな人はすべてどこか怪我をした姿で人前に出たら「お見苦しいところをお目にかけまして……」と言ったものなのだ。その極めて日本的な伝統的表現を(別に守れとは言わないが)知りもしないでいちゃもんをつけるものではない。
小泉総理が「日本では乞食も字が読める」と言えば、ホームレスを馬鹿にするのか、と言う。ほんとうに外国に出たことのない人は困ったものだ。日本には正確にいえば、乞食など一人もいない。しかし多くの外国には、乞食を職業にしている人がいくらでもいる。しかも外国に行った時、私たちは自国の状況を相手が理解しやすいように、常に多少の翻訳をして話すものだ。どこの国でも乞食が最低の生活者だとはっきり思っているから、多分総理は比喩としてそう言われたのである。そんなことにまで、いちいち悶着をつけるのが、最近の子供っぽい流行なのである。
日本将棋連盟というところも大人気ない。明石市の歩道橋で圧死事件が起きた後、日本将棋連盟は「将棋倒し」というのは子供の遊びだから、こういう場合には使うな、と言った。まだ正規のルールで将棋を指せない子供でも憧れで駒をいじる。すばらしいことではないのか。もっともこのことでは米長邦雄永世棋聖もユーモラスにお怒りだ。日本将棋連盟は将棋の世界の中の一団体に過ぎないので、今回の発言はその連盟の理事の無神経の結果だと判断してほしい、ということだ。
もっともすぐに相手の言い方にケンカを売るのは、日本だけではないらしい。インドのカルカッタでは、ブッシュ大統領の猫の名前が「インディア」だということをウェブサイトで知った学生抗議家たちが、これはインド人をばかしたものだ、と言って、アメリカ領事館にデモをかけた。その時、彼らは一匹の猫を連れていた。猫は「ブッシュ」と名付けられ、首に大きく名前が書かれていた。非難合戦をやるなら、せめてこれくらいのユーモアを駆使してほしい。そうすれば常に退屈しているわれわれ大衆は、大喜びで舌戦に注目するだろう。
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